撮影=豊永盛人
2016年10月、沖縄県国頭郡東村高江のアメリカ軍北部訓練場周辺における反対運動のさなか、大阪府警機動隊員から「土人」呼ばわりされたことで、改めて目取真俊(めどるま・しゅん)の名が取り上げられました。僕は彼の短編『面影と連れて(うむかじとう ちりてい)』が好きで、しばしば読み返します。『目取真俊短篇小説選集3』(影書房)あるいは、池澤夏樹の編集による『世界文学全集・短編コレクション1』(河出書房)に収められた一編です。

沖縄のとある町で、町なかを流れる小さな川を眺めつつ、自らの昔の恋について近所の女の子に聞かせるともなく語る女性の一人称で話は進みます。語り手の連ねる沖縄言葉のリズム、相槌をうながすような語りのリズムに乗せられて、いつしか読者は幼い頃からの女性の人生を追体験することとなります。恋の時期は1975年前後、沖縄国際海洋博覧会、ひめゆりの塔事件のあった頃。1972年の沖縄返還をめぐる時代状況と重なり合いつつ、彼女の恋は突如クライマックスを迎え、物語は大きく転換します。どう転換するかについては敢えて記しませんが、読んでみると、これはまさに、能楽、特に複式夢幻能の前場における〈語リ〉と同じ構造になっていることに気付くでしょう。

〈複式夢幻能の語リ〉の例としては、能『実盛』などが適当かもしれません。『実盛』は、醍醐寺三宝院座主・満済が応永二十一年(1414年)五月十一日付の日記にも記載している、当時の京都での噂をもとに世阿弥が書いたと言われる曲です。

一遍宗の僧・遊行上人が加賀篠原において日々説法を行なっていた頃のこと。日参して説教を聴聞する老翁に上人は声を掛けるが、その姿は遊行上人以外には誰にも見えておらず、周囲からは上人が独り言を呟いているようにしか見えない。

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