「ふつう」「ふぞろい」「もよう」とつづけてきて、今年は「つどう」。昨年までは「物」が主題でしたが、今回は「行為」です。いわゆる「生活工芸」の眼目は物ではなく、物と人、物と場所、物と物といった関係にこそ生じるもの、と考えるようになりました。したがって、今展の出品作(全9組)は3人の共作です。それぞれにテーマがあり、監修者もいて(3人が3組ずつ担当)、そのプランにあわせて3作家が作品(構成要素)を新作しました。人と物が「つどう」ことでなにが生じるのか、御覧いただけましたら幸いです。
会期|2021年2月26日(金)-3月7日(日)
時間|15-19時
会場|工芸青花
東京都新宿区横寺町31-13 一水寮101(神楽坂)
出品|安藤雅信(陶)
辻和美(ガラス)
三谷龍二(木工)
講座|村上隆+赤木明登+安藤雅信+内田鋼一+辻和美+三谷龍二|「生活工芸」の時代
日時|2月28日(日)14-17時
会場|自由学園明日館講堂
東京都豊島区西池袋2-31-3(目白)
定員|120名
会費|4500円
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=533
「縮み」志向 安藤雅信
「生活工芸の作家たち」展も4回目となり、人と人、モノと人といった「関係」からテーマを問い直してみた。今回の「つどう」は、3人が発注し合い、用途に合わせた道具組をするというもので、違う素材がつどい、道具がつどい、作家のアイデアがつどうことになった。家に居る時間が増えた現在、これらの道具を使って楽しんでもらえたらと、各自がそれぞれに工夫して組んだ。
『「縮み」志向の日本人』という、李御寧の名著がある。日本人には何でも小さくコンパクトにまとめる志向がある、という分析で、納得する点が多々あった。今回、僕はまさに縮み文化を志向し、「中国茶箱」「酒器揃箱」「コーヒー茶箱」の3種の箱物を組んでみた。携帯するも良し、部屋の片隅に置くのも良し。いずれにせよ道具がまとめられていると、行為もスムーズかつコンパクトになる。お客様の前でお点前をする場合でも、袋から一つずつ出して広げてゆく楽しみがあり、それもおもてなしになるという利点もある。
先の著書には、入れ子型、折詰め弁当型、能面型といった類型が紹介されていたが、今回、器類は入れ子にして収め、全体は折詰め弁当のようになっている。静かに箱から出す姿は能面型かもしれない。
生活工芸の特徴の一つに、器が多用性を持つことがある。「中国茶箱」「酒器揃箱」「コーヒー茶箱」と命名したが、むろん他の用途に使うことも出来る。「縮み」志向も工夫の産物である。手に取られた方が更に工夫を重ねて、楽しんで頂けたらと思う。
つどわない集い 辻和美
器を作る理由の一つに、人と人とのコミュニケーションの保持のため、と考える時がある。つい難しく書いてしまいがちなのだが、人の暮らしのいろいろなシーンで、人と人が集い、話をして、お互いのことを知り、共感したり、時にはディスカッションしたりという時間が自分にとって、何より尊い時間だと思うのだ。作家としても、一番大事にしているのは、人への限りない探求と愛情であり、器自体ではない。私にとって、器はコミュニケーションを促したり、人の温もりを伝えたりする道具であればと強く願う。
ここ数年、世界の言葉や輸送や、それこそコミュニケーションの壁がどんどん突破られ、海外の方々にも作品が紹介され、さあ、自分の考える器をどんどん紹介していこうという最中、コロナの流行が始まり、世界中が止まった。私に何が出来る? ガラスとか作っていてよいのか? お店を閉める? 生きている間にこんなドラスティックな変化が起きるとは思いもしなかった。人と人とのコミュニケーションがテーマである私にとって、コンセプトさえも崩れ落ちかねない危機だ。自分の無力さに、しばらく、ドキドキが止まらない日々が続いた。
ただ、出来ることしかできないのも事実。数ヶ月すると、この状態の中、変化を早々に受け入れて動くこと! が必要なことと見えてきた。こんな時こそ、「集わない集う」を作らなくてはいけないと感じた。日頃から幕内弁当のように、いつも同じ顔ぶれだと言われる3人だが、いっしょに一つの作品をつくったことはない。コラボレーションをしたい! 「心の距離は密に」と思い、日頃からよく集っていて気心も作品も知れている、私たちなら、集わなくても、コラボ制作をすることが出来るのではないかと、提案させていただいた。多分普段の日々だったら、面倒臭い、忙しいと、反対されたかもしれない。自分もとてもやる気にならない企画、しかし、この特別な日々に、プレゼントのようにポロンと生み出された作品(そんな楽ではなかった)に、とても深い情を感じる。私が買いたい!
