役には、立たない。それが豊永盛人の仕事です。
もちろん「玩具ロードワークス」を屋号に掲げるだけあって、彼が作っているものは全て「玩具」なので、遊べます。ただ、張り子は水に濡れれば彩色が滲むし、落としてしまうとあっけなく胡粉が割れる。お面なんて、汗で濡れると膠が溶けて肌に張り付き、そのまま乾いてしまうと文字通り「肉付きの面」になってしまう。どう考えても子どもが遊ぶに適しているとは言い難い。しかし、なんだか、好ましい。
豊永盛人は1976年、沖縄県嘉手納町生まれ。沖縄県立芸術大学彫刻科在学中から、古作の張り子に関する資料を集めつつ自ら実作を行い、2002年、首里に「玩具ロードワークス」を開店。道路拡張にともなって2010年に店を牧志に移転。日々変わらず張り子を中心とした自作玩具の制作と販売を続けています。
戦前から存在する琉球張り子を踏まえた、ウッチリクブサー(起き上がり小法師)・ジュリグヮー(芸妓)・チンチン馬などの「古典」も作りますが、「鳩パン」や「羊の皮をかぶった狼」・ケンタウロス・天使の群れ、などなど、どこまでもふざけたものを、より多く作ります。張り子やお面といった立体だけでなく、カルタやすごろくといった平面の仕事も手掛けるので、カルタの為に描いた硝子絵の画像を目にしたことのある方もいることでしょう。
そんな彼の仕事の魅力がどこにあるのかをつらつら考えていると、いつも「役に立たなさ」ではないか、という結論になってしまうのです。それこそが豊永盛人の「工芸性」じゃないかなあ、と。
むろん、工芸といえば役に立つもの、用途を持つもの、という認識は明治時代から存在するものです。既に1886年(明治19年)には「美術工業品ノ要旨ハ実用ニアリ」(「美術工業ノ概論ーファルケ氏美術工業論抜萃」『竜池会報告』第十六号)という文章がありますし、フェノロサなども同様の主旨の発言を行っています。ただ、いずれも翻訳文書なり「お雇い外国人」の発言であることからもわかるように、このような「工芸の機能主義」もまた、「美術」という造語同様、輸入された概念であることに違いはありません。「応用美術」「美術工業」「美術工芸」「工芸」、言葉は異なれど、いずれも重なる分野を示しつつ、時代の要請とともに、美術と工業が定義を変更するに応じて追いやられ、その名前と地位を変えてきた、それだけのことです。
しかしなお、「美術」と「工芸」を対比して考える際には、常に「美」と「用」を軸とした視点が存在し、工芸を美術から分かつのはその「用途」「有用性」にある、という「伝統」に対する僕らの信仰はどうも根強いようです。例えば、工芸青花・七号で取り上げられている「生活工芸」という言葉には、「美術工芸」というかつての権威に対しての、「用」に基づく抵抗心を感じますし、OUTBOUND・小林和人さんの言う「機能と作用」もまた、そんな「美と用」をめぐるひとつの変奏と言っていいのかもしれません。
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