先日、こんな記事を読みました。
〈Amazonのアルゴリズムは、こうして「ディストピアな書店」をつくりだす〉
https://wired.jp/2019/06/08/amazon-and-the-spread-of-health-misinformation/
ネット上において、自分が支持する商品や作品に関する評価を故意に上げるために、複数のアカウントを用いたり、SNSを通じたレビューを多数投稿することで、まるでそれが多数派が支持する「事実」であるかのように振る舞う手法と、その傾向を助長する「おすすめ」アルゴリズムによって、不正確なうえ、今や公衆衛生の危機に至るような医療デマが力を振るう状況がもたらされている、といった話です。むろん医学的な専門家による反論はなされているけれど、「正しさに目覚めた」発信者にとっては、反論こそデマであり、その際に行うことは証明に耐えうる根拠を示すことではなく、自分が否定されない空気をより大きく醸成することなので、それは容易に達成できてしまう。公衆衛生の話にまでなると、人の生き死ににまで関わる話なので対応も始まっているようですが、そうでない分野、たとえば工芸における「正しさ」ってなんだろう、と思い、考えるとほとほと困惑してしまうのです。
先日、とある産地の陶工と話していると、新しく店を作りたいという人がまだまだ取引の依頼に来るんですよ、と相談されました。いいじゃない、焼きものだったらまだまだ渡せる数は取れるでしょ、と答えると、彼はこう言いました。来るのはありがたいんだけれど、話してても自分を選んだ理由がわからないのが怖い。どうもそんな好みじゃないはずなのに。なので、他にどんな作り手の器を扱うつもりなのかを聞くと、自分も良く知ってる、付き合いのある作り手の名前ばかりがあがってくるんですよ。で、だんだん聞いていくと、わかるんです。今、SNSとかでなんとなく名前があがる作り手が「正しい工芸」だ、ってこういう人は思ってて、だから、自分の好みと関係なく声かけてくるんだろうな、と。結局のところ、高木さんとかが俺みたいなのを良さげに紹介するからですよ、と笑いながら言われてしまう始末です。僕のせいかよ。
また以前、吹き硝子工の石川昌浩くんと話した際に、彼のところにも同じように来る店の話を聞きました。彼は以前記した通り(当blog第5回参照)、卸先の数を限定し、新規の取引は卸を通じてのみとしているため、その原則を伝えるんだけれど、石川さんしかいないんです、と言われてしまう。なんで、いや、そんなことないよ、他にも今から伸びる作り手、たくさんいるよ、もう20年働いてある程度形になった石川昌浩より、あなたと一緒に育つ次世代の石川昌浩となる作り手を探す方が楽しいよ、って言うんです。まあ、あんまり理解してもらえないんですけどね……、と。こういう話を聞くことが増えて、誰かが誰かを選ぶ、ということがわからなくなってしまう。そして、なんで彼らと仕事をはじめたんだろう、何が基準だったんだろう、と思うのです。
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https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=413