2017年の「生活工芸と作用」展につづき、2018年も「生活工芸」にかんする展示をおこないます。〈2000年代初頭より、陶芸の世界を中心とした工芸の分野で、従来の工芸とは異なる、現代的なライフスタイルとの親和性を持つ新たな潮流が注目され始めた。これらは近年「生活工芸」の名で総称される〉(沢山遼「現代陶芸」『美術手帖』2017年12月号特集「これからの美術がわかるキーワード100」より)。従来の工芸となにがことなるのか、「生活工芸」を代表する3人の器を、「ふつう」というキーワードで考えてみたいと思います。




会期|1月25・26・27・28日(木金土日)
   2月1・2・3・4日(木金土日)
   2月8・9・10・11日(木金土日)
時間|13-19時
会場|工芸青花
   東京都新宿区横寺町31-13 一水寮101(神楽坂)
出品|安藤雅信(陶)
   辻和美(ガラス)
   三谷龍二(木工)


講座|安藤雅信|古道具坂田と生活工芸
日時|1月27日(土)20−22時
会場|一水寮悠庵
   東京都新宿区横寺町31-13(神楽坂)
定員|30名
会費|3500円
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=208


対談|井出幸亮+森岡督行|次世代が語る「生活工芸」
日時|1月28日(日)16−18時
会場|一水寮悠庵
   東京都新宿区横寺町31-13(神楽坂)
定員|30名
会費|3500円
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=207





作家の言葉  安藤雅信/辻和美/三谷龍二


──安藤さんにとって「ふつう」とはなんですか
毎日のこと。

──「ふつうの器」とはどういうものだと思いますか
「毎日使っても飽きがこないもの」は最低条件。「毎日使っているのに、いつも新鮮に見えるもの」は理想。

──「生活工芸的」とはどういうことだと思いますか
生活工芸は、物を作るにあたって社会をデザインすることが重要となる。社会をデザインするとは、環境・資源の問題、作り手・売り手・使い手・地域のありようなどを考えることである。その思考が前提にあれば、出来上がってくるものは自己表現の工芸と違ってくる。


──辻さんは、「ふつうの器」とはどういうものだと思いますか
一般に「ふつうのコップ」といわれた場合、どんなコップを思い浮かべるだろうか? 現代の多くの方が、ストンとした、ビール会社の景品にあったようなタンブラーや、デュラレックス社の強く、割れにくい、電子レンジもいけちゃうコップを想像するのではないだろうか? モノづくりを仕事にしていると、つい自分がやっていることが、「ふつう」だと錯覚しがちになるが、現代の家庭で、私たち工芸家が作ったものを購入し、それを使って日々を送っている人が、どれだけいるのか? 全人口の5パーセントにも満たないということをよく覚えておきたい。

そもそも私たちの器を使ってくれている方々は「ふつう」ではないのかもしれない。そして、私たちが「ふつう」と言っている器は本当のところ「ふつう」ではないのだ。「ふつう」のふりをしているだけである。以前から自分のプロダクトのなかに「ふつうのコップ」というタイトルのグラスがあるが、それは決して「ふつう」ではないという意味を込めたことを覚えている。「ふつう」でいたい、風景のなかに溶け込んでしまい、誰の目にも止まらないような物が「ふつう」なら、本当は、もうそこを狙った時点で、「ふつう」でなくなるような気がしている。

今回の展覧会で私は敢えて、前述のデュラレックス型や、キリンビールなどの景品でついてきたレトロなビールグラスを現代の工芸作家が作るとどうなるかという遊びに挑戦してみた。結果、まず、それを作り上げるまでに要した長い時間、機械と人間制作の工程の違いなどにモタモタして結局、量産とは全く違うものになった。うん、私の中で「特別なふつう」という場所に位置づけた。「そんなもんあるか!」というヤジが聞こえてきそうだ。

