
74 李朝石筺
花(葉)は葉わさびの若葉です。三月を過ぎ、暖かい日が数日続く頃になると、屋上の草花も芽吹き始めます。昨日まで土色をしていたプランターに瑞々しい若芽を見つけるのはうれしいものです。芽は数日後には若葉の茂りへと変わっています。月並みな表現ですが、生命の息吹を感じます。この時期の草花は、生けるために切る気はしません。この葉わさびの若葉も、土ごとプランターから引き抜いて器に移しただけです。撮影が済んだら、またプランターに戻します。このブログが掲載される頃には、小さくて白くかわいい花をいっぱい咲かせていることでしょう。
器は李朝の石筺、莨を入れていたそうで、本来は蓋を伴う器です。仕入れた時から蓋はありませんでしたが、使い込まれた石味の良さに惹かれて買いました。金味、木味、土味、石味、骨董を語る時に何気なく「味」と言い出したら、骨董病はもう治りません。
伊勢屋さんのこと
小山さんが亡くなった翌年(2018年)の1月、私たちの主催する骨董の交換会(集芳会)に伊勢屋さんがやってきました。伊勢屋さんが集芳会に来たのは何年振りかです。「久しぶりですね」と声をかけると、「うん、癌でね、なかなか来れなくてごめんね」と以前と変わら笑顔で、こちらが驚く様な返事です。そう痩せても見えず、顔色も良く意外でした。「お元気そうじゃないですか」と応えると、もう10年も前に癌になり、手術と転移を繰り返しており、これから、転移した肺の抗がん剤治療が始まるとのことです。抗がん剤治療に入ると、副作用で、市場(交換会)に来る気力がわかないと言うのです。私も集芳会が済んだら、いよいよ抗がん剤治療の始まる身でしたので、人ごとではなかったのですが、「高木君は大丈夫?」と逆に訊かれて、返答に戸惑いました。「今日はよろしく」と応えて別れましたが、誰にも伝えていないはずの私の病を気遣われた様で、不思議でした。
「伊勢屋」は店の名で、本名は猪鼻徳寿と云う噺家の様なお名前です。歳はわずかに私より上でしたが、骨董界では大先輩でした。江戸書画や小粋な提げ物、細工物等が得意分野で、市場でもそれらの優品が出品されれば、他の追随を許さぬ買いっぷりでした。私が骨董屋になった当初、自在屋の勝見さんに連れられて行った書画専門の会(交換会)がありました。月に一度開催される会で、勝見さんは二度ほど出席し、その後はすっかり姿を見せなくなりました。和気藹々とした和やかな会でしたが、私は誰も知り合いがいませんでしたので、会話する相手もなくなり、好みの古画が出品されるのをただじっと待つしかありませんでした。昼食も一人で食べていたのですが、そんな私に親しく声を掛けてくれたのが伊勢屋さんです。昼食時には、こちらへと誘ってくれ、やがて競り場の席も「ここ空いてるよ」と、座る場を用意してくれる様になりました。
書画の会の場合、他の骨董と違い、品物をボテ(盆)で廻して下見をすることができません。出し売りと云って、畳に広げた毛氈の上に、巻かれていた軸をサッと広げ、会主の発句(競り値の掛け声)で競り(売買)が始まります。自身の席(会で暗黙のうちに決められた居場所)が競り場から離れたところにあれば、当然、軸のシミや破れ、補修等の細かなダメージを見落とし易くなります。しかし新参者の私では、軸の見易い位置に席を取ることは出来ません。その様な席に勝手に座ることが許されないのが暗黙の了解です。いつも人の背中越しに、出された軸を眺め、興味を惹く軸が出てきた時には「ちょっとすいません」と前に行かせてもらい、軸の荒れや落款印章を確認するのが常でした。
そんな私に、「高木君ここ」と席を確保してくれたのが伊勢屋さんでした。伊勢屋さんの脇に、私一人分の空きが自ずと出来上がっていました。やさしい計らいでしたが、会主でもない伊勢屋さんの独断に、参加者の誰からもクレームがつくことはありませんでしたので、その会に於ける伊勢屋さんの立場が理解できました。恐縮しながらも好意に甘えさせてもらい、翌月からも私は伊勢屋さんが示してくれた席を定位置とすることができました。
私と伊勢屋さんは商う分野も違い、様々な交換会に参加するまでは接点もなかったのですが、何かと親切にしてもらえたのは不思議でした。やがて、細々と数十名で開催していた私たちの会(集芳会)にも来てくれるようになり、時々はうぶ出しされた品も出品してくれるようになりました。私が会の進行等で先輩業者に注意され、落ち込んでいる時にも、「大丈夫、大丈夫」と笑顔で肩を叩いてくれるのが伊勢屋さんでした。
久しぶりに来られた集芳会で「高木君は大丈夫?」と気遣われた翌日、思い切って伊勢屋さんに電話してみました。「実は膵臓に癌が見つかって……」と伝えると、「ああ、そうなんだ」とやさしい声で応えてくれます。「誰にも言ってなかったんですが、分かりましたか」と訊くと、「うん、何となくね」との返事。「何ででしょう?」と重ねて訊けば。「何でだろうね」とこちらが拍子抜けする様な返事です。伊勢屋さんから癌と告げられたとき、私の顔に動揺か翳りの様なものが出ていたのかも知れません。「抗がん剤治療のこと教えてもらえますか」とお願いし、「いつでも」との返事で、翌日のお昼に伊勢屋さんに伺うことになりました。
*この連載は、高木孝さん監修、青花の会が運営する骨董通販サイト「seikanet」の関連企画です
https://store.kogei-seika.jp/