20170226
今週刊行の『工芸青花』7号を紹介しています。https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=164
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以下は2章「川瀬敏郎 シンをいける」のリードです。写真は掲載図版より。S
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昨年上梓された哲学者井上治さん(一九七六年生れ)の『花道の思想』(思文閣出版)は、今後、日本の花(花道)を理解するうえで必読の書になるだろうと思います。過去に読んできたいくつかの花道史の本の印象は、そうじて古文献のつぎはぎのようで、しかもそのつぎはぎの意図がよくわかりませんでした(つまり「思想」が語られていませんでした)。井上さんの本にも各時代の花伝書、指南書の引用が頻出しますが、それらは井上さんが感得し、読者につたえようとする「思想」のさまざまなあらわれであることがつねにあきらかにされているので、安んじて読みすすめることができます。
井上さんの本をすすめてくれたのは花人の川瀬敏郎さんでした。おふたりと席をおなじくしたとき、この「思想」の話になり、「それはシンです」と川瀬さんがいいました。シンとは花器の中心にたてる枝のことです。S
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Toshiro Kawase, On the Core of the Flower Arrangement
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I think that The Philosophy of Kado (Shibunkaku Shuppan, 2016) written by Osamu Inoue (a philosopher, born in 1976) will be a must read for anyone who seek the art of flower arrangement (Kado) in Japan. Most of the books on the history of Kado that I have read seemed like patchworks from old manuscripts without a clear sense of their selection, leaving me with only a hazy idea about the philosophy of Kado. Inoue does quote passages from old manuscripts on the flower arrangement from various periods, but he always makes his intention clear, guiding the reader through the flow of thoughts in Kado.
It was Toshiro Kawase who recommended the book to me. When we all met, I remember him saying, ‘It is about Shin’, referring to the Kado philosophy expressed in the book. ‘Shin’ is a branch or a stalk at the centre /心 of a vase, acting as the core /芯 of the arrangement. (S)
20170225
2月末刊行の『工芸青花』7号を紹介しています。https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=164
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以下は5章「秦秀雄と私」のリードです。写真は掲載図版より。S
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秦秀雄(一八九八‐一九八〇)が六〇歳代以降につぎつぎものした骨董随筆(157頁に著作一覧)の愛読者が多くいることを、取材をはじめてあらためて知りました。記事のきっかけは甍堂主人、青井義夫さんとの会話です。秦秀雄は井伏鱒二の小説『珍品堂主人』(一九五九年)のモデルで、以来「珍品堂」を自称しました。〈ひどい奴だと思ったことはあるが、それにも拘わらず、私は秦さんが好きだった。稀に見る目利きだと信じている〉(白洲正子)
福井三国、浄土真宗の古刹に生れ、大学進学で上京、卒業後は国語教師のかたわら美術雑誌『茶わん』の編集を手伝い、柳宗悦、北大路魯山人、青山二郎らを知ります。その後魯山人(一八八三‐一九五九)の料亭「星岡茶寮」支配人となり、戦後はみずから千駄ヶ谷に「梅の茶屋」という料理屋をひらき、青山や小林秀雄、白洲正子ら文士のたまり場となりました。珍品堂以後は骨董工芸随筆の書き手として知られ、雑誌『銀花』や『小さな蕾』創刊の立役者でもありました。〈ただ一つ言えることは、人がいいと言ったからこれはいい物だ、と見方を毒されないことです。自分の目ですなおに見てゆくと、ほこりをかぶった物の中に佳品があるのを見つけることができます〉(生前最後の著作『骨董一期一会』まえがきより)
今回掲載した品物のほとんどが[130‐131頁と154‐155頁以外]、秦秀雄の旧蔵品です。S
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Hideo Hata, the Essayist of Antique
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During the research of this issue, I learned that there are many admirers of essays written on antiques by Hideo Hata (1898-1980) in his sixties (see the list of his works on p. 157). An idea of making the present article came up when I had a conversation with Yoshio Aoi, the owner of the antique shop, Irakado. Hata was a model of the main character in the novel, Chinpindo Shujin (or Master of Chinpindo) (1959), by Masuji Ibuse (1898-1993). Since then, Hata called himself ‘Chinpindo’. Masako Shirasu (1910-98), an author and a collector of fine arts, writes of him: ‘There were times when I thought he was appalling. Despite that, I liked him. I do believe he is an exceptional judge of antiques.’
