27 古銅細口花入





古銅の花入で比較的良く見かける形です。「鶴首花入」や「曾呂利(そろり)」とも呼ばれ、桃山時代より茶人にも親しまれており、秀吉や紹鷗、利休も所持していたことが、当時の記録から分かるそうです。大きさも大小様々ありますが、この花器はいくぶん大きめ、金味にも古格があり、姿はスマートですが中々の貫禄です。

花は菖蒲の葉。これは屋上からではなく、節句の菖蒲湯用にスーパーで買ったものです。軸は仙厓さんの鐘馗図画賛、「正気能ク邪気ヲ除ク」と読むのでしょうか、鐘馗と正気をかけた駄洒落ですね。絵も駄洒落も上手いものです。




小林正樹監督のこと その3


日本映画学校へ持参した、「これ一本」の広告案を監督の前に広げました。キャッチは「鋼鉄の日本映画/小林正樹の世界」、ビジュアルは発掘密教法具(平安時代の独鈷杵)を使った、モノクロのシンプルなものです。

監督からは、驚きと、満足そうな様子が伝わってきました。食通に料理を提供するシェフもこんな気持ちなのかも知れません。「それは独鈷杵と云われる密教法具で、平安時代のものです」と説明する私に、頷く監督。映画学校のスタッフは、監督の写真も作品紹介もない広告案に戸惑いながらも、「これで宜しければ……」と監督に尋ねます。「これで行きましょう」と監督は笑顔で即答されました。

「日本映画の発見」第1回「小林正樹の世界」は、連日立ち見の出る大盛況でした。制作したパンフレットも好評で、催事期間中は新宿の紀伊國屋書店でも販売されました。

広告屋(デザイナー)とスポンサーとの付き合い(交友)は、仕事が終われば解消する、その期間だけの淡い付き合いが常です。「また、お会いしましょう」と挨拶は交わすのですが、また会う機会はほとんどありません。私自身、そんな関係性が心地よく、仕事以降もお付き合いをした例は安西水丸さん等、数えるほどしかおりませんし、その交友も、思いついた時に少しだけ茶飲み話をする程度でした。当然、監督とも、催事が終われば関係が消える間柄でした。私自身は小林正樹映画の古くからのファンでしたが、監督は私のことなど知りませんし、お会いした当時、監督は72歳、私は36歳で、デザイン事務所を開設したばかりの駆け出しです。年も離れており、絆を深める要因(縁)などなかったはずです。が、監督には私が縁のある存在(人)に見えていたのかも知れません。

「また、いずれ」が現実となり、やがて監督と私は抜き差しならぬ事柄に足を踏み入れることになります。





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