9月のはじめ、ラオスから谷由起子さんが頒布会の準備のため、日本に帰って来たので、会いに出かけました。

谷さんはラオスの北方、ルアンナムターという場所で、レンテン族やクロタイ族、カム族といった人々が作る布を取りまとめ、共に働き、針路を示す仕事を1999年から続けています。この地域は中国との国境に近いため、近年の経済発展に伴い現金収入が日常の経済に占める割合を増し、暮らしが劇的に変化しています。今まで布作りをしていた女性が他の場に職を見つけ作り手が減っていく、化繊の布やプラスチック製品が日常の用具に入ってくる、テレビや携帯電話など消費生活を煽るものが増える。そんななか、谷さんは、中国南部から越境してくる工場仕事、現金仕事に働く人が流れてしまわないように、H.P.E.という会社を作りました。

そう聞くと、谷さんは手仕事を守る、意義深い仕事をしている、とつい思ってしまいがちですし、現にそのような紹介のされ方をすることも多いのですが、僕にはどうも、谷さんは自分がしていることを「いいこと」だとは思っていないように見えます。こうやって会社を作り、日本にラオスの現地の仕事を配ること自体が、ラオスでの仕事をも変えていくことに深い自覚と苦悩があるように見えるのです。谷さんから時折届く「HPE通信」というお知らせには、そのような苦闘のあとが記されています。かつてもっとも目についた言葉は、「悔しさ」でした。 ほんとうは、自分が最初に出会ったときの喜びを他の人に伝えようとしたいだけなんだけれど、このように先へ先へと進む以外に、この喜びを守る方法が無いという、足摺するようなもどかしさ。

こうした変化の中で谷さんは、自分たちの生み出す仕事の質と用いられ方をどこで維持するかについて考えつつ仕事を続けています。糸の質を保ちつつ生産量をある程度増やし、しかも日常に使いうる価格を維持するために、単に昔のままの仕事のやり方を維持するのではなく、日本ではとっくに使われなくなっていた八丁撚糸機を探し出して導入するなどの工夫を凝らしています。ラオスの人々と一緒でなければできない仕事のありかた、つくりたい布の姿がしかと胸の内になければできない困難な仕事です。そんな苦悩を通り抜け、大きな諦観を安心にかえて、谷さんはラオスの人々と新しい布仕事の運動体をつくりあげ、僕らにその成果をとてもやわらかく、やさしいふつうのものとして与えてくれるのです。

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