Born in a family of buddhist priests of a historical temple in Fukui, Hata came to Tokyo for university. While working as a school teacher in Japanese language after graduation, he was involved in editing an art magazine Chawan, becoming acquainted with Soetsu Yanagi (1889-1961), a philosopher and founder of the mingei (folk craft) movement, Kitaoji Rosanjin (1883-1959), a noted artist and epicure, Jiro Aoyama (1901-79), an art critic. He became the manager of the restaurant, Hoshigaoka-saryo, which Rosanjin opened. After WWII, he himself opened a restaurant ‘Umenochaya’ in Sendagaya, Tokyo, which became a salon of literary artists, including Aoyama, Masako Shirasu, and Hideo Kobayashi (1902-83), a famous literary critic. Since around the time of Chinpindo, he became known as an author of antique essays. He also was a central figure behind the high fashion magazine, Ginka, and the antique magazine, Chiisana Tubomi. ‘The only thing that I can say is that you should not let yourself be influenced by others, thinking “This must be a good thing because this person said so”. When you believe in yourself and follow your senses, looking at antiques honestly with your own eyes, you can find an excellent piece of art among things covered in dust’ (from the preface to his final work, Kottoh Ichigo-ichie). Most of the works presented in this chapter (except those on pp. 130-131, 154-155) are from what used to be Hata’s own collection. (S)
20170224
『工芸青花』7号、ウェブサイトでの販売(予約)をはじめました。会員の方々へは来週半ば、各地の販売店へも来週後半に発送します。https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=164
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以下は1章「ロベール・クートラスをめぐる断章群」のリードです。写真は掲載図版より。S
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〈縦十二センチ、横六センチに裁断した厚紙に壁面用の塗料を下塗りして固くした、小さな自家製キャンバス。タロット占いのカルトのかたちを模した、六千枚におよぶというこの枠のなかに、画家は不思議な油彩を描きつづけた〉
二〇〇三年秋、フランスの画家ロベール・クートラス(一九三〇‐八五)の個展が銀座のギャラリー無境でひらかれたとき、そのころ『芸術新潮』の編集部にいた私は作家の堀江敏幸さんに原稿をお願いしました。右にひいたのは、「無神論者の聖人」と題されたそのときの文章の冒頭です。パリで生れ、鍛冶職人や石工としての経歴をもち、名声とは無縁の生きかたをあえてえらんでパリで窮死した画家のことを、当時は堀江さんも、私も知らなかったのですが、「カルト」と呼称される彼の作品を画廊でみせてもらいながら、そのころ無境にいてクートラス展の担当だった山内彩子さん(今号の三章の筆者です)と話していて、「堀江さんに書いてもらえたら」と意見が一致したのでした。
季節はめぐり、クートラスの回顧展は二〇一二‐一三年にシャルトル、一五年に東京(松濤美術館)、一六年に静岡(ベルナール・ビュフェ美術館)、そしていまは京都の大山崎山荘美術館でひらかれています(三月一二日まで)。堀江さんとはときどきお会いして、「クートラスの本」の話をしていました。そして今回、そのための連載をはじめることができました。S
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Fragments on Robert Coutelas
‘A tiny piece of cardboard, 12 cm by 6 cm in size, stiffened by multilayers of undercoating, was the artist’s unique “canvas”. On those cards in the shape of tarot cards, more than 6,000 in number, he kept painting in oils the most mysterious world of his.’
