19 青竹筒花器 生野徳三作 





毎年暮れに、大分から青竹の筒花器が届きます。送ってくださるのは竹工芸家の生野徳三氏。青々として清々しい竹筒が、たっぷりの水で濡らした布に包まれて届き、毎年正月の床飾りとして使わせてもらっています。

生野徳三氏のお住まいは大分市内の閑静な住宅地にあり、山野草や竹林のしげる広い庭に茶室や母屋があり、「此君亭(しくんてい)」と名付けられています。この贅沢な場で毎月、骨董好きが蒐集品を持ち寄って楽しむ集い「恋壺会」が行なわれています。コロナ禍で3年間ほど中止されていますが、大分の骨董数寄者の質と情熱を支える、羨ましい集まりと思っています。

青竹に活けた枝は侘助です。栗八の常緑樹は椿と山茶花くらいで、松や榊の代わりにしています。軸は白隠の富士画賛、贅沢な新年を楽しんでいます。




水丸さんのこと その2


東急なのに西哲……。広報委員会でツッコミを入れる者は誰一人現れず(内心思ってはいても、駄洒落程度にいちいち反応しない、と云った紳士的な社風が東急広報委員会にはあったのかも知れません)、私自身が、スタンプラリーなんてやったところで渋谷の東急にそれほど人が来る訳がない、と思いながら作った、誰が見てもあまり楽しくもなさそうな告知広告ができ上がりました。

これが不思議と当たりました。広告が功を奏したのか、スタンプラリーが定着したのか分かりませんが、とにかく人気で、その期間は東急各店が、一時的にですが大いに賑わいました。もっとも、来てくれたのは子供と子供連れの親子で、肝心の若者はほとんど参加してくれなかったそうですが……。

子供でも何でも、狙っていた「人の流れ」が生まれたと喜ぶ面々に第3回が提案され、紳士的な広報委員会では誰一人反対する者もなく、翌年の開催が決まりました。前回は子供と親子ばかりだったと聞いたので、開き直って提案したのは、オサムグッズで人気のあった原田治です。原田さんは当初、依頼(キャラクター使用)を渋っていたのですが、ここで骨董好きが功を奏しました。縄文的と弥生的──偶然ですが、原田さんがそんなイメージで日本文化を探っている時期と重なっていました。ひょんなことから、日本文化の根源と云う、イラストや広告とは全く関係のない話題で大いに語り合った後、承諾の返事をもらうことができました。

原田治の起用は、当然ですが当たりました。前回の人気で満足していた広報委員会が、それに倍する賑わいとなった第3回で、すっかり気を良くしていました。もう子供でも何でも来てくれて賑わってくれれば良いと云う、新たなイベントの勢いが生まれていました。もちろん第4回が提案され、広報委員会で開催が決定されます。私は『ガロ』で好きだった安西水丸の起用を提案し、紳士的な広報委員会の面々から、すんなりと承諾をもらうことができました。



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