買える範囲以外には心を動かさなかったあなたが出会った、買える範囲を超えた品。微妙に違う形や景色、わずかな寸法差、なのに価格は数倍……。それでも欲しい、どうしても欲しい。

この微妙な差こそが、骨董全般が宿命的に持つ、美しさや味わいの違いであり、価格の違い(高低)でもあります。その差に見合う対価を払えるかどうか……。眼利きとはその差を認め、それに相応しい対価を払える人を指します。特定のジャンルの真贋に一家言あるとか、古陶の窯名にやたらと詳しいとか、共直しやキズを素早く見つけるとかは、まったく別の専門性で、眼利きの範疇ではありません。

「眼利き」というのは、いくらお金があろうと懐具合は常に厳しいものなのです。それは懐具合以上の骨董を見つけ出す、研ぎ澄まされた眼を知らぬ間に獲得し、その眼が納得(満足)する骨董を探しているのですから、当然です。骨董病とは、眼利きだからこそかかる病です。あの益田鈍翁や原三渓でさえ、高額ゆえ購入を躊躇ったと云う逸話が残っています。

そんな眼利きのあなただからこそ出会ってしまった、即金では買えぬどうしても欲しい品……。何とか諦められるなら、縁のなかった品です。良かったですね。買えなかった自分を悔やまず(責めず)、スッキリと諦めてください。金策の苦労からも解放されました。いつかまた、懐に余裕のある時に出会えたら、「その時は……」の気概を持ち続けてください。

問題は、どうにも諦められない時です。これはもう、骨董の神さまのお導き、運命としか思えない。そんな気持ちになってしまった時です。「買うしかない」。でも、借金生活に逆戻りでは、何のためにここまで読み進めてきたのか……。解決する方法はただひとつ、お金を工面するしかないのです。1ヶ月ほどの猶予で支払いができ、店主が待ってくれるなら、「支払いを来月まで待ってくれるか?」と申し出れば良いでしょう。骨董の世界では1ヶ月延べの信用売買がプロの市場でもあり、大概の骨董商はその程度の延べ払いには慣れていますので、抵抗感がありません。了承してもらえたら、約束の日までの支払いで解決できます。

問題は「申し訳ないが……」と断わられた場合や、1ヶ月では工面できそうにない場合です。こんな時のために、今日までのあなたの骨董蒐集が活きてきます。蒐集品(愛蔵してきた品)が、あなたの窮地を助ける番です。

■骨董を売る
そう、彼ら(愛蔵品たち)に、お金に変わってもらうのです。今までたのしませてもらい、暮らしを共にしてきた品々を手放し、お金に替える訳です。できるなら、もう不要な品(今の自分なら手放しても良いと思える品)を優先させましょう。買ったあと、すぐに後悔して押し入れの奥に仕舞ってあった品も、思い出して取り出してください。食器棚もこの際、あれこれ探してみてください。あの運命の品のためなら……と手放せそうな品が並びましたね。あなたの目論見では、その品で、不足の支払いに間に合いそうですか? 1万円で買った品が10個あるので、だいたい7〜8万円くらいにはなるかな……と計算しているなら間違いです。あなたの将来のためにここで申し上げておけば、どんな目利きの品でも、売却時は買値の半額程度までしか見積もれません。これはプロが金策として蔵品を売る場合でも同様です。イヤ、プロはもっと厳しく、金策に窮しての売りものであれば足元を見られ、高く買い過ぎて売れなかった品か不良在庫の処分程度にしか思われず、10分の1程の値で泣く泣く手放す場合さえあります(実体験です)。蒐集家の品の場合は、ニセモノでもない限りそこまでの低評価はまずありません。

何故なら、熱心で眼の利く蒐集家には、これからも骨董との良い付き合いを続けて欲しいと願うからです。その様な蒐集家の存在があってこそ、自身の商いが成立していることを誰よりも良く知っていますから、眼の利く蒐集家が泣く泣く手放そうとする品に、酷な評価(欲の深い買い取り値の表示)をする骨董商はいません。あなたの信頼した骨董商なら、あなたの納得する価格に届くよう、誠実に品々と向き合ってくれるでしょう。

それでも、2〜3割引と目論んでは、思いの値に届かずガッカリする場合もあります。どうしても欲しい品に出会い、支払いの不足分を蒐集品で賄おうと思う場合は、おおよそですが買った時の半分、と思って算段してみてください。買い物の際にそれらの品を下取りしてもらうか、あるいは店主の出入りする市場(プロの交換会)に持ち込んでもらい、売ってもらうことも可能です。後者のほうが、お互いのリスクが少なくて済みますので、個人的にはお勧めです。

市場の売買は5〜10パーセントの手数料を取られますので、それを加味し、店主との間で売却してもらう際の手数料を前もって決めておかれたら良いでしょう。尚、どの様な市場でも必ず市場名のある、売り荷と金額の記載された売買伝票が出されますので、後にその写しを見せてもらうこともできます。

他の趣味と骨董蒐集の大きな違いは、所蔵品を手放す(再びお金に替える)ことができるところにあります。足りぬ分を、と手放した品(愛蔵品)が思ったよりも高く売れてくれたら、支払い金に余裕もできますから、うれしい何か……をまた探し始めることも可能です。この特性をうまく使えば、少ない資金でもレベルアップした蒐集を目指すことも可能です。ただし、使い方を誤れば、骨董を売買して小遣いを稼ぐセミプロとみなされ、業者や蒐集家間で芳しくない噂が立つようになったりもします。骨董ならではの特性ですが、その使い方を誤ると思った以上に厄介なことになります。

さらに詳しい特性活用法については次回。けっこう役立つブログになってきた気がする……。(自画自賛)


老子画賛 仙厓筆 江戸時代 紙本墨画 98×23cm

仙厓さんと云えばゆるキャラ的ヘタウマ絵を描いたお坊さんと思われがちですが、実は下手でない絵も描いています。この絵は捺されている印章から、仙厓さんが聖福寺の住職を辞し虚白院に隠栖した直後、書画三昧の日々を送りはじめた60代中頃の作品と思われます。

画題は牛に乗る老人(老子)です。若い頃(と云っても40代ですが……)から仙厓さんは、このような道釈人物画を好んで描いていた様子が、残された作品群からも伝わります。賛も何やら難しそうな漢詩です。見る側の知性と教養さえ問われている様です。絵に目を転じれば、最少の線で佇む牛を描いています。これ以上省略する線の見当たらぬ描き様で、プロ(絵師)の筆です。老子の左手が握る手綱の軽やかで力強い線!

そうなんです。仙厓さんの絵はヘタウマではなかったのです。普通に書も絵も上手い(もっと云えば、白隠さんよりだいぶ上手い)お坊さんだったのです。たぶんこの時代の禅画の技量では飛び抜けた存在だったと思われます。

なのに、何故ヘタウマに……。お話は次回に続きます。





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