In autumn of 2003, when the exhibition of works by Robert Coutelas opened at the art gallery, Mukyo, in Ginza, Tokyo, I, then an editor of Geijutsu Shincho, the art magazine, asked Toshiyuki Horie, a novelist, to write an essay on Coutelas. Quoted above is an opening passage from his essay, titled ‘An atheistic saint’. Coutelas was born in Paris, trained as a smith and a stonemason, lived as an artist indifferent to fame, and died in poverty in Paris. While looking through his ‘cartes’ with Ayako Yamauchi, then a gallerist at Mukyo in charge of the exhibition (she writes Chapter three of this issue), we agreed that it must be Horie to introduce Coutelas to Japan, despite the fact that he had no knowledge of the artist before we asked him.
Time flies. Exhibitions on Coutelas have been held since then: at Musée des Beaux-Arts de Chartres in 2012─2013, at Shoto Museum,Tokyo in 2015, at Bernard Buffet Museum, Shizuoka in 2016, and currently at Oyamazaki Villa Museum, Kyoto, until March 12, 2017. Meanwhile, Horie and I have been planning to make a book on the artist. This essay, the new series, is the opening essay of the book. (S)
20170222
『工芸青花』7号、もうすぐできあがります。会員の方々へは来週前半に郵送します。ウェブサイトでの販売もはじめました。https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=164
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以下、概要、目次です。各章のリードも順々に掲載してゆきます。今号も、よろしくお願いいたします。S
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『工芸青花』7号
■2017年2月25日刊
■A4判|麻布張り上製本|見返し和紙(楮紙)|カラー224頁
■手織リネンの古布(ウクライナ)を貼付したページあり
■限定1000部
■税込12960円
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1|ロベール・クートラスをめぐる断章群
花壇に眠る人 堀江敏幸
2|川瀬敏郎 シンをいける
「しん」の花道史 井上治
一元的な花 川瀬敏郎
川瀬敏郎の花 井上治
3|生活工芸と作用
生活工芸のこれまでとこれから 安藤雅信
自力と他力 赤木明登
対談 作用とはなにか 小林和人+山内彩子
作家紹介 小林和人/山内彩子
4|うつわのはじまり
秀衡椀 赤木明登
5|秦秀雄と私
李朝のぐい飲ほか 秦笑一
柳宗悦と秦秀雄 月森俊文
秦秀雄小伝 片柳草生
秦さんに教わったこと 松井信義
美の使徒 青井義夫
「珍堂」先生の目線 杉本理
秋草の線 勝見充男
香炉を杯とすること 小澤實
我無き後に 秦秀雄の日記と遺書 秦笑一
20170220
今週木曜(23日)夜は、古典学者・河島思朗さんの講座「ギリシア・ローマ神話|アルテミスの物語」です(@自由学園明日館|目白)。アルテミス(ローマではディアナ)はゼウスの娘、アポロンの双子の兄妹、狩りする女神として彫刻、絵画に多く描かれてきました。……
〈ベルニーニの彫刻のすばらしさも、神話を知らなければ半減してしまいます〉(前回アンケートより)。はじめての方も理解していただける講座です。早春の夜の明日館(FLライト設計)もぜひ。S
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=152
20170210
あらたに高木崇雄さんのブログ「工芸入門」をはじめます。工芸とはなにか、を考えるための時評です。高木さんは福岡「工藝風向」の店主であり工芸史家、青花の会の編集委員でもあります。……
