画家・泉イネさんの原画展です。なんの「原画」かというと、服のブランド「45R」のシーズンカタログの装画です。ファッションブランドの本なのに、写真よりも絵が主役で、まずその意外性/反時代性に手がとまり、つづいて、その絵のしずけさに心もしずまる思いでした。小品30点ほどを展示販売します。
会期|2023年2月24日(金)-28日(火)
*2月24日は青花会員と御同伴者1名のみ
時間|13-20時
会場|工芸青花
東京都新宿区横寺町31-13 一水寮(神楽坂)
協力|45rpm studio
泉イネ IZUMI Ine
画家。これまでの作に、本にまつわる女性たちとの出会いにもとづく「未完本姉妹」シリーズ(2008年−)、ダンサー/振付家、批評家とのセッション「And Zone」(2011年/上野の森美術館)、休館日の美術館を舞台に美術家や振付家と企画した「休み時間ワークショップ」(2014年/DIC川村記念美術館)、佐渡や真鶴他へ通い、住み、風景を紡ぐウェブメディア「shimaRTMISTLETOE」(2018年−)、別府で作り手や繋ぎ手を迎える「(ゆ)」(2019年−)等。2022年は個展「紺|泉|イネ 1/3回顧展」(ギャラリー 空豆)を開催、グループ展「6 Artists」(ギャラリー小柳)にも参加した。「HERMES」ショーウィンドウ・デザイン(2010年)、「45R」シーズンカタログの原画制作(2020年−)等、企業とのコミッションワークも手がける。
今展によせて 服部一成(グラフィックデザイナー)
3年前、45Rのカタログの仕事を始めるときに、製品である服を泉イネさんに描いてもらえたら、と考えました。カタログという体裁でありながらその役割を逸脱して、自立した画集のようでもある、そういうものを空想しました。昔はカタログの類は絵で表現されていたわけで、江戸時代の和菓子の見本帳などとても魅力的です。最初に泉さんとはそんなことを話したはずで、その時点では僕はまだ気楽でした。出来上がってきた原画には、ぞっとするような凄みがありました。細い筆先に向かう集中力の圧にやられてしまいそうで、これを季節ごとに10枚ずつ描き続けるというのは異常なことに思えてきます。こんなことを依頼していいんだろうか、という気さえするほどです。
Someonenessについて 沢山遼(美術批評家)
2022年、美術館学芸員の坂元暁美さんが⾃宅内に開設したギャラリー「空豆」で「紺|泉|イネ 1/3回顧展」という展覧会が開かれました。それは、「紺泉」の号で作品を発表した後、現在は「泉イネ」として活動する画家が、「二つの名」で描いてきた作品群を展示するものでした。
私はそこに、「紺泉/泉イネへの手紙」という形式による文章を寄せました。文章の執筆に先立って、今回の原画展にも出品されているであろう、一連の絵を「空豆」で見ました。その原画は、イネさんが、かつての「紺泉」画風や、古い図案集を思わせるスタイルを使い、意図的に画風を操作しながら(つまり、現在の泉イネさんにとっての他者の画風を用いて)制作したものでした。対象となる服を精確に描写するこれらのイメージについて、「淡々と辛抱強くやれば、誰でも同じものが描けるはず」という意味のことをイネさんがふいに呟いたことを印象深く憶えています。
誰にでも描けるはずがないのですが、その絵が、厳密な観察に即した描写によるものであり、自由な個人表現ではないことは確かでした。しかし、対象を描写することは、たんにその表面を精確になぞることを意味しません。むしろそれは、事物の内実を把握することに関わっています。イネさんの絵は、織物の構造や染められた繊維の物質的な組成を解きほぐし、縫製や柄のパターンを、色彩と筆をつかって、裁ち切り、染め直し、仕立て直し、縫い直していくように描かれる。そうしなければきっと描けないような絵です。
かつて岸田劉生が写実に接近する過程で、自らを画家ではなく「画工」と自称したように、その作業=工程は、職人的であり、職人の仕事は「個」を超えたところにあるという意味で、「名」という個人の指標を手放してしまう、現在のイネさんの活動につながるものでもあったのだろうと思います。服のカタログは、イネさんにとって、そんな「画工」の仕事なのかもしれないと思います。
そう考えると、「誰でも描ける」というイネさんの言葉が示すところの「誰でも」は、実のところ、「個」を超えた「誰か〔someone〕」になることを意味するのかもしれない。もとより紺泉/泉イネとは、そんな複数の名のあいだを漂うsomeoneであった。イネさんの言う「誰でも」は、そんな特殊な「誰でも」性にほかならず、ゆえに「誰でも」できるものではない。今回の原画展に見られるのは、そんな「someoneness」かもしれません。そんな英単語はありませんが。
今回の原画展のテーマは「原画の工芸性」だと聞いています。柳宗悦が言うところの工芸の作り手である職人たちの「無銘」性もまた、個を超えた、そんなsomeonenessのことだったのだろうかと、きっとイネさんの原画を見て、私は安易にも考えてしまうに違いありません。