59 欧州木製扁壺





木製の扁壺で、「ルーマニアの水筒」と聞いています。知識がなく材質は不明ですが、軽くて硬い木をくり抜いて作ってあります。欧州や李朝のやきもの、日本の須恵、時代漆の酒樽にも似た形があります。一見不便で不安定にも見える扁壺が、なぜ文化の違う様々な国の人々に長い間使われ続けてきたのか、あらためて考えてみると不思議です。扁壺には、国や時代を越えた共通の何か(精神性)が隠されているのかも知れません。

花はホトトギスと、小さく赤い千萱(チガヤ)、長く伸びるのもイネ科の雑草で、ネットて調べたところではスズメノカタビラに似ていますが、実のところよく分かりません。イネ科の雑草の種類の多さは、豊かな土地(土質)の証でしょう。「豊葦原之瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」とは、イネ科の草々が山裾まで広がる風景を想わせます。




サイトウさんのこと その2


森下のサイトウさんのお店(一二三美術店)を訪ねた折に、置かれていた本に目がとまりました。「古道具に花 サイトウ ヤスヒコ」とあります。「あれ、本出したの」と問うと「ハイ」と応え、「恥ずかしくて言えませんでした」と……。本はその年の夏に出版されたばかりで、癌の治療中も編集作業を続けており、だいぶ気持ちを紛らわすことができました、とのこと。本の内容はタイトルが示すとおり、和洋、時代を問わずサイトウさんが好ましいと蒐めた、花器に転用の効く古道具(木工、金工、古陶)と野花の1冊です。ページをめくりながら「1冊買うよ」と伝えると、「イエ、良かったら差し上げますので持って行ってください」と言います。「じゃ、1冊もらって1冊買うよ」と応えると、笑顔で「ありがとうございます」と紙袋に入れてくれました。

当時、私はヤフオクの出品と関連させたホームページを開設しており、出品ジャンルに関する話や骨董の話題、展示会情報等を毎週載せていました。サイトウさんの本を早速とり上げたのは、彼への励ましに少しでもなればとの気持ちがあってのことです。

その原稿が残っています。2回に分けて転載させてもらいます。

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『古道具に花』の著者サイトウさんは、一二三美術店の店主、骨董屋です。屋号の“一二三”は“ひふみ”と読みます。サイトウさんは123デザイン事務所を運営していた元デザイナーで、数寄が嵩じて骨董屋になりました。その点では私と同様で、謂わば両業界に於いて私の後輩です。

デザイン業界では、“モノ”を売るための訴求力(インパクトの強さ)を求めるクライアントと、消費者のニーズ(見た目の心地よさ)を重視するデザイナーとの間で、1点の広告が生まれるまでに面倒なやりとり(修正と妥協)が延々と続きます。出来上がった広告は、そんなやりとりの苦労は一切感じとれないものですが、それはデザイナーの職人としての矜持であったりもします。そんなデザイン業界での面倒を捨てて、さっさと骨董屋へ転業し気楽そうな日々を送っている私を見て、サイトウさんが転業を決めた訳ではないでしょうが、心の片隅に栗八の存在があったのかも知れません。

サイトウさんはデザイナー時代から、栗八や甍堂の青井さん、自在屋の勝見さんの馴染みでもあり、彼のセンスの良い選択眼を皆高く評価していました。そんな彼が骨董屋になると聞き、少なからず動揺しました。その思いは、青井さん、勝見さんも同じだったと思います。一見、気楽そうに見える骨董屋ですが、陰謀詭計の落とし穴も多く存在します。“危うきに近寄らず”が賢明なのですが、同時に“虎穴に入らずんば……”の気概もまた必要な、厄介な仕事です。デザイン業界同様、骨董の世界にも客(蒐集家)であった時には見えなかった、モノを仕入れて売るまでの様々なやりとり(人と金銭のからむ葛藤)が存在します。はたして、純粋に“美”を求めてきたサイトウさんがそれに耐えられるかどうか……、私の気持ちの中に生じた動揺(不安)はそれでした。

そんな私自身が、サイトウさんを深く落ち込ませる仕打ちをしてしまいました。それは、一二三美術店開店を明日に控えた日のことです。

懸仏
一二三美術店開店の案内状が届きました。そこに鎌倉時代の懸仏が大きく載っていました。懸仏は開店披露商品のメインでもあったのでしょう。それはかつて私が「売る時があれば私に……」とお願いして、買ってもらった品でもありました。

私は開店の前日に「明日は行けないので、これから行きたい」と連絡をし、「待っています」との返事で、開店準備の整った一二三美術店を訪ねました。入口に小ぶりでシンプルな李朝の棚が置かれ、そこに李朝の白磁小壺やモダンな漆器が飾られており、茶席風に仕立てられた小部屋もあり、気持ちの落ち着くモダンな空間となっていました。

小部屋に案内され、ひと通りの挨拶が済み、「懸仏は……」と訊くと「明日、この床の間に」と、彼は空いた床を見上げました。「見せて」と頼み、丁寧に包まれてあった懸仏を出してもらい、手に取り、「で、いくら」と訊ねました。驚いた顔でサイトウさんは私を見つめ、無言です。私は「道具屋になるんだから、売りたい値段を言わないと……」と促します。

サイトウさんにとって今日の訪問は、単に祝福の意味で時間をとってくれた先輩の労い、と思っていたのでしょう。懸仏を、このタイミングで買い戻しに来たとは想像もしていなかったはずです。苦渋の表情でしばらく沈黙したあと、「では......」と応えるのが精一杯だったと思います。サイトウさんの気持ちの中では、(開店で来てくださるお客さんに見てもらいたので)今日持って行くのは勘弁してください、と切実に思っていたのでしょうが、そんな願いが通じそうにない私の雰囲気を感じ取ったのだと思います。

彼の示した金額は、私が売った値にわずかな利を加えたものでした。「買うわ」の一言で、懸仏は開店を明日に控えたサイトウさんの店から消えました。



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*この連載は、高木孝さん監修、青花の会が運営する骨董通販サイト「seikanet」の関連企画です
https://store.kogei-seika.jp/

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