かつて『芸術新潮』の編集部にいたとき、日本民藝館の特集をつくったことがあります(2005年。08年に書籍化)。古道具坂田の坂田和實さんが民藝館の蔵品から22点をえらび、その選択について尾久彰三さん(民藝館学芸員。当時)、山口信博さん(デザイナー)に坂田さんをまじえて鼎談をおこないました。以下、引用です。
山口 柳宗悦と坂田さんの好みの違いって、たとえばどんなところですか?
尾久 はっきり違うのは文様にたいする考えかたでしょうね。柳さんは文様が大好きでした。具象、抽象を問わず、潑溂たる文様こそ工芸の美を代表するものと考えていました。(略)坂田さんは逆でしょう。おそらく文様なんてないほうがいいと思っているはずです。
それをうけて坂田さんは〈文様については尾久さんのいうとおりですね。絵画は別として、器類は文様のないものを探そうとしました〉と語っています。
3回目の「生活工芸の作家たち」展です。これまで「ふつう」「ふぞろい」と、生活工芸派の器をあらわす(と私が考える)テーマでつづけてきましたが、今回は「もよう」。柳にいわれるまでもなく、東西とわず工芸に文様はつきものです。日本の食器の歴史をみても、神具や寺什をべつとすれば、多くは文様を志向しています。しかし生活工芸派は無文、無地を志向した。あえて、だったはずです。2000年代、彼らの影響でクラフトフェアなどにならぶ器が無地ものばかりになった光景は、当時は思いませんでしたが、じつは異様な光景だったのかもしれません。なぜ無文だったのか。あらためて考えたいと思いました。
会期|2020年1月31日(金)-2月9日(日)
*1月31日は青花会員と御同伴者1名のみ
時間|13-19時
会場|工芸青花
東京都新宿区横寺町31-13 一水寮101(神楽坂)
出品|安藤雅信(陶)
辻和美(ガラス)
三谷龍二(木工)
もよう 安藤雅信
工業製品の釉薬を自作の器に掛け、様子を見たことがある。数十度の温度差があろうと下手な釉掛けをしようと綺麗に融けて実に優秀だが、均一で、風情つまり「もよう」がなくてつまらないと思った。自作の釉薬は溶融温度の幅が狭く、釉掛けという身体性が表に現れやすい。釉ムラだけでなく、粘土に加えた手の力や処理といった身体性も器の外面に現れる。「もよう」には感じとる力、読み取る力が必要なのである。
目に見えることと見えないこと 辻和美
大阪に行くと、時々立ち寄る場所に東洋陶磁美術館がある。特に韓国李朝時代が好きで、展示ケースのガラス越しにだが、見る、いや眺め回している。その中で時々、空間を一気に変えてしまうような力を持った白い無地の壺に出会うことがある。それは形の勝利とでも言おうか、制作者の心意気がそこに宿るというか、グッと心を摑まれその場から離れられなくなる一方、見る者を寄せつけない、圧倒する力を感じることがある。もちろんそこに儒教という宗教的理念の教えが見え隠れするのは否めない。華美を嫌った儒者たちは模様を器に施すことをことごとく禁じ、祭器と日常器に違いをつけることをも嫌ったという。
対して生活工芸に見る無地はその真逆で、生活者に寄り添う、邪魔にならない無地だ。音楽で言えば環境音楽のようで、衣類で言えば、白いシャツやグレーのセーターという感じであろうか。私たちが生きる今という時代は、優れた宗教家や政治家や教育者が、強いリーダーシップを持って引っ張って行ってくれない時代だ。制作者でもあり生活者でもある自分自身が、個人的経験値、つまり等身大のモノを作っていく時代だと思う。
私は生活工芸の無地には、あまり惹かれなかったタイプの方だ。ガラスで言えば透明作品が全盛の中、まるでガラスに服を着せるように柄や模様を作っていった。理由のひとつは、透明な無地を作るには私はあまりに、未熟な職人であったからだ。私にとっての無地は李朝の白磁壺なわけで、そこに至らないうちは別の表現でも良いと思った。また、私は生活工芸の特徴を無地とか色とか、素材などという、目で見えるところだけで判断することに賛同していない。むしろ、生活工芸は人々の日々の暮らしに溶け込み、人の記憶や感覚の中に入り込み、より人間らしい人間形成に関わっていくという(もちろん個人的信念だが)目に見えないことを信じてみようかと思っている。柄や模様を生活の中に取り入れていくことも重要な意味がある。器を家族4人で、模様を違えたり、自分の好きな模様を決める、選ぶなどという力、そんな日常のたわいないことが積み重なって人格が出来上がっていくのだから。
目を楽しませ、心を喜ばすもの 三谷龍二
僕らが子供の頃は、青いプラスチック製バケツの側面には、必ずといっていいくらい花柄の絵がついていた。バケツをデザインした人はきっと「辛い水仕事のなか、一瞬でも花束に囲まれたような気持ちになってもらいたい」と思ったのかもしれない。絵にはイメージを喚起する力がある。花柄の服や壁紙もそうだと思うが、辛い日常の「ここ」を忘れ、「ここではないどこか」へと連れていってくれる力があるのだと思う。
あの頃はバケツばかりではなく、至る所に絵柄がついていた。炊飯器や魔法瓶(保温ポット)、ご飯茶碗や皿にも。それでなくても物が多いなか、花柄も主張が強いものだから、とても煩く感じたものだった。「魔法瓶になんで花柄がついてる?」「これがなければどんなに気持ちがいいだろう」。僕は「絵柄付き」のものに、ほとんど腹を立てていた。
バブル期の頃は、さすがに花柄ポットはなくなっていた。でもそれに変わって、ゴージャスなブランド品が全盛だった。日本中が我を忘れ、バブル景気に酔っていたけれど、僕にはなんだか「狐にばかされて、木の葉をお金と錯覚している人々」のように見えた。
器も着物も調度品も、工芸は模様のあるものが主流で、作る人もそれを当たり前だと思ってきたように思う。きっと模様は人々の目を楽しませ、心に喜びを与えるからだろう。しかし環境によって物のあり方も変わる。ものが溢れ、装飾過多の時代になると、今度はものを机の上から一掃したい、と誰もが思うはずだ。
僕たちは明日への期待や、「ここではないどこか」といった、ありもしない幻想を追いかけることに飽き飽きしていた。そんな頃、「足下を掘れ、そこに泉あり」(ニーチェの言葉らしい)という言葉が、とても心に響いた。膨れ上がった幻想ではなく、等身大の自分を。そして足下の「いま、ここ」(生活)を掘り、耕すことを始めよう、と僕たちはそれぞれの場所で思ったのだろう。恐らく、それが生活工芸の時代だったのではないだろうか。
模様という「図」が器に描かれると、たちまち模様が前景化し、器胎は単なる「地」へと後退してしまう。模様が邪魔し、素地の豊かなテクスチャーの魅力を味わうことができなくなるのだ。「無文」にするのは、繊細で控えめな「地」と静かに向き合いたい、と思うからだった。
寒冷地に住んでいると、冬は長く、その分春がくるのがとても待ち遠しいものだ。そして春を告げる花は梅花だ。冬枯れた風景にほとほと飽きていた僕たちに、その可憐な白い花が、どんなにかこころに喜びを与え、目を楽しませてくれることか。「目を楽しませ、心を喜ばす」うつわの意味を知ったのは、そうした時だった。冬枯れの風景に咲く梅の花のようなもの。それは人が生きるために、なくてはならないものだと思う。
無地と模様、それぞれに魅力のある世界である。食卓の上でそれらを取り合わせる、その塩梅加減、バランスが要ということか。