*この連載は seikanet(骨董通販サイト)の関連企画です


45 弥生脚付小壺





大きなプランターの端で小さな実をつけた苺です。毎年、あまり大きく育ちませんが、5、6個は収穫できます。食べてみれば甘くて美味しいです。撮影は、スコップで周りの土ごと掘り出して、そのまま小壺に入れています。他の若草もふくめ、プランターの片隅そのままです。撮影が済んだら、また土ごとプランターに戻す作戦で、撮影は無事に終了。「苺さん、おつかれさまでした」




光さんのこと その3


光さんの青山のお店(永楽堂)は数年経つと閉じられ、店を訪ねる機会は途絶えてしまいましたが、ちょうどその頃骨董屋となった私は、市場(業者間の交換会)で光さんと再会することになりました。

市場で顔を合わせた私に、光さんは驚く風でもなく、「やっぱりきたか」と云った様子で笑顔を向けてくれました。光さんはすでにどの市場でもベテランといった様子で、東京美術倶楽部で開催されるいくつかの市場では、競り場の「振り」(オークションの際、どんどん上がる競り値を来場者に告げ、最終的に落札者を決める重要な役割り)を担当していました。慣れぬ市場でとまどう私のことを何かと気にかけてくれ、親しげに声をかけてくれるので、二人の関係を想像できぬ周りの方は驚いた様子で私たちを眺めることもしばしばでした。

光さんの住まいに近い東京郊外の骨董屋数名で開催する市場があり、光さんも会主の一人でした。「来ないか」と光さんに誘われ、出かけて行きました。近在の骨董屋さんはもちろん、都内や神奈川、静岡、京都からも業者の来る賑やかな市場で、国立の谷保天満宮を会場としていましたので、「谷保天会」という名前でした。

今になると分かるのですが、新参者は「荷」(競りに出される骨董品)が回ってくる、見やすい前列には座れません。そこは市場主に指定された、会に馴染みの業者(常連)用にとっておかれる席であり、たとえ空いていても勝手に座っていれば「そこを退いてくれ」と追い立てられます。新参者は後ろの方の空いている席に座るか、立ったまま競りに参加するのが暗黙の決まりです。

谷保天会に出かけて行くと、「まあ、そこへ」と光さんの指さす先に私のための席(座布団)が用意されていました。競り台の近くで、「荷」が目の前を通る特等席ともいえる場所です。光さんはじめ、会主の皆さんの厚遇があってのことでしょう。新参者の私は依怙贔屓ともいえる歓待での、谷保天会への初参加となりました。

月に一度開催される谷保天会に参加し始めて、しばらく経った頃です。谷保天会は売買の支払いが現金決済の市場ですので、高値の予想される品はそう多くは出てこないのですが、その日は私好みの信楽大壺が競りに登場しました。傷みの少ない、景色の良い大壺でしたので、当然にそれなりの値まで競り上がり、最後は私の声(提示値)で止まったのですが、売り主が「その値段では売れない」と壺を引っ込めようとします。光さんは売買を成立させようと、売り主を説得しますが、「その値段では……」と頑なです。

弱った光さんが、「高木くん、もうちょっと買ってあげてよ」と、今度は私を説得します。「買いたいど、持ってるお金が足りないからムリ」と応えると、光さんが「貸すよ」と返しましたので、「えーっ」と私が困っているのを見て、会場が笑いに包まれました。さっきまで壺の値段のやり取りで殺伐としていた会場が一気に和みました。すると壺の売り主が「もう、それで良いです」と苦笑いしながら、私の競り値(提示値)で壺を譲ってくれました。「ありがとうございます」と応える私に、光さんが「この〜」(上手くやったな〜)と言って睨みましたので、また笑いが起こりました。

会主による市場の進行とは、競り値のやり取りだけではなく、会の場を締めたり、和ませたりするのも重要な売買の要素です。光さんが仕切る市場は自然体でそれができていた、得難い存在でした。

尚、現金会(現金決済の市場)で、会主が出席者にお金を融通する(貸すこと)は常識的にみてもありません。



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