
72 宝筐印塔梵字塔身残欠
昨年の11月、新潮社倉庫ギャラリーで、川瀬敏郎さんの花会(SOKO KAKAI)と木村宗慎さんの呈茶会、それと私が展示を託された青花ネット花器展が開催されました。青花ネット会員に花器展への参加をお願いし、友人知人の多くが協力してくれ、様々な花器が送られてきました。その中にこの「塔身残欠」もありました。国東の石造品とよく似た石質で、欠けはありますが、梵字が浅く鋭く彫られており、鎌倉時代の希少な石造品と判断できます。塔身に彫られた梵字が摩滅せずにここまでしっかり残っているのは、発掘品ゆえでしょう。上面には穴も穿たれています。荷を解いた時、「欲しい」と思ったのですが、展示を任された特権を利用して買ってしまう訳にもいかず、最終日(3日目)まで待って、売れずにいたら買わせてもらおうと決めていましたので、会場でご覧になった方もおありでしょう。3日目の昼過ぎ、自分で棚から下ろして会計をしてもらいました。花器展の間、売れて欲しいような、売れずに残って欲しいような……複雑な思いを抱えながら、時々この塔芯を眺めていました。
花は椿の葉です。「椿の葉は一枚一枚丁寧に拭く……」、茶の本であったか、テレビ番組で観たのかもう忘れてしまいましたが、茶会では、客を迎える準備の中で、亭主は露地にある椿の葉も全て綺麗に拭き清めるのだと知って驚きました。亭主皆が茶会の度にその様な手間をかけているとはとても思えませんが、これが紅葉や桜の若葉であったなら「葉を一枚一枚丁寧に拭く」と云う展開にはならないのでしょう。椿は花はなくとも、常緑の葉も艶やかで凛としており美しいものです。椿の葉だからこそ「一枚一枚丁寧に拭く」に説得力のある気がします。
小山さんのこと その7
会(業者間の市場)での仕入れが思う様に行かぬ小山さんは、やがて、売らずに秘蔵していた品を一つ二つと手放す様になりました。『工芸青花』11号「精華抄」で栗八が紹介させていただいた、野田吉兵衛旧蔵の大きな木彫観音像も、蒐集家時代の小山さんが買って秘蔵していたものです。白洲正子旧蔵の十一面観音像と共にずっと自宅に飾っていました。ある日、店に立ち寄ると、その観音像が無造作に置いてありました。私が「売るの?」と訊くと「買う?」と小山さんが訊いてきます。おおよその買値を知っていましたので、「欲しいけど、高くて買えないよ」と応えると「幾らなら買える?」とまた訊いてきます。「え〜」と当惑しながら私が応えた値は、小山さんの買値の半分にも満たなかったと思います。「すぐにくれる?」と訊くので「いや、毎月100万が限界」と伝えると、「まぁ、良いか〜」とあっさりと快諾の返事です。この辺が小山さんらしいと云えばらしいのですが、うれしさよりも少し寂しい気持ちになりました。「大事にするわ」と伝えると、「売っちゃえ」と笑いながら言って、「栗八まで送ってあげるよ」と、観音像を車の後ろに積んでくれ、仏像と共に帰ってきました。
「古美術こやま」の移転案内が届いたのは、それから間もなくです。店は同じ南青山でしたが、1階からビルの上階へ移って狭くもなり、内装にこだわっていた前の店とはすっかり様変わりしていました。小山さんが会へ参加することもなくなり、私の足もすっかり遠のいた頃、「例の十一面観音像(白洲正子旧蔵)を売ったらしい」と云う噂が聞こえてきました。噂ではなく事実でした。ずっと以前、十一面観音像を某所で見せられた小山さんが買うかどうか迷い、私に相談してきた時、「蒐集品の半分を売ってでも……」と強く購入を勧めましたので、ひとつの時代が終わった様に感じました。
「小山さんが入院した」と青井さんから聞きました。「何で」と問うと「ちょっと前から癌だった」とのこと、大腸癌を患っていたそうです。「そうなんだ……」で二人の会話は終わりました。それから間もなく、2017年12月の暮れに小山さんは亡くなりました。亡くなった知らせは、青井さんからも小山さんの奥さんからも届きませんでした。その月私に、肝臓に転移の見られる膵臓癌が見つかり、抗がん剤治療が始まったはかりで、身内以外では青井さんにだけ知らせていました。今は高木に小山さんの亡くなったことを教えられないと思ったと、年が明けてしばらく経った頃、青井さんから伝えられました。
後日談──晩年は身の回りの骨董も手放し、すっかり寂しくしていたとばかり思っていた小山さんですが、金峯山経塚遺物のうぶ出しを行なっていたと、数年前ある人に聞かされ驚きました。真偽のほどは分かりませんが、本当だとすれば、小山さんが蒐集を始めた頃に買ってきた、件の蔵王権現鏡像で学んだ知識と経験が活かされたのかも知れません。
*この連載は、高木孝さん監修、青花の会が運営する骨董通販サイト「seikanet」の関連企画です
https://store.kogei-seika.jp/