65 国分寺古瓦





花器は古瓦で、丸瓦を逆さに置いて使っています。粗い布目の残る天平時代のものです。どこの国分寺瓦であったか、仕入れた折に資料のコピーをもらっていたのですが、いつしかなくしてしまいました。武蔵国分寺か下野国分寺だったと思うのですが、私の不精のために古瓦は本籍不明となってしまいました。申し訳ないことをしました。

花はノイバラの実とシモツケの黄葉した枝です。手折ったまま瓦に添えており、水を入れた落としは使っていません。晩秋から冬に向かう草木の中には、水に挿してももう水をあげる気配のない茎や枝があります。枯れ時を知る草木の習性なのかも知れませんが、哀れな様で愛おしくさえあります。




サイトウさんのこと その5


サイトウさんは、けっこう人見知りでシャイな性格かと思っていたのですが、老若男女、骨董好きなら誰でも好きといった感があって、関わってきた多くの方が、それぞれに懐かしい思い出をお持ちのことと思います。後輩たちには特にやさしく接していた様子で、今でもサイトウさんのことを話す後輩骨董商がいます。私は「へー、そうなんだー」と笑顔で応えるだけなのですが……。

そんな「へー、そうなんだー」と笑顔で応えてもらえそうな、サイトウさんと栗八とのエピソードがあります。

もう、20年以上前のお話です。客としてではなく、茶飲み話に……といった感じで時々は栗八に来ていたサイトウさんが、ある日、子猫を抱いてやってきました。まだ生まれたばかりの茶トラで、彼の懐でミャアミャアとよく鳴いています。

「どうした」と訊ねると、「千鳥ヶ淵で溺れていたので助けてきました」と。「えー、どうすんの」と重ねて訊ねると、「栗八さんで飼ってもらおうと思って……」と子猫を抱きながら笑顔です。「えっ、もういっぱいだよ」

当時から栗八は、近所の野良猫を見つけては保護して去勢し、家猫の様に食事を与えながら面倒をみていましたので、サイトウさんが子猫を抱いてきた時にも、すでに10匹ほどはいたと思います。内外への出入りを自由にさせていますから、常時部屋にいるのは数匹なのですが、家でも外でも、栗八の保護猫同士で縄張り争いのケンカをして騒々しい時もあります。新入りの子猫がやってくると、途端に今までいた猫たちは逃げだし、(存在に慣れるまでの間)しばらくは寄り付かず、ひと騒動起きるのが常なのです。が、そんな猫の習性をサイトウさんは知らないでしょう。

「いっぱいいるので、1匹増えても変わらないですよね」と彼が思っているのがわかるので、「サイトウさんのところで飼ったら……」と水を向けると、「いやー、うちは飼えないですよ」と笑いながら強く拒否し、「栗八さんが飼わなかったら、この猫はどうなるのですか」と、今度はこちらを責める口ぶりです。

「ちょっと貸して」と抱きとって、保護猫が1匹増えることになりました。ちょうど西暦2000年の年で、千鳥ヶ淵で拾われてきたので……名前は千(セン)ちゃん。雌猫でした。

この千ちゃんが、まあ、きかん坊なこと(雌だからきかん嬢か……)、栗八の保護猫始まって以来の傍若無人振り(猫なので傍若無猫か……)、先輩猫たちを恐れるどころか、皆蹴散らして我がもの顔です。動物は飼い主(この場合は拾い主)に似るといいますので、サイトウさんの中にも千ちゃん並みの傍若無猫(人)気質があったのかも知れません。

千ちゃんは、わがままいっぱいに生きて、2005年に突然亡くなりました。死因は不明です。



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*この連載は、高木孝さん監修、青花の会が運営する骨董通販サイト「seikanet」の関連企画です
https://store.kogei-seika.jp/

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