──「生活工芸的」とはどういうことだと思いますか
2010年から5年間、私は、金沢で開催された「生活工芸」展のディレクターに任命され企画に携わった。金沢の町に、長く息づく伝統工芸、日展などとの区別化に「生活工芸」という名前は都合が良かったのであろう。そもそも、「工芸」という言葉は金沢では市民に馴染みが深く、それに「生活」までついているのだから、日常生活で使う道具や器などであろうと、容易に想像がつく。ただ、その仕事を引き受けた私には、巷で使われはじめた別の意味合いを持つ「生活工芸」をこの仕事に取り込んで行ったほうが、面白い動きにならないかと考え、木工作家の三谷龍二さんや陶芸家でもありギャラリー百草のオーナーの安藤雅信さんらを、アドバイザーとして招き、多くの相談にのっていただいたのだが、結局そのころは実態が不明で、なんとも荷が重く、考えたあげく、「生活工芸とは何か?」とその答えを探すプロジェクトにしていったことを記憶している。5年の間、それに纏わる展覧会を3本、実践ショップ、モノトヒトを3年続けたが、定義付けるということは考えなかった。定義付けることにより、言葉の意味が急に狭くなり、説明的になり、各々が想像していた部分がなくなる。それよりも、多くのモノやヒトやコトを紹介できたのではないかと思う。そして、新しい言葉も使い手に揉まれて必要なら残っていくと感じていた。

今回のお題は「生活工芸的とは?」ということなので、この定義を尋ねられているのだと思うが、金沢で紹介してきたモノ、コト、ヒトに共通しているのは、人間の幸福の追求──衣食住にまつわる暮らしを整えることへの提案、だと言えるのではないだろうか。シンプルなことだと思う。ただ、それが全世界で同時に起きていることが面白い。外を見ていた人間がもう一度、家に戻り、家を整え、部屋、テーブルを整え、家族や友人に時間を費やし、良いものを食し、自分自身の身体を整え、内面を見つめ、心を鍛え、人間としての成長に幸せを感じていく、そういう人間の営みの一端を担うのが私たち生活工芸の仕事だと思って毎日作っている。もちろん、それはまだまだ、少数派だということもわかっているが、つくり手として、理想を掲げるのは許していただけるだろうか?


──三谷さんにとって「ふつう」とはなんですか
あなたの作品は「フツー」だね、と言われることは、一般的には否定的なニュアンスが強いですね。取り上げるようなものがなにもない、とか、凡庸でつまらないモノ、という意味であったり。でも言葉の意味というのは、奥行きや幅があるものです。僕は、市井に生きるひとびとの生きる場所を、とても価値のあるものだと思っていて、自分もそういうところから離れないで、生きていたいと思っています。だから抽象論より身近な問題の方を大切に考えたいし、仰ぎ見る美を追うことよりも、目線の低いものの見方を常に心がけたいと思っています。

──「ふつうの器」とはどういうものだと思いますか
普段使いの器、身辺雑器のこと。そして、時代を超えて人々に愛されてきた、普遍的な形の器のこと。

──「生活工芸的」とはどういうことだと思いますか
人々の暮らしから離れてしまった工芸を、もう一度身近に引き寄せようと考え、実践した工芸のこと。そして、工芸が「生活」から離れてしまった理由は、美術を憧れ、同じように「作品」的でありたいという願いが強かったからではないかと思っている。工芸は、美術と工業の間にあり、残り物のような扱いを受けていた。だから自分たちの地位向上のためにも、ジャンルとして「自立」したものにしたかったのだと思う。しかし、そうした作品主義や作家像も、1970年代以降、個性や新奇性の乱売から、あるいは西洋中心主義であった近代そのものの行き詰まりから、その魅力を失っていった。生活工芸はその後に出てきたもので、「作品」的であることから離れ、作家でありながら、受け手、使い手の側に重心を移したものづくりの方法を進めた。それが、一個の「作品」としては強いものではないけれど、人々の暮らしとつながること、社会や他者と関わることに結びついたのだと思います。










生活工芸の「ふつう」  菅野康晴(工芸青花)


「生活工芸」という言葉にはいま広義と狭義があって、今回は狭義のほうです。2010年から12年まで毎年、金沢21世紀美術館で「生活工芸プロジェクト」展がひらかれました(主宰は辻和美さん。安藤雅信さんも企画協力者でした)。2012年と14年には高松で「瀬戸内生活工芸祭」がありました(三谷龍二さんは主宰者のひとりでした)。「生活工芸」という語に狭義が生れたのはそのころです。

2014年に『「生活工芸」の時代』という本を編集しました。あのころ(そしてたぶんいまも)「生活工芸」について語る人の多くは狭義において語りながら、語義の狭めかたがまちまちだったように思います。生活道具という枠組は共有していても、骨董あり新作あり工業製品あり手工芸ありで、さすがにひろすぎて、「名づけ」の意味がうしなわれてしまうように感じました。これでは実のある議論が生れず、「名づけ」の動機、真意であったはずの概念化、歴史化がはたされずに終りそうでした。