第1回は「鈴木召平の新羅凧」。写真が鈴木さんです(撮影者は鈴木さんの知人で、昨年末になくなった「珈琲美美」の森光宗男さん)。高木さんは福岡の大濠公園で、鈴木さんの凧をあげる会をつづけています。S
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〈もちろん、排除され「工芸」側に立たされた人々もまた、制度を作りあげようとしました。1920年代の「美術工芸」然り、1950年代の「伝統工芸」然り。ただ、そのいずれも、一つの基準に従って制度化され、その制度に擦り寄る制作が行われた時点で、工芸と名のついた美術に過ぎなかったのではなかったか、そう僕は思うのです〉
http://www.kogei-seika.jp/blog/takaki/001.html
20170208
今夜は青柳恵介さんの講座「古筆で読む和歌」の最終回でした。青柳さん、いらしてくださったみなさん、ありがとうございました。https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=150
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定家の恋歌を影印本で読んでゆきました。〈たづね見るつらき心のおくの海よ潮干のかたのいふかひもなし〉。〈おく〉は奥であり陸奥、暗きところであり、〈かひ〉は貝であり甲斐です。映像芸術なき時代に、映像的で、かつ索漠たる歌です。青柳さんが本講座のテーマを恋歌にした意味に、ようやく気づいた気がしました。ゆれうごく心、それがむかしもいまも人の世のほぼすべてなのではないかと。
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3月の催事をお知らせします。「ギリシア・ローマ神話」は20回目、特別編として、毎年ローマに滞在されている河島さんによる「古代ローマの歩き方」です。ロマネスク旅行、能楽講座も残席わずかになりました。
■講座|金沢百枝|キリスト教美術をたのしむ23|新約篇4|キリスト幼年期
□3月3日(金)18時半@自由学園明日館ホール(目白)
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=161
■講座|河島思朗|ギリシア・ローマ神話20|古代ローマの歩き方
□3月23日(木)18時半@自由学園明日館(目白)
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=162
■旅行|金沢百枝さんとゆくカタルーニャ・ロマネスクの旅
□3月13日−19日
http://www.kogei-seika.jp/news/tour2017.html
■講座|能楽入門|全5回
□3月・4月・5月・6月・7月@矢来能楽堂(神楽坂)
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=149
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以下も引続き開催、募集しております。
■展覧会|生活工芸と作用
□1月18日(水)−2月15日(水)@la kagu 2F soko(神楽坂)
http://www.kogei-seika.jp/exhibition/201701.html
■講座|河島思朗|ギリシア・ローマ神話19|アルテミスの物語
□2月23日(木)18時半@自由学園明日館(目白)
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=152
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昨年多くの方にいらしていただいた「青花の会|骨董祭」、今年も開催します。会場数も出展者数もふえました。初日(夕方から)は青花の会員および御招待者限定です。
■青花の会|骨董祭2017
□6月9日(金)‐11日(日)@la kagu ほか全6会場(神楽坂)
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お待ちしております。S
20170203
『工芸青花』7号は2月末刊の予定です。以下、目次です。……
1|クートラスをめぐる断章群……堀江敏幸
2|川瀬敏郎 シンをいける……井上治、川瀬敏郎
3|生活工芸と作用……赤木明登、安藤雅信、小林和人、山内彩子
4|うつわのはじまり……赤木明登
5|秦秀雄と私……青井義夫、小澤實、片柳草生、勝見充男、杉本理、月森俊文、秦笑一、松井信義
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以下は3章のリードの一部です。〈生活工芸派の工芸観に影響をあたえたのは古道具坂田の坂田和實さんです。坂田さんの眼はありふれたもの(生活道具)にありふれていないもの(美)をみいだすというきわどい眼で、それに由来する、そうした自己矛盾的なきびしさと制約が生活工芸派の器の本質でもあると思っています〉。補足すると、私はひとまず以下のように理解しています。
