『工芸青花』17号(2022年1月刊予定)では、玄人好みの眼利きとして名高い奈良の茶人、無窮亭河瀬虎三郎(1888-1971)の特集を組みました。旧宅、旧席、旧什等ぞんぶんに取材できたのは、古美術商・小松義宜さんのおかげです。17号刊を機に、青花の展示室でも、小松さんの御協力のもと奈良にゆかりの展観をおこないます。指物師・松田栄哉旧蔵の法隆寺古材を主に、弥生や土師器などの花器ほか数十点を展示販売します。
会期|2022年1月28日(金)-2月1日(火)
*1月28日は青花会員と御同伴者1名のみ
時間|13-20時
会場|工芸青花
東京都新宿区横寺町31-13 一水寮101(神楽坂)
出品|小松義宜(honogra)
「あをに」展によせて 小松義宜(honogra)
「松田んとこの古材は法隆寺の古材だ」と言われたのも今は昔、そんな事を知っている人も少なくなりました。
松田栄吉 明治25年12月10日−昭和33年1月18日
松田秀雄 大正6年12月14日−平成25年9月24日
親子2代「栄哉」の名で古材を使い、指物をしてきました。栄吉はお茶、お花の松月御流の家元としても活躍し、そこは当時、奈良町界隈の文化サロンとして多くの人が集まったそうです。天理教の2代目真柱、中山正善(1905-67)も栄吉に魅入られた一人で、天理教変革期で多忙だったにも関わらず、栄吉との時間をつくるため、風呂を共にするなどして会話の時間をもったといいます。また山林王として知られる北村又左衛門(1902-85)も栄吉のお茶の弟子で、入門の動機は、栄吉と過ごす時間を得るためでした。こうした事からも、栄吉の博学ぶりと魅力的な人柄が窺えます。
昭和3年(1928)、栄吉はトラック23台分の古材を法隆寺より譲り受け、昭和13年「あかしや」の水谷嘉六と、東京美術倶楽部にて法隆寺古材の展観を行なっています。今回の「あをに」展では、松田氏よりお譲りいただいた同展出品の古材12点を、敷板として使い、花器などと取り合わせ、皆さまにご覧いただけたらと思っております。
『工芸青花』17号にて河瀬無窮亭、今回は松田栄哉親子に光をあてました。引続き奈良の残映をご紹介できる仕事が出来たらと思っています。