26 宋白磁瓶
肌も姿も優雅で美しい薄作端正な手付瓶(水注)です。花はなくとも存在感は際立ちますので、花をあしらうのは却ってむずかしい気がします。時にはこの様な古器にも……と挑戦してみました。様になってくれた気がします。小手毬ひと枝のおかげです。
小林正樹監督のこと その2
話は逸れますが、広告(デザイン)の仕事は、依頼を受けた内容(商品)に対して、複数の案を作り、提示するのが常です。もちろん、お勧めの案(A案)はあるのですが、それがクライアント(注文主)に受け入れられない場合を想定して、代わり(B案)を用意して行く、と云う訳です。
その広告案をクライアントに提示する場がプレゼンテーションです。クライアントに対してデザイナーが広告の趣旨を説明する場ですので、「如何にして我はこの案を提示するに至ったか……」と云う、もったいぶった説明をします。見ればわかる広告に、「如何にして我は」的な説明が必要なのかと、私は広告代理店時代からずっと思っていましたので、プレゼンテーションと、代案(別案)作りが最も苦手でした。
一発勝負、よくよく考えての(考えてなくても)「これ一本」と云う表現が好きでしたから、代理店時代も上司や営業とはよく揉めました。日本映画学校の広告では、いつも「これ一本」で通していました。これは、学校の広報担当スタッフや、主任(沼田幸三さん)との間に全幅の信頼関係が築けていたからこそできたことです。
後の出来事ですが、日本映画学校の学長が、今村昌平さんから映画評論家の佐藤忠男さんに交代することになりました。佐藤忠男さんとしては、今平さんの後を担う重責がありますので、学校運営の全てにおいて慎重かつ真剣に取り組んでおられたことでしょう。そんな佐藤新学長に、新年度の広告案をプレゼンテーションすることになりました。相変わらず一案のみの提示ですから、新学長も返答に困ったことでしょう。応えを躊躇っておられる学長に、同席していた沼田さんが「この方(俺のことです)は、新潟の出身で、お子さんは我が校(映像科)の受講生です」と伝えると、一瞬驚いた様子でしたが、「ハイ、わかりました。よろしくお願いします」と頷かれ、広告案の許可と予算を得ることができました。佐藤忠男さんは、私と同じ新潟市のご出身で旧国鉄マン、独学で映画評論家として大成された方でした。このプレゼンテーションは、越後人気質と、娘の在校が大きな後押しとなってくれたことは否めません。
さて、話は小林正樹監督に戻ります。学長の今村昌平さんにより「日本映画の発見」シリーズ第1回に選ばれた小林正樹監督に会うために、日本映画学校へ出かけて行きました。手にはポスターの案を持って……。
そして、いつもの様に「これ一本」を監督の前に広げました。
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