工芸店などという仕事をやっていると、段ボールや新聞紙とは縁が切れません。作り手から焼きものや硝子が送られてくる際には割れないようにぎゅうぎゅうに新聞紙で包まれているし、またこちらから送る折にも同じ理由で欠かせない。沖縄から届く荷物に使われることの多い、厚めで痛みの少ない段ボールは特に貴重なので必ず確保。そんなわけでいつも、ある程度の量を倉庫に備えているのですが、とはいえ、出入りのタイミング次第では、置ききれないほど大量に余ってしまうことがあります。そんなとき、当店には心強い味方がいます。Sさんです。

店の2軒となりで謎の店を開いているSさんに頼むと、店の裏手に置いた余剰の紙を、いつの間にかどこかに持って行ってくれます。謎の店などというと失礼ですが、Sさんの店はいわば「ひとり蚤の市」で、Sさんはパリの郊外、クリニャンクールやヴァンブにいるのと同じ「デバラセ/片付け屋」なのです。夕方から夜遅くまで店を開け、拾ったものをSさんに買ってもらう人、またそれらをSさんから買う人で毎日賑わっています。時折はどこかで蔵出しか遺品の整理があったのか、たくさんの品が店先に広げられる。店の中は集まってきたものでいっぱいなのでお客さんは入れず、店先の路上で交渉をする。こどもの頃になくしてしまったもの、捨ててしまったものがきっとここにあるな、と思いながら毎日Sさんの店の前を通ります。そしてSさんの店とそこに集う人々の様子を見ていると、『モンゴ』という本のことを思い出します。

「モンゴ Mongo」とは1970年代に生まれた俗語で、「捨てられているがまだ使えるもの」を意味するそうですが、この本は、ニューヨークで日々生み出されるモンゴと、筆者によって「モリネズミ」「サバイバリスト」「トレジャーハンター」「アナーキスト」「幻視者」「ディーラー」「プライバシーコレクター」「考古学者」「保存主義者」「カウボーイ」などと名付けられた、モンゴを拾い集めることを生活の一部にしている人々を取り上げたルポルタージュです。道ばたに落ちているものを拾うのが好きなのは僕も同じなので(今も店で朝鮮の粉板を置いて使っている鉄枠も「モンゴ」です)、彼らがなにをどのように拾い、暮らしているかに興味があり、手に取りました。

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