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今回のブログは少し趣向を変えて、小林秀雄と青山二郎の骨董に対する眼(経験)の違いが明確に表れた、小林秀雄が初めて購入した骨董(呉須赤絵大皿)にまつわるエピソードについて書かせていただきます。ご一読いただければ幸いです。

■真贋
青山二郎と小林秀雄、古美術骨董に興味を持ってくださる方ならその名前はご存じでしょう。現在の骨董蒐集ブームの火付け役ともなった白洲正子の蒐集の師、先輩としても両名は有名です。青山二郎は柳宗悦の民藝美術啓蒙運動にも関わった、戦前からの蒐集家であり、また批評家でした。氏のもとには多くの文化人が集い、古美術や文学を話題とし、呑みかつ語る「青山学校」と後世に云われるサロンが形成されていました。その中に、骨董に目覚め、後年熱心な蒐集家となる小林秀雄もいました。

その小林秀雄の著作に「真贋」と云う一篇があります。友人であり古美術の師と仰ぐ青山二郎が深く関わる内容です。少々長いのですが、その一部を引用させていただきます。

〈或る時、鎌倉で、呉須赤絵の見事な大皿を見付けて買つた。私の初めての買物で、呉須赤絵がどうかういふ知識もあらう筈はなく、たゞ胸をドキドキさせて持ち還り、東京で青山に話すと、図柄や値段を聞いただけで、馬鹿と言つた。見る必要もないと言ふ。そんな生ま殺しの様な事では得心出来ないから、無理に鎌倉まで連れ出したら、思つた通りの代物だと言つた。日頃、文学の話ではいつも彼を凹ませてゐるので、この時とばかり思つたらしく、さんざん油を絞つた挙句、するなといふ独り歩きを生意気にやるからかういふ事になる、鑑定料に支那料理でもおごれ、と横浜の南京町まで連れて行き、焼き物だと思つて見くびるな、こら、といゝ機嫌で還つて行つた。その晩は、口惜しくてどうしても眠れない。床の中で悶々としてゐるが、又しても電気をつけて、違棚の皿を眺める。心に滲みる様に美しい。この化け物、明日になつたら、沢庵石にぶつけて木ッ端微塵にしてやるから覚えてゐろ、とパチンと電気を消すが、又直ぐ見たくなる。俺の眼には何処か欠陥があるに違ひない、よし、思ひ切つて焼き物なんか止めちまはうとまで思ひ詰め、一夜を明かしたが、朝飯も食へず、皿を抱へて電車に乗つた。新橋駅で降りると待合室に這入り、将来の方針が定まる大事だからと皿を取出し長い事眺めた。どうしても買つた時と同じ美しさなのである。もう皿が悪いとは即ち俺が悪い事であり、中間的問題は一切ないと決めたから、青山に数度連れて行かれた「壺中居」といふ店を訪ねて主人に黙つて見せると、彼は箱を開けてちよいと覗き、直ぐ蓋をして、詰らなさうに紐をかけ、これはいゝですよ、と言つた。私は急に気が緩んでぼんやりした。「どうかしたんですか、これ、戴いとくんですか」と言はれ、昨日の一件を話し、「もう二度と見るのも厭だ、置いて帰る」――彼は笑つたが、私は笑へなかつた。そこへ小僧さんがお茶を持つて来た。主人は皿を出して、「これイケないんだから、見とけ」と言つた。二人が雑談してゐる間、小僧さんは座敷の隅に坐つて見てゐたが、やがて情けなさうな顔をして「わかりません」と言ふ。「わからない? もつとよく見なさい」と主人はこつちを向いて了ふ。小僧さんは、皿を棚に乗せ、椅子を持つて来て、皿の前に坐り、黙つて動かなくなつて了つた。〉

いかがでしたか? さすが小林秀雄ですね。簡潔な文面の行間からは、氏の呻き声まで聴こえてきそうです。

ここからが本題です。この「真贋」を読まれて、ある方は「いったいあの皿はホンモノなのかニセモノなのか?」と疑問をもち、ある方は「何で青山二郎はあんな否定的なことを言ったのだろう?」と不思議に思ったことと思います。どうしても、それが気になってしまいますね。

あの時、青山二郎は言います、「馬鹿」と。間違いのないホンモノと小林秀雄が信じて買ったモノに対する冷たい返答です。こうなると、確かに小林秀雄の言うとおり「皿が悪いは俺が悪い」とまで思い詰めてしまいますね。今の私が思うには、青山が呉須赤絵大皿を見せられて返した言葉は、この程度の品を買って満足し「どうだ俺は、良いものを買ったぞ(ホンモノの呉須赤絵大皿だぞ)」と自慢げに見せる友人の蒐集レベル(眼)の浅さへの応えだったのでしょう。私なりの極端な言い方(推論)をお許しいただければ、「確かにホンモノですよ。だからどうした? その程度の皿を買って大騒ぎする、お前さんの骨董を見る眼は洞察の深い文学輪と違い、幼稚(ニセモノ並み)だね」。そのような青山の想いが言わせた言葉だったように思えます。

青山二郎には『呉須赤絵大皿』と云う、名品を編纂した著書があり、すでに呉須大皿の名品、優品に数多く触れていたのでしょう。ただホンモノと云うだけの呉須大皿を前にしても、何の感動も湧かなかったのかも知れません。「美」と云う自分自身の直感を信じ、骨董を買おうと云う姿勢を見せてくれた友人小林秀雄の気概に大いに期待していただけに、その落胆も大きかったのだと思います。

鑑賞陶器隆盛の時代です。呉須大皿の評価も価格も大いに上っていた時代でしょう。小林秀雄の「見つけたぞ、どうだ」の気持ちも良く分ります。だからこそ尚、青山の冷たく厳しい応えだったのかも知れません。それ(皿)が、お前さんの云う「美」を追求する眼が見つけたモノなのか? 単に時流におもねった眼が見つけたホンモノに過ぎないのではないか?

