いよいよ初日、開場の2時間ほど前に「土の花」に着くと、整理券は20番台になっていました。20名以上の熱心なお客さまが前もって来てくれたと云うことで、心強くもあり、大きな励みとなりました。

中へ入ると、テーブルに布巾の掛けられた何かがあります。前日に用意した覚えのないものです。布巾をとると、おにぎりです。おにぎりと香の物がいっぱい……。順子さんが朝早く、私たちのために用意してくれたのでしょう。スタッフ共々、早速いただきました。これで、心身共に充実してお客さまを迎える準備が整った感がありました。

開場30分前、外にはお客さまの行列ができています。現在と違い、SNSもありませんので、古民藝展に並ぶ品の事前告知はまったくしておらず、買い物も早い者勝ちです。そこで、会場内で混乱が起こらぬよう、事前に30分間の下見時間を設けました。開場5分前には皆さんに一度外へ出ていただき、開催時間まで、番号札順に並んで待っていただきました。会場の外は、入口の階段から靴脱ぎを超えて道路までの行列になっていましたので、早くから来て入口近くに並んだ方は、靴を脱いで待機しており、結果的には相当に有利な状況だったと思います。

11時、予定どおりスタートした古民藝展は、予想を超えて大盛況でした。賑やかな中にも同好の集まりと云った和気あいあいの場内で、私は梱包に必死で相手もできませんでしたが、お客さま同士の笑顔や会話が絶えません。慣れぬ私たちの手際の悪さを救ってくれたのも、展示会を楽しんでくれている、そんなお客さま達の反応でした。開場間際の喧騒が過ぎれば、あとは静かです。昼過ぎからは、訪ねて来たお客さまとゆっくり会話もでき、スタッフも交代で休憩がとれました。

3日間の展示会が終わり、展示棚やテーブルを仕舞い、残った品を車に積んだ帰りがけ、見送りに出てきた順子さんに「これは、少ないけど……」と礼金の包みを渡そうとすると、「イヤ、それは要らない」と受け取ってくれません。実は会場費等、事前の打ち合わせを何もせぬまま、民藝展当日を迎えていました。いくら何でも特注の棚やテーブルまで事前に用意してもらいながら、お礼もなしと云う訳にはいきません。「イヤ、それではこちらが困る」と何が何でも受け取ってもらいたい私と、何が何でも受け取ってくれない順子さんとの押し問答が続きました。

「高木さん、今日は私を気分の良いままにさせて……」。順子さんにそう言われ、私はもう、返す言葉がありませんでした。戸田さんご夫妻や、お客さま、多くの善意に支えられて第1回の古民藝展は終わりました。この時は、以降7年間も続けることになるとは、夢にも思えぬことでした。


「古民藝展」小冊子

古民藝展は事前に品の紹介もなく、会期中も早い者勝ちで品を持ち帰ってもらっていましたので、あとから来たお客さまは、いったいどの様な品が並べられていたのか、まったく分からない状況でした。前夜からお客さんが並ぶ展示会、と、その盛況振りの噂だけがひとり歩きしていました。

「何が出ていたか見たい」と云う声を、多くのお客さまからいただくようになりましたが、展示品図録となると、小冊子と云えども費用はかかりますし、載せる品と云えば竹籠や民間仏等、実に些細な品ばかりですので、毎年その気持ちはあっても、躊躇していました。

古民藝展5年目の折、元禄時代の子どものいたずら描きが、壊した屏風の下貼りから見つかりました。偶然の出会いに感激すると共に、このユニークな一群を発見した顚末は記録として残すべきでは……との想いが募りました。

民藝と云えば、親しく交流を続けていた日本民藝館の学芸員、尾久彰三氏です。下貼り戯画発見の顚末紹介を、尾久さんにお願いしました。さらに、新潟の山間地から見つかる「馬板」と云う、特殊で素朴な山ノ神信仰の遺物について、熱心な民間信仰の蒐集家であり、フィールドワークの実践者であった岸和雄氏に解説をお願いしました。

以降の小冊子では、郷里(新潟)の恩師であり、新潟県民俗学会会長でもあった駒形さとし氏の「雪国の暮らし─北越雪譜の世界」、私の俳句の師匠であり、熱心な蒐集家でもある小澤實氏に「ものの魅力、ものの句の魅力」の一文を寄せていただき、内容のある刊行となり、今でも満足しています。

尚、「古民藝展」小冊子3シリーズ(限定)は完売しています。

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