掃除が好きです。
床掃除やトイレ、風呂、換気扇、窓拭き、エトセトラ、いずれもまったく苦にならない質なので、家や店は割とこざっぱりとしている方ではないでしょうか。ただ、ロボット掃除機が掃除しやすいように床には荷物を置かない、とか、ミニマリスト的な生活を目指してなるべく荷物を捨てて家に置かないようにした、といった話とは無縁ですし、あまり好きでもありません。それ、ロボット掃除機に対する、あるいは社会が豊かであることへの過剰適合ではないでしょうか。捨てることが良いことならば、「捨てることが良いこと」という考えも捨てたらなお良いね、と思います。
そういえば、このごろ店頭でよく聞かれるのは、これは食器洗浄機にかけられますか? という質問です。研磨剤の入ってない洗剤を選んでいただければ、焼きものはだいたい大丈夫、硝子は温度差が出にくい方がいいので置く場所と形次第、漆は洗浄の水温で変色の可能性があるのと乾燥の工程が相性悪いので洗浄はともかく乾燥はお勧めしません、結局のところは運次第ですかねえ、などと答えます。気になるものは別で洗って、かけられるものをお使いいただければ、と。
先に念押ししますが、これは、手洗いが大切、という「丁寧な暮らし」の話ではありません。僕は皆が食器洗浄機を使えばいいと思っています。たまたま僕は使っていないけれど、それは家族が少なくて洗いものがあまり出ないし、食器洗いや食器拭きは別に苦にならないし、洗剤や水で手が荒れない、というだけのことです。使う、使わない、どちらが正しいという話ではないのです。
ただ、食器洗浄機という新しい道具が社会に普及していく過程で、器の価値が「食器洗浄機にかけられる」という〈食器洗浄機にとっての都合良さ〉に引きずられ、それが最優先基準となって、自分の選択の是非を食器洗浄機にお伺いを立てて、従わなくちゃならないのは、どうも嬉しくない。そう好きでもないものを、食器洗浄機さまがこれを使えと言っているから使う、ってことになってしまいそうで、怖い。
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