森光さんにはじめてお会いしたのは、僕が高校生、鈴木召平さん(当blog第1回参照)が主宰する詩の同人に、恩師に誘われて訪ねた頃。それまで珈琲を飲むとなんだか熱が出る体質だったのが、鈴木召平さんが珈琲美美の豆で淹れてくれると体になじみ、召平さんの所で話をしつつ、珈琲をいただくのがとても楽しみでした。そのころ森光さんは召平さんの家の敷地内に住まわれていたので、よくお目にかかっていましたが、時折、なぜか写真の話をし、凧揚げの際にお会いする程度でした。それから20年弱を経て、珈琲美美の移転にあわせてお誘いをいただき、隣で店ができるというのはとても不思議なことです。
さる11月6日には有志により、福岡市内で森光さんの追悼コンサートを開催しましたが、音楽に先立ち、親交のあった大坊珈琲店(2013年にビルの再開発で南青山の店は閉店)の大坊勝次さんが森光さんの思い出を語りました。その中で最も印象的だったのは、大坊さんの「僕は珈琲屋だけど、彼は珈琲だった」という言葉です。森光さんはゲーテの色彩論やバッハについて色々話すから、そこから珈琲につながる何か理屈が出るのかな、と思って黙って聞いていると、結局、結論には至らない、でも、その話している森光さん自身がそのまま珈琲そのものなんだ、西脇順三郎の詩に「覆された宝石のような朝」という表現があるけれど、まさに森光さんは西脇の表現そのまま、宝石の内側から対象に向かっていく人だったし、同じ珈琲にたずさわる身としてそんな森光さんが愛おしい、といったお話でした。
ああいいな、これが知己というものだな、と思いますし、また、仕事が仕事をしています、だな、とも思ったのです。珈琲が珈琲屋をしているのだから、そこに余計な自分、といったものは存在しない。秦秀雄によって与えられた「美」という名付けにより、「珈琲にとって美とは何か」を自らの命題とした際、きっと森光さんにとっての答えは、自らを珈琲で満たし、珈琲以外の自分を追い出すことだったのではないだろうか、と。
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