それでいいという人もいます。そもそもが消費社会における商品であり、そこで成功をおさめたのだから、時代を画した流行としてきえることこそ本望であり、本来的なありかたではないか。人々の記憶にはのこるわけだし──彼が「生活工芸」の概念化に反対なのは、それが権威化に似ているからです。工芸は歴史的にただでさえ権威化をめざしがちなのだから、あえて「名なし」で、草の根でありつづけることが批評性をもちうるのだと。

金沢と高松、両方の展示に参加した作家は5名です。赤木明登(漆)、安藤雅信(陶)、内田鋼一(陶)、辻和美(ガラス)、三谷龍二(木工)の各氏です。みなさん器作家です。私は彼らを「生活工芸派」とよぶことにしました。おもに1990年代から各地のギャラリーで個展をおこない、いわゆるライフスタイル誌でたびたび紹介され、いまだSNSなき時代にみずから文章をつづり、発表してきた個人作家です。もちろん5人はそれぞれに個性的で、共通点よりも相違点のほうが多いでしょう。それでも、「生活工芸」のひろすぎる語義を文字どおり狭義にするには、ここから(この5人の作品の共通性を考えることから)はじめるしかないように思いました。

なぜこの5人かというと、「生活工芸」と名づけられた(すなわちいちはやく概念化が期された)金沢と高松の両方の展示に参加したのはこの5人だけだからです。「生活工芸派」の定義はそれだけです。つまり、この「生活工芸派」という明示的な括りは、「生活工芸とはなにか」という本題を考えるとき、議論するときにできれば共有してほしい前提であり、補助線のようなものです(5人は稀少な被験者といえます)。したがって生活工芸派以外の作家の作品が「生活工芸的」であることもありえます。逆に、生活工芸派の作品であっても「生活工芸的」でないこともありえます。大事なのは、「生活工芸とはなにか」すなわち「生活工芸派の作品に通有する生活工芸的なるものはなにか」を考える(抽出する)ことです。それが概念化です。

ここからが(今回の場合は展覧会が)本題です。抽出のしかたは複数あると思いますが、取材をつうじて生活工芸派の作家たちと知りあいである私は、(そうした立場を生かすこともときに有用と思うので)彼らとかわした会話をもとに「ふつうであること」「なんでもないものであること」という特質を今回抽出することにしました。90年代からいまにいたるまで、彼らが(といってもむろん濃淡はありますが)自作を語るとき、ことにそのあるべきありようを語るときにしばしばもちいる言葉が「ふつう」や「なんでもないもの」だったからです。

〈白洲正子は「なんでもないもの」が好きであった。(略)秦秀雄の『名品訪問』で、白洲さんは「どういう傾向のものが欲しいの?」という問いに対して「有名なものでいえば、長次郎の無一物っていうようなもの。何でもなくて、そして何もかもあるもの。平凡なものがいいね」と答えている〉(青柳恵介「なんでもないもの」)

名物、名所、名人の「なんでもなさ」をみいだしてことほぐのが白洲正子の文業であり、おそらく当時は批評的でありえたのだろうと思います。もしこの引用のようなものいいを紋切型に感じるとすれば、それはいまが白洲正子以後だからです。

作為のかたまりである長次郎茶碗に「平凡」をみいだす白洲正子の批評性とは、たとえば下手物(雑器)の無作為性(平凡さ)を称揚しつつ楽茶碗の作為性を否定した柳宗悦の批評(そもそもは権威主義的価値観の相対化でした)の相対化でした。反‐名物主義(柳)の相対化(白洲)がふたたび名物主義的になるのはしかたのないことですが、にもかかわらず、白洲の文章が批評的でありえたのは、名物名品に「平凡」という(柳的)価値観を接続したことのあたらしさによります(上記引用は青柳さんが撰した白洲正子の骨董随筆集の解説で、その書名も『なんでもないもの』です)。