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1|美とはありふれていないものがもたらす心理的作用。ありふれていないものとは色、形、素材、技術、サイズ等の稀少性
2|工芸とはヒトの手により作られた道具
3|工芸の美の起源。石器時代の左右対称の石斧等
4|工芸の美の意義。ヒトの格差を明示する記号(威信財)。集団(社会)の安定化に寄与
5|工芸の歴史A。稀少性(美)の追求。都市。権力者の道具。→美術
6|工芸の歴史B。一般性(機能)の追求。庶民の道具。量産。→デザイン
7|民芸の意義。Bの美の発見(初期茶人を参照?)による、近代日本が輸入した価値観(AはBの上位)の転倒
8|民芸の動機。価値観の借物性(外発性、軽薄性)への嫌悪
9|民芸の限界1。時代的限界による地理的視野の狭さ。→日本(東洋)の重点化
10|民芸の限界2。価値転倒の優先即ち民芸理論の教条化による美(稀少性)の忘却(柳宗悦以後)
11|古道具坂田の意義1。Bの美の発見者としての柳を継承(一般性と稀少性の両立というダブルバインドの超克)。民芸の限界(稀少性の忘却)の指摘
12|古道具坂田の意義2。Bの美の普遍化(日本中心主義の相対化。ただし例えばアフリカ工芸においても稀少的工芸は忌避し、一般性のなかに稀少性を見出そうとする態度=20世紀初頭の欧米のアフリカ工芸趣味とは異質、であることに注意)
13|古道具坂田の意義3。自身の美術館 as it is[写真]における古美術(工芸)インスタレーションの実践即ち工芸品の一素材化(構成要素化)による名品主義的単品主義の相対化。同インスタレーションの緻密化(精密な配置)による空間の芸術化(現代美術への接近。2014年民博コレクションによる「イメージの力」展「エピローグ」室の空間の凡庸性との差異に留意)
14|古道具坂田の動機。旧来の価値観(AはBの上位)を順守しがちな古美術業界(保守主義)への反発(自由主義)
15|生活工芸派の意義1。古道具坂田(的自由主義)への共感、憧憬、模倣がもたらすダブルバインド的制約の受容、実践による、一般性(ありふれた生活道具感=シンプル、無地、無国籍感等)と稀少性(一般性逸脱回避のための彫刻家的細心に基づく手仕事性=歪み/安藤雅信、ノミ跡/三谷龍二、刷毛目/赤木明登等)の両立
16|生活工芸派の意義2。作品の世間的普及による、稀少性重視の近代主義的=日本主義的・作家主義的伝統工芸及び現代工芸の相対化
17|生活工芸派の意義3。小さな作家主義(英雄主義からの脱皮/18参照)、作為の最小化(作ることの用心深さ/同)、内面性の放棄(表象主義の破棄/同)、一般性の稀少性に対する優先(主体の限定による作品の無銘性/同)による、柳+坂田的工芸観の実践
18|〈モノ派によって初めて、身体の存在性として把握された行為とその役割が、表現を英雄主義から脱皮させ人間と他の要素との等価の道を開いた。作ることに用心深くなるのはいわずもがなだろう。とはいえ作家の関心が、作ることとは別な方向を取るのは、もっと根本的なところに由来を持つ。それは一言でいえば、作家が世界の支配者然とすることをやめ、諸表現要素と和解を求めざるを得なくなったことである。近代的自我の崩壊を痛感する時代にあっては、人間のイメージの強引な対象化のような、表現の表象主義は破棄せよである。そこに作る主体の限定による作品の無銘性がみられる〉李禹煥「モノ派について」『余白の芸術』 2000年
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作用派の作品(工芸家がつくるオブジェ)のことを考えるために、『余白の芸術』を読んでいて、このほとんど民芸論のような一文を知りました。もの派にはもの派の背景があるはずなので、当時を知る安藤さん(彫刻科出身)にきいてみたいと思いました。ちなみに「生活工芸」という語は赤木さんがいいはじめたもので、「漆器=伝統工芸」という根深い固定観念をはらいのけたかったそうです。かれらの仕事は、以下のような文章のもつ観念性(たとえば〈伝統〉や〈生活〉など)にたいする批評として、いまも有効と思っています。
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〈我が国には、世界に卓越する工芸の伝統がある。伝統は、生きて流れているもので、永遠に変わらない本質を持ちながら、一瞬もとどまることのないのが本来の姿である。/伝統工芸は、単に古いものを模倣し、従来の技法を墨守することではない。伝統こそ工芸の基礎となるもので、これをしっかりと把握し、祖父から受け継いだ優れた技術を一層錬磨するとともに、今日の生活に即した新しいものを築き上げることが、我々に課せられた責務であると信ずる〉第63回日本伝統工芸展(平成28年)「趣旨」より
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「生活工芸と作用」展、開催中です(2月15日まで。於 la kagu 2F soko|神楽坂)。S
http://www.kogei-seika.jp/exhibition/201701.html