*延期/中止のお知らせ
3月27日(金)より開催予定だった「yamahon的工芸」展(神楽坂一水寮)を延期することにしました。新型コロナウイルスの感染状況および昨夜の都知事の会見をうけ、監修の山本さんと相談しました。
また、明晩開催予定だった山本さんの講座「工芸と私41」もいったん中止、日をあらためておこなうことにしました(お申込みいただいた方には個々に御連絡申上げます)。
直前のお知らせになり、まことに申訳ありません。なにとぞ御理解くださいますよう、お願い申上げます。(20200326)
伊賀の「gallery yamahon」と「京都やまほん」の代表であり、建築家でもある山本忠臣さん監修の工芸展です。gallery yamahon(2000年開廊)がいわゆる「生活工芸」ギャラリーの代表と目されるのは、あつかう作家や作品の質だけでなく、その立地、空間、展示、カフェのありかたなどもふくめた総合性によります。いいかえれば、「生活工芸」は作家や作品に限定して語りうるものではなく、yamahonのような (じつは)かぎられた「場」でおきていたことなのだろうと思います。今回の展示も山本さんにおまかせしています。下記の文章にもありますが、この20年、すなわち「生活工芸の時代」のあとさきを知る展観になるはずです。
会期|2020年3月27日(金)-4月5日(日)
*3月27日は青花会員と御同伴者1名のみ
時間|13-19時
会場|工芸青花
東京都新宿区横寺町31-13 一水寮101(神楽坂)
監修|山本忠臣
出品|浅井庸佑 荒井智哉 安藤雅信 岩田圭介 植松永次 金森正起 岸野寛 紀平佳丈 小澄正雄 辻村史朗 辻村唯 津田清和 中野知昭 中山秀人 林友子 古谷宣幸 三谷龍二 望月通陽 山田洋次 渡辺遼
講座|山本忠臣|生活工芸と私
日時|3月27日(金)19時-21時
会場|一水寮悠庵
東京都新宿区横寺町31-13 (神楽坂)
定員|25名
会費|3500円 *青花会員は2500円
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=327
山本 忠臣 Tadaomi YAMAMOTO
ギャラリスト/建築家。1974年三重県生れ。江戸時代から続く製陶所に生まれ、陶磁器に囲まれて育つ。建築設計事務所、工務店勤務後、故郷の伊賀に戻る。2000年「gallery yamahon」開廊。暮らしにア ートと工芸を取り入れることを提案する。 2011年「うつわ京都やまほん」開廊。2017年、寺町二条に移転し「京都やまほん」と改名。2008年「やまほん設計室」を開業、ギャラリー運営と並行して住宅や商業施設を設計する。 2017年「studio yamahon」と改名。
無の効用 山本忠臣
2000年に「ギャラリーやまほん」をオープンし、今年で20年という節目を迎えました。これまでお付き合い頂いた多くの作家やスタッフ、そして何よりお客様のおかげで今日があるのは言うまでもなく、この場をお借りして厚くお礼を申し上げたいと思います。
思い返すと本当にあっという間の20年でしたが、十年一昔と言われる通り、私がギャラリーを始めた頃とは、工芸を取り巻く状況も随分と変わりました。地方にも器を扱う店やギャラリーが増え、また工芸家の活動の場も、海外で展覧会を開くことがすでに特別ではない時代となりました。SNSなどを通じて工芸が世界に広がる昨今、私のギャラリーにも海外からのお客様が器を求めてお越しになります。時折、海外誌からの取材依頼もお受けしますが、その時に必ずと言っていいほど尋ねられることがあります。「どういう基準で作家や器を選んでいるか」という質問です。生活工芸から茶道具、平面作品やブロンズ作品もあり、また湯呑にしても2000円から20000円という金額も含め、文字通り多種多様な店なので、そのストレートな質問には戸惑ってしまいます。
埏埴以為器。当其無、有器之用。鑿戸牖以為室。当其無、有室之用。故有之以為利、無之以為用。(粘土をこねて器を作る。そこ[器の中]に何もない空間[空]があるから、器としての役割を果たす。戸や窓を貫いて部屋を作る。そこ[部屋の中]に何もない空間があるから、部屋としての役割を果たす。つまり形ある物に価値があるのは、形のないものがその役割を果たしているからである)
老子が「有」に対する「無」の根源的な働きを説いた章ですが、「有」をささえるものは「無」であることを示唆しています。形あるものだけに人は目をうばわれがちですが、何もないということは何かの役に立っていないようにみえても実はそうではなく、形あるものにその役割を与え、性格づけ、存在の価値づけをしていると言えます。
一つの器が持つ「無」は、空気感とも言い換えられると思いますが、私はこの空気感との静かな対話によって、作り手が素材から得た感覚、素材と向き合って生まれた形、作り手の姿勢や器物に対する思考に思いを巡らせます。もちろん自分が持ち合わせていない価値観と出会った時はすぐには判断できず、器を眺めては時間をかけて触れていくことになります。
そうしたことを繰り返し、20年の歳月が過ぎましたが、やはり言葉による蘊蓄には関心がなく、「無」(空気感)を感じること、器の声を聞くことでその本質を知ることが出来るように思います。器物に美を見出して来た日本工芸の歴史は、時代の空気と共に変化し、今もなお脈々と受け継がれています。取るに足らない雑器に人や自然の気配を感じ、そして自己を見つめる。器を通して私はそうした世界観を伝えたいと願うのです。