したがって以下のような視点は、白洲の文章の反復に近いものです。〈戦国時代の大名物といわれるものから現代のプロダクトまで、日本人の美意識の中心にあるモノは、日用を目的とした普通の生活工芸品であり、そのナントモナイモノをナントモアルモノに変えてしまう眼の自由さ、深さ〉(坂田和實「ひとつ、エラソーな文章でも書きたいものだと」『「生活工芸」の時代』より)。つまり「なんでもないもの」も「ふつう」も、それを柳的、白洲的にもちいるかぎり、工芸を語る概念としてはすでにあたらしさをうしなっており、いまや紋切型のひとつでしょう(坂田さんがそうだという意味ではむろんありません。坂田さんはずっとそういいつづけてきたのだから)。生活工芸派の登場ももちろん白洲正子以後なので、彼らの「ふつう」が、柳的、白洲的「ふつう」とどうちがうのかが焦点になります。

坂田さんの批評性は、たとえば以下のような文章によくあらわれていると思います(2006年に渋谷の松濤美術館でひらかれた「骨董誕生」展の感想。坂田さんも出品者のひとりでした)。〈初日のオープニングパーティは背広を持っていないのでとお断わりしたのですが、平服でも大丈夫だよと諭され、館の入口までは行きました。が、黒塗りのハイヤーの列。またまた腰が引けてしまい、三〇分程附近を徘徊してようやく意を決して入館。(略)日頃から、自由な眼で、自分の責任でモノを見、選びましょうなんて言っていますが、いざいつもと違う立派な舞台に立たされると、私自身も既成の価値観や権威によりかかってしまって、全く気弱で困ったもんです。そこでもう一度、今度は所有者が想定していた建築空間に展示品が置かれた場面を想像しながら見てゆくと、利休は侘びた茶室、柳宗悦は骨太の民家、小林秀雄や白洲正子さん達は立派な御自宅。そこで各々が選択し、所持したフツーの日常工芸品は、見事に実力を発揮して空間と調和しています。建築空間あってこそのモノの選択なのです〉(同)

骨董や工芸にかんする坂田さんの文章の特色のひとつは階級意識のつよさです(それは柳や白洲の文章からはほとんど感じとれないものです)。上記文中でも〈黒塗りのハイヤー〉〈立派な身なりの紳士淑女〉〈お金持ちの方々〉といった語が、社会的経済的上位者をしめす記号としてつかわれています。読めばわかるように、坂田さんは自分をその一員とは考えていません。古道具屋を自称する坂田さんの立場(自意識)は以下のようなものです。〈価格の高いモノを扱う人達は「古美術商」といい、大きくて安いモノは「古道具」という分類。ちょっと前までは、人前で「古道具屋です」と言うのは少し恥ずかしかったけれど、今や、ファッションやデザイン業界から若い人達が続々とこの世界に参入し、「アート」という言葉に負けないくらい「古道具」という言葉はモダンな響きを持つようになりました〉(同)

坂田さんは物の美の相対性(不確実性)について言及しつづけている眼利きです。物は置かれる場所によって美しくみえたり醜くみえたりする。単純化すれば「物A+空間A=美」「物A+空間B=醜」ですが、大事なのは、ここで坂田さんがいう「空間」が、ホワイトキューブのような抽象的(匿名的)空間ではなく、〈侘びた茶室〉〈骨太の民家〉〈立派な御自宅〉のようにつねに具体的(記名的)〈建築空間〉であることです。いうまでもなく建築は社会的経済的階級の記号としてもっとも明示的なものなので、坂田的美の論理をつぎのように書きかえることができます。「物A+階級A=美」「物A+階級B=醜」

坂田的美は「ふつうのもの(なんでもないもの)」にやどります。その「ふつう(なんでもなさ)」とは、つまり、物と階級のつりあいがとれていることをさします(そのつりあい、ふつりあいをみわけるのが坂田的眼利きです)。その階級とは、物の所有者もしくは(鑑賞者、使用者としての)自分の階級のことです(やわらかくいえば「身の丈」です)。たとえば国宝の喜左衛門井戸(柳宗悦がその「平凡さ」を絶讃した茶碗)を上記の式にあてはめると「喜左衛門井戸+松平不昧公=美(ふつう)」であり「喜左衛門井戸+古道具坂田=醜(ふつりあい)」になります。

〈先日、根津美術館で国宝の大井戸茶碗「喜左衛門」を見てきました。(略)展示ケースの前で皆、息を殺して見入っていました。ゴクロウサマです。ところでウチで使っている飯茶碗とどちらが美しいかと、恐れ多くも考えてみました。ハッハッハッ、たいした違いはありませんよ。しょせんどちらも土でできている茶碗ですもの。ただし、アチラの方は少しカビらしきものが生えて汚れていましたヨ。それに、ウチの方が飯茶碗としては使い勝手がよさそうなんですワ〉(同)

