今年の土用の丑の日は7月27日でした。ご存知の通り、「う」のつくものを食べると良いから、という理由で、うなぎが売れる日です。

とはいえ、うなぎを取り巻く状況ははなはだ不穏です。環境省やIUCN・国際自然保護連合によって「絶滅危惧IB類(絶滅危惧IA類ほどではないが、近い将来における野生での絶滅の危険性が高い種)」にニホンウナギが指定され、しかも卵から稚魚、そして成魚まで持続的に養殖できる完全養殖にはほど遠い状況であるにもかかわらず、稚魚の漁獲高制限は実情を反映することなく、年々減り続ける漁獲高をはるかに超える数値に設定されており、まったく意味をなしていない。さらには、養殖に用いられる稚魚の半数以上は密漁、密輸入を介して取得されたものであり、反社会組織の資金源とすらなっている。それだけでも良い印象は持てません。もちろん、この状況に加担しているのは生産側だけではなく、科学的検証のできない稚魚放流や実効性の乏しい河川への器具設置などを「対策」とうたい、我々は保全に寄与している、と称してイメージをよく見せつつも、実際は違法状態のうなぎを取り扱う流通業者や、うすうすは状況の悪化に気づいていながらも、目の前にあるんだから廃棄されたら無駄になる、と開き直って売上実績を積み重ね、翌年の仕入れ予定数を高止まりさせる僕ら消費者も同じです。「共有地の悲劇」、つまり不特定多数が利用できる共有資源が制限なく利用され、枯渇を招く事例についての、なかなかわかりやすい具体例を示してくれています。

とはいえ、この現状を声高に言いたてて、誰かに対して批難めかしいことをいうつもりはありません。リョコウバトやドードーもさぞかしおいしかったんだろうな、つくづく僕らの住む社会構造は、欲望の調整ができないように設計されているな、と思いはしますが、それを「正しさ」で管理できる、管理するべきとは思えない。とある水産資源の研究者は、このような状況を止めうるのは、むしろ「後ろめたさ」の共有しかないのでは、と述べています。

そしてここから連想するのは、工芸だって同じだよな、ということであり、「工芸の稚魚」の乱獲をおさえることはできないかしら、ということです。

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