つどう 三谷龍二
ものの見え方は、それが置かれた空間に支配される。場にふさわしいものを選び、それをどう空間に配置し、しつらえるかで、ものの見え方が大きく違ってくるからだ。今回のお題「つどう」は、作家はただものを作るだけではなく、その外にも配慮し、そのものが置かれた空間や、ものとものの関係を十分に配慮できているか、それが問われているのだと思った。確かに工芸は作るだけでは成立しない分野だ。家庭の主婦が、器選びや盛り付けを工夫しながら、料理を楽しむこと。数寄者たちが長い時間をかけて選び、鍛えてきた「ものを見る眼」の系譜。こうした使う側が培ってきた豊かな世界があるからこそ、工芸は面白いのだと思う。きっと作家が一方的に自己表現するだけだったら、貧しいものになっていただろう。
家族で旅行に行くと、食事や宿泊代が驚くほどの金額になることがある。人数が多いのだから、当たり前だけど、あまり心臓によくない。同じように今回の「つどう」も、コップが4つ、お皿が4枚と、数を積み上げていくに従い、どんどんスペシャルなお道具になっていく。バラバラに見ればそうでもないのだが、これも仕方がないのだろうか。
今回の「つどう」展は、音楽で言えばトリオ演奏のようなものだろう。美しいアンサンブルが作り出せれば、きっと喜んでもらえるだろう。日本料理では、素材の味ひとつ一つが際立つことよりも、全体の味の調和(アンサンブル)を保つ事が大事だという。食べて美味しい、というそのシンプルな感想が重要だと。今回の取り合わせも、そのようになれば、と思う。
今回は、日々の暮らしで使える、二人分の朝食セットと夕食セットを作った。こんな器の取り合わせで食事ができたらいいだろうな、と思いながら。それとお昼は、天気が良ければ外で食事をするのもいいだろうなと、携行用の食器セットを組んでみた。花見の時期も近づいたので、料理を詰めたお重と一緒に、この食器箱(4人分のお皿、グラス、箸)をどうぞ。
「つどう」と言えば、クラフトフェアのことを思い出す。今年で37年目になるが、これまでを振り返ってみると、2006年から2009年の4年間が、内容的に最も充実した黄金期であったと思う。この4年間、次々と若い作家の初参加があり、その質も高く、毎年とても見応えがあったからだ。塊となって現れた彼らのほとんどは、1970年代に生まれた世代、20代に就職氷河期に遭遇した人たちだった。そして彼らの作品はオブジェのようなものではなく、器が中心だった。
クラフトフェアは、消費者と作家が直接出会う場を生み出した。それはどこかSNS時代の先行例のようにも見える。でも、大きく違うところは、ディスプレイを通してではなく、人と人が直に出会う、そのリアルな体験にあるだろう。また、クラフトフェアでは、客と作家の出会いだけでなく、作家同士の出会いも重要だった。フェアで知り合い、その後例えば、陶芸、ガラス、木工などの作家たちが、自分たちで「三人展」を企画し、ギャラリーに持ち込み展覧会を開く、ということも盛んに行われた。今回出品している3人も自らギャラリーを運営しているし、クラフトフェアも作家が自主企画したものだった。「モノ」から「コト」へ、という時代性が反映しているのか、作家自身が「つどう」場まで考える、というのも、生活工芸のひとつの特徴だろう。