柳や白洲の「ふつう(平凡)」になくて坂田さんの「ふつう」にあるもの、それは価値判断する主体の階級性の自覚です。そのちがいは大きく、決定的です。露伴いわく骨董、古美術は富裕者の〈高慢税〉であり、柳、白洲もいわゆる富裕層にふくまれると思いますが、坂田さんは自身をそうみなしていません。その差、すなわち自身の階級の自覚が坂田さんの骨董を批評的にしています。つまり古道具坂田の骨董とは(すくなくともその一面は)「富裕者の高慢税ではない骨董は可能か」という(階級闘争的)問いであり、「可能」というこたえなのです。〈坂田さんは、「民藝」の先をゆく、真の敗戦後の美の基準をつくろうとした人/村上隆〉(村上さんは坂田さんの骨董をアメリカのヒップホップになぞらえています)。古美術を享受する階級(富裕層)の、(多くは)守旧的権威的価値観にたいして、階級的他者(古道具屋)が外部性(〈安いモノ〉としての古道具)をつきつけたことにより、たしかに骨董の概念は拡張しました(〈高慢税〉ではない骨董が成立するようになりました)。〈今や、ファッションやデザイン業界から若い人達が続々とこの世界に参入し、「アート」という言葉に負けないくらい「古道具」という言葉はモダンな響きを持つようになりました〉と坂田さん自身が記すとおりです。

「生活工芸」の階級性についてはすでに小林和人さんが言及しています。〈個人作家が増え、脚光を浴び、街に住む私たちの食器棚に手仕事の器が行き渡るような状況になってきた反面、様々な場で物づくりを下支えしてきた職人の減少や高齢化の話は到るところで耳にする。また、クラフトと呼ばれる分野に注目が集まって来ている割には、自然と寄り添い、その土地ごとに受け継がれてきた固有の知恵を活かす物づくりは、もはや少数派になりつつあるということは残念である。/いま叫ばれている「生活工芸」とは、もしかしたら、都市や郊外に暮らす、ある一定の豊かさを享受する層に向けての言葉なのだろうか〉(「このところ耳にする機会が」『「生活工芸」の時代』より)

現状は小林さんの指摘どおりだと思います。しかし当初は作家たちにもそうした〈層〉はみえていなかったはずで、そこで彼らがおこなったことは、「自分にとってのふつうとはなにか」を自問することでした(そして「ふつう」の器をつくり、それがすこしずつ享受されるようになったのです)。その問いは坂田的問いであり、つまりは自身の階級を自覚することでした。その意味で生活工芸の「ふつう」は柳や白洲の「ふつう」ではなく、坂田的「ふつう」です。「器A+階級A=美(ふつう)」「器A+階級B=醜(ふつりあい)」です。

生活工芸派の器をあつかうギャラリーが美術系や美術工芸系ではなく、一時「暮し系」とも称された雑貨店やライフスタイルショップが多いこと、また紹介される媒体も美術雑誌や美術工芸誌ではなく、ファッション誌やライフスタイル誌が多いこと、その理由は彼らの器がおびている階級性ゆえでしょう。ライフスタイルも〈建築空間〉と同様、社会的経済的階級を明示する記号(表現)です。生活工芸の「ふつう(あるべきありよう)」とは、器と階級のつりあいがとれていることなので、それがつりあうのが(あるいはショップオーナーやスタイリストのスタイリングによってつりあっているようにみせることができるのが)後者だったのだと思います(いっぽう前者にとっては階級的他者でありつづけています。しかしそうした場を、あくまでも他者性を保持したまま占有する機会はもつべきだと思います。それにより既成の概念がゆさぶられ、ひろがる可能性があるからです。2012年に松濤美術館がおこなった「古道具、その行き先ー坂田和實の40年」展はまさにそうした契機になりました)。

生活工芸派とことなり、個人の工芸作家の多くはおそらく坂田的問いからはじめないでしょう。自身の階級の自覚ではなく、既存の階級の欲望を意識することからはじめると思います。権威主義的、もしくは商業主義的に。よしあしではありません。工芸とはそういうものです。多かれ少なかれ階級的です。

ではなぜ生活工芸派は坂田的「ふつう」からはじめることができたのか。坂田的「ふつう」が骨董の概念を拡張したように、生活工芸の「ふつう」は工芸の概念を拡張したか。今回の展示では、そういったことを考えてみたいと思いました。

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