小林秀雄の「真贋」は蒐集家に対して多くのことを示唆してくれます。もし氏の買った皿が、ニセモノだったらどのような顚末になっていたでしょう。青山の応えは、きっと同じでしょう(でも、もう少し優しかったかも知れませんね)。しかし、古美術店主の反応は少し違っていたでしょう(逆に、もう少し手厳しかったでしょうね)。彼は箱を開けてちょいと覗き、直ぐ蓋をして、詰まらなさうに紐をかけ、これはいいですよ、と言った。この店主の描写からも小林秀雄の買った呉須赤絵大皿の程度(店主の評価)が分ります。

青山二郎の言葉です。〈優れた画家が、美を描いた事はない。優れた詩人が、美を歌つたことはない。それは描くものではなく、歌ひ得るものでもない。美とは、それを観た者の発見である。創作である。〉

■最後に
長くなりましたが、真贋についての、ひとつのエピソードを紹介させていただきました。初心者の頃は、それがホンモノかニセモノかは大いに気になりますね。それこそが骨董蒐集の一大テーマ(大原則であり大前提)とさえ思ってしまいがちです。

皮肉な言い方をお許しいただければ、真贋にこだわるのは初心者の特権です。買いたいもの(買ったもの)の真贋がどうしても気になってしまう。そのようなお気持ちが自然と働くうちは、大いに初心者と云う訳です。これは経験を積まれた蒐集家の方には、ご理解いただけると思います。骨董蒐集とは本来、ホンモノだから買うとか、ニセモノだったら要らないと云った次元の話ではないのです。

古美術骨董と呼ばれる数ある品の中から、自分にとって必要なものを選び出すことこそが蒐集です。「美とは、それを観た者の発見である。創作である」。先に紹介した青山二郎の言葉です。でも真贋を超えて、さらに数ある古美術骨董の中から、創作の名に値する「美」を見出すことなど初心者の方にはとうてい無理な注文ですよね。だったら焼き網やボロ雑巾に「美」を見つけ出す方がよほどコンテンポラリーで楽しく健康な気がします。この流れに反論はしません。

真贋を超えて、さらにその先にある「美」を見つけ出すようになるまでの、気の遠くなるような経験の積み重ねと出費。さらに面倒な用語や基礎知識を覚えなければならない労力……。気軽な骨董蒐集だったはずが、とんでもない負担ですね。そのとおりなのです。骨董蒐集とは、ある面ではその壁をのり越えることの出来た人のみが楽しめる(享受できる)特権の世界です。経験と知識のみあっても経済力が伴わなければ発見した「美」を買うことも出来ません。逆にお金がいくらあっても、知識や経験が無ければ「美」を発見する眼を育てることも出来ないわけです。その両方を兼ね備えた方のみが存分に楽しめる世界、それが骨董の蒐集です。

知識や経験は努力次第で何とかなりそうだけど、お金(経済力)となると……と、ここまで熱心に読んでくださった方は弱気になるかも知れませんね。古美術骨董の購入資金など実はいくらあっても足りないのです。知識と経験が増えれば、目の前に出てくる品もまたそれ以上のグレードで出現します。あの大富豪の益田鈍翁でさえお金が足りなくて買えないものが数々あったのですから……。

つまり知識と経験、お金(資金)は幾らあれば足りると云った問題ではないのです。では蒐集家にとって何が一番大切なコトなのか……? これはもう、今回のテーマ「真贋」からだいぶ離れてしまいました。ここから先は永遠の宿題かも知れませんね。長い駄文にお付き合いくださり、ありがとうございました。


上・下|祥瑞手筒杯 明時代末−清時代初 高5.5cm

酒杯は酒を汲み、手に触れ、ゆっくりじっくりとその感触や肌味を楽しめる骨董(古陶)としても稀有な存在ですので、近年は非常に人気です。味、寸法の良い酒器ともなれば市場でも大勢が競りに加わり加熱します。私はアルコールに弱くお酒も嗜まないので、当然なかなか仕入れる(買い落とせる)機会に恵まれません。自然とですが仕入れ品の優先順位では後退気味となり、在庫も少ないので、親しいお客さんも栗八に酒器を求めにはやってきません。ますます優先順位が後退する訳です。久しぶりにぐい呑みに使える寸法、状態、絵付けの良い祥瑞(しょんずい)手の小筒を買いました。祥瑞は明末古染付と同じく日本から景徳鎮に注文された器の一種です。古染付と祥瑞の違い(分類)を説明するのは至難で、これは古染付、これは祥瑞と明確に呼びきれぬ器も多くあります。祥瑞は粋な古染付をさらに瀟洒にしたようなモノと云えばだいぶ乱暴な解釈で叱られそうですが、私の中ではそんな印象です。この祥瑞手の小筒も、酒器にうるさい酒徒に見せれば、厚みが云々とか手取りが云々とか言われるのかも知れませんが、個人的にはモダンな意匠が気に入っています。銀火屋が付き香炉に仕立てられていますので、香炉としても使えぬことはないのですが、酒器として誰かに見てもらう機会が来るまでは仕舞い込んでおこうと思っています。



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