新潟県新津市、私の生まれ故郷です(現在は町村合併で「新潟市秋葉区」となっています)。駅前から歩いて十数分で抜けられる市街地を過ぎ、秋には稲束を干す「はざ木」と呼ばれる並木の続く水田地帯を延々と行くと、阿賀野川に面した沢海(そうみ)と云う村に出ます。

この村には珍しい施設があります。戦後早くに出来た「北方文化博物館」です。博物館は越後の大地主・伊藤家の敷地内、かつての母屋や離れを展示室として開放していました。広間の床には、平安時代の大日如来坐像が置かれ、その脇には、やはり平安時代の黒漆大壺。説明には「越後より燃える水(石油)を朝廷に献上した際に用いられた器」と書かれていました。各部屋の展示ケースには、中国・朝鮮、中東、日本の古美術品が飾られ、急な階段を上る屋根裏部屋には、埴輪や土器壺等の考古遺物が静かに並んでいました。中学生の頃から時々訪れては、庭に面した大広間に寝転びながらそれらを眺め、ひと時を過ごした思い出の場所です。

会津八一が滞在したと云う部屋が、大広間の裏にありました。床には八一の軸、長押にも八一の書が架けてありました。「骨董三昧」。八一独特の書風で書かれた扁額です。「骨董三昧」──甘美で刺激的な言葉でした。

いつ頃この額に気がついたのか、この言葉を好ましく思うようになったのか、もう忘れてしまいましたが、たぶん20代、山茶碗やそば猪口を買い始めた頃でしょう。「骨董三昧」、骨董を買いまくる。早くいっぱいお金を稼いで、骨董三昧が出来るようになりたい。そんな気持ちで眺めていたのだと思います。北方文化博物館へ行くたびに、その扁額を名号を拝む様に眺めては、心を熱くしていました。

あれから50年が過ぎました。骨董との付き合いは、業者となった今は当然ですが、50年間変わらずに続いています。もちろん業者となってからは、扱う量、目にする品数は以前と比較にならぬ多さです。余裕のなかった蒐集家時代とは比べようもありません。でも、骨董が好きで夢中と云う意味では、50年前から何ひとつ変わっていません。

今でも良い山茶碗やそば猪口が目の前に出てくればワクワクします。疵があっても、好みの古陶は見捨てることが出来ません。特定のジャンルにしぼって勉強し蒐集した経験はありません。いつも行き当たりばったり。好きな品に出合えたときが勉強でした。好きなもの、買いたいもの、買えるものを買い続け、それを楽しみ、味わい、50年間を過ごしてきました。まだ骨董人生を振り返るほどの長さではないのかも知れませんが、今日までの歳月が充分に「骨董三昧」の日々であったと、今は思っています。これからの「骨董三昧」は、少しでも会津八一の言葉(本来の意味)に近づけるよう生きていかなくては……そんな風に感じています。

「骨董入門」にお付き合いいただき、ありがとうございました。


北方文化博物館

「北方文化博物館」は越後の大地主、伊藤文吉氏により戦後すぐに設立された私立美術館です。地元発掘の考古遺物から、伊藤家の調度、茶道具や古書画等、さらに中東、中国、朝鮮美術まで、数多くを所蔵し展示しています。以前は母家を主要な展示スペースとしていましたが、現在は広い蔵を改造し、そこを展示にあてています。所蔵品や母家は「豪農の館─北方文化博物館」として公開されています。喫茶、売店、駐車場も完備され、県内外から多くの観光客が訪れる、充実の施設に改装されています。

新潟市内にも分館があり、そこは新潟に戻った会津八一が晩年の住まいとした場所で、良寛や八一の書を収蔵展示しています。分館のある近辺は旧齋藤家別邸や安吾 風の館(旧新潟市長公舎)、砂丘館(旧日本銀行新潟支店長役宅)等、様々な旧家が一般公開されています。











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