新潟白倉・鳥居〆 撮影=高木崇雄(下も)
このごろはスーパーマーケットや花屋、雑貨店の店先で色とりどりの装飾がほどこされたクリスマスリースのような注連縄を売っていて、あれはあれで可愛いらしいものではありますが、いっぽう、藁で編まれ紙の御幣を添えられただけの簡素な注連縄は、すっと形も清々しく、藁の香りも爽やかで、静かで高い空が広がる正月の空気にふさわしく、晴れ晴れとした心持ちになります。そんなわけで当店でも、毎年暮れになると各地の注連縄を紹介しています。伊勢・出雲・高千穂・天草・山形・高山・新潟・愛媛・京都・福岡・沖縄……、土地ごとに様々な姿、また海老や宝珠など同じモチーフの変奏があり、それぞれに面白く、また豊かな姿の注連縄は売る側にとっても見れど飽きないものです。

このような多様な産地のものを僕一人が取り扱うことは無理ですので、注連縄の会を行う際には、熊本で工藝店を営んでいる、とある方に卸をお願いしています。この方、あまり名前を書き立てられるのも好まれないかと思いますので「Kさん」とお呼びしますが、Kさんは毎年、春にならない頃から各地の作り手たちに声をかけ、量を頼み、技術を伝え、と各地の注連縄の産地を巡っています。この地域ではこの形があったはずなのに、いつの間にか忘れられてしまった、作れる人がいなくなった、などということもしばしばで、そのような時にはKさんがやり方を伝え、どうすればよい形になるのかを教えたりもします。

Kさん曰く、齢を重ねたからといって正しく技術を受け継いでいる訳でもないよ、この頃はすぐ暇な年寄り集めて注連縄ワークショップ、なんてやってるけど、今時の年寄りなんてそもそも縄を綯った経験が無いから太さも揃わないし、縄の綯う方向から違ったりするし、形も適当に写真見ながら作るから無茶苦茶だよ、「伝統的手法」なんて言ってながら、経済的に厳しい時代に妥協してやってた方法が新たな「伝統」扱いを受けてしまって、間違ったまま続いてしまってることだって幾らもあるしさ、などと口は悪いのですが、懇切丁寧に、諦めずに注連縄の取りまとめを続けています。Kさんを見ていると、注連飾りの会は、実際にひとつひとつ編んでいる人たちの仕事であると同時に、一年を掛けて全国を回り選び、崩れかけた仕事は育てるという、卸としての、Kさんの堂々とした〈創作〉なのだな、と思います。僕は「太陽の下、新しいものは何ひとつない(旧約聖書・コレヘトの言葉 1-9)」という言葉が好きなので、創作という言葉はあまり使いたくないのですが、これが創作でなくて何が創作かと思うのです。

そんなKさんの店で、以前お話を伺っていたとき、ふと、自身の店に並んでいる籠を見て、君、こういういい仕事がどうしてなくなっていくと思う、と聞かれたことがあります。使う人がいなくなったからですか? 違うね。若い人が従事しなくなったからですか? 違うね。暮らしが変わって材料がとれなくなった? いや違う。Kさんはにっと笑って、こう続けました。

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益田・房付き

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