11 彩色土器皿 漢時代/ローマングラス皿







栗八の前には大きな墓地があります。江戸時代より続く由緒ある墓地で、中沢新一氏の著書『アースダイバー』によれば、干拓の進む以前はこの墓地までが海(干潟)だったそうです。栗八の場所は墓地を見下ろすかたちになりますので、渚の家(浦の苫屋)の立地になります。

その墓地に、春には見事な花を咲かせる花桃があります。木は墓地の際にあり、枝は外の路地に伸びています。花の季節には、いながらにして花見ができ、毎年花の咲くのを待ち遠しく思っています。2枚の皿に盛った青い実は花桃です。路地に落ち、側溝に転がっていたものを頂戴してきました。時期になれば、実は毎日数個ずつ落ちてきます。試しに屋上に植えてみたら、芽が出て花が咲きました。今は2代目が栗八の屋上で花を咲かせています。






デザイナー前夜 金井さんのこと その3


青年座で私を待っていたのは金井彰久氏、劇団公演を仕切るチーフプロデューサーです。呼び出された用件は不始末の謝罪要求ではありませんでした。「これをやってくれないか」と1冊の台本を渡されました。『淫乱斎英泉』。矢代静一の浮世絵師三部作の書き下ろしです。『写楽考』『北斎漫画』の2作を上演し、大きな反響を得ていた青年座にとっても目玉と云える公演です。それを、前回のパンフレットで大ミスをやらかした私にやってみろと云うのです。前作の『北斎漫画』は戸田さんが請け負い、斬新なデザインで好評を得ていた仕事でした。

「でも……」と応えに窮している私に、「あの印刷屋はもう使わない。他を頼んであるから……」とさらりと言いました。あの日の出来事を、プロデューサーである金井さんはロビーの片隅で見ていたのかも知れません。大失敗をしでかした私だからこそ、仕事を依頼してくれたのかも知れません。それも大きな公演を……。素人同然の私の起用は、金井さんにとっても大きな賭けであったと思います。「やらせてください」。私の中に仕事をさせてもらえる喜びが溢れてきました。これが、名実共に私自身の、デザイナーとしての最初の仕事となりました。

金井さんは青年座のプロデューサーとして、無名だった団員の西田敏行を『写楽考』の主役に抜擢し、世に送り出しています。映画『優駿』では、新人団員だった緒方直人を主役に推し、役者への道を歩かせています。金井さんは役者だけではなく、高木孝と云うデザイナーの卵をも拾い上げ、育ててくれた恩人です。

金井さんは2001年10月、65歳で亡くなりました。劇団葬が行なわれ、葬儀委員長は西田敏行氏が務めました。亡くなられて二十数年が経ち、いつしか金井さんの歳を超えてしまいました。私がデザイナーを退いたあとも、私の始めたデザイン事務所では青年座の仕事が続いています。金井さんが知ったなら、「やってくれてるか」と頷くでしょう。ようやく、少しは恩返しができているのではと思っています。



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