66 ローマングラス





私のブログには、すでに何度かローマングラスが登場しています。実のところ、ローマングラスはキライではないのですが、そこまで好きと云う訳でもありません。知り合いの店などに好みの品が有れば手に取り、買えそうな値なら買うといった程度で、無理算段してまで買った記憶はありません。このローマングラスも、まあ好きで、買える値段だから買ったものです。何だか興醒めの花器紹介になりそうですが、ローマングラスの花器には忘れられぬ思い出があります。

私が骨董を買い始めた頃、骨董の器に野花、と云った書籍が頻繁に出版される様になりました。秦秀雄氏や白洲正子氏を筆頭に、実に様々な骨董と野花の本が出版され、それらを眺めては楽しんでいました。川瀬敏郎氏の花の本を求めたのもその頃だったと思います。骨董好きの投げ入れ花とは大きく隔たる花と器の扱いは美しく、新鮮でした。その中にローマングラスを花器としたページがありました。

ローマングラスの表面に付く銀化は皮膜状で脆く、強く擦っただけでもポロリと剥がれます。それに水など入れてしまえば、銀化は容易に剥げ落ちてしまいますので、ローマングラスを花器に使うと云う発想そのものが、骨董好き、花好きの中には生まれなかったのです。それを川瀬さんはサラリとやっていました。花と器とは(花をいけるとは)こう云うことなのか……と、私は啓示を受けた様に思え、それ以来、自称ですが川瀬さんの隠れ弟子と勝手に思い込んでいます。




小山さんのこと その1


茶席の客として、鎌倉にあった青井さん(甍堂)の自宅奥の茶室に入り、度肝を抜かれました。仄暗い床に、象にのる普賢延命菩薩の仏画が掛けられていました。茶室の狭い床には不釣り合いな大幅ですが、鎌倉時代の見事な作です。亭主としてうやうやしく襖を開けた青井さんに、「これは」と訊ねると、取り澄ました様子で一礼し、こちらを見てニヤリと笑います。「買ったのか」と重ねて訊けば、してやったりと云う様子で、無言で帛紗捌きを始めたのですから、参りました。

この鎌倉甍堂茶会から半年ほど前のことです。「少々、茶の心得もあり......」と、酔った青井さんが語り始めました。「よく言うわ」と私。前にも都々逸だったか小唄だったか忘れましたが、この様な「少々」話があり、「聴かせてくれ」と頼むと、「うち水の〜」と気持ち良さそうに唄い出したのですが、「うち水の〜」から先が幾度やり直しても出てきません。「あれ、酔っぱらっちゃってド忘れしたかな」と本人は首をひねります。「うち水の〜」ほどでド忘れする都々逸だか小唄だかを「心得」と言うなと呆れはてた前科がありました。

またその類だろうと、「お手前は」と問うと、「まあ一応」と。「じゃあ、点ててのませてくれ」と云えば、「茶を点てるだけが茶の心得とは言わん」と、もっともな返答です。さらに「お前はどうなんだ」と突いてきます。「できる訳がないだろう」と応えると、然もありなんと勝ち誇った顔ですから、酔っ払い相手ながら癪にさわります。

「じゃあ、茶会をやろう」と私。「なに」と青井さん。私の提案はこうです。ただ茶を点てて供するのではなく、本格的な茶懐石をとり入れた茶席をお互いに持とうじゃないか……という話です。「できるのか?」と青井さん。「そっちこそ」と私。「俺は心得が……」「ハイハイ」。これで決まりました。半年後の来春、私がまず……と。

池上梅園の中に「聴雨庵」と云う茶室があります。かつての主人は藤山愛一郎。昭和19年、この茶室で東条内閣打倒の密議が行なわれたと云われていますが、戦後は大田区に寄贈され、池上梅園の一画に落ち着いた佇まいを見せていました。当時大田区民だった、店の早川さんが見つけてきてくれたものです。

栗八初茶会は「聴雨庵」で行なわれました。正客はもちろん青井さん、連れは甍堂の番頭さん2名です。3月の末であったか4月だったか忘れてしまいましたが、梅の咲き終えた園内は訪れる人もなく、まるで我が家の茶室の様にゆったりと使うことができました。

雛の節句に因み、掛け物は琳派風歌仙絵のかわいい男女の双幅。懐石向付は塩鮭(青井さんは刺身が苦手なので……)、新潟の地酒にのっぺい汁、炉の吊り釜でお粥といった趣向です。懐石が済んで、席替えの後、いよいよ亭主栗八の手前です。恭しく水指を据え、神妙に帛紗捌きを始めたものですから、懐石で気分良く飲み、したたかに酔っていた青井さんも驚いた様子です。「お菓子を……」と、すまして会釈をする頃には、すっかり酔いも覚めました、といった様子です。「してやったり」の初茶席でした。

知り合いに紹介してもらった茶の先生に「とてもムリでしょう」と言われながらも、半年後には見よう見まねの茶席亭主を楽しく勤め終えました。

さて、前置きがすっかり長くなりました。件の仏画を初めて見たのは、栗八茶会の返礼を兼ねた甍堂茶会でした。無事に済んで、居間で互いにくつろぎながら、「いったい幾らくらいするものなのか」と問う私に、「まあ、高木君ではムリだろう」と言いながら、「実はあれ(普賢延命菩薩像)は、まだ俺のものじゃないんだ」と切り出しました。「どうもあまり骨董のことに詳しくない人が、見てくれと持って来たので、借りて掛けてたんだよ」との話です。

その「骨董のことにあまり詳しくない人」が小山さんでした。



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*この連載は、高木孝さん監修、青花の会が運営する骨董通販サイト「seikanet」の関連企画です
https://store.kogei-seika.jp/

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