先回に続き「真贋」について、今回は私が若い頃に経験した、心に残る事がらを書かせていただきます。
私が古美術商になりたての頃、ある蒐集家のもとでのことです。その蒐集家は蒐集歴の浅い方でしたが、値段にかかわらず良いものを積極的に買われる方で、私も親しくお付き合いしていました。
蒐集家のもとで、先輩同業者と二人、所蔵品を見せてもらっていた時のことです。突然、先輩業者が経塚発掘の小品を取り上げ、「あれっ、これはダメだなあ」と言いました。それを聞いた蒐集家は色をなして、「それはあなたから買ったものだ」と反論します。「ゴメン、引き取りますよ」と先輩。「……」蒐集家は考え込んでしまいました。
「どこが悪いのですか? どう見てもホンモノですけど……」と、私は恐る恐る素朴な疑問を先輩業者に投げかけてみました。「ウン、ホンモノだよ」と涼しい顔で応える先輩。蒐集家は唖然です……。気まずい空気が流れました。
先輩は、私が居るからそのような冗談を言ったのでしょう。つまり、ニセモノと冗談で言っても、ホンモノであると第三者が反論してくれることが分かっていたからこその軽口だったと思います。そうでなければ、「ニセモノでした。すみません引き取ります」の一言を信じて、蒐集家はその名品を返したかも知れませんね。「あやふやな気持ちで買っていたら、たいへんなことになるよ」。その時、先輩はそう言いました。蒐集家へとも、私へともつかぬ、微妙な言葉の投げかけでした。
以下も私の体験です。やはり古美術商になって間もない頃です。ある地方の骨董店で、伝世の黒織部茶碗を見せられました。箱書きは骨董の著作もある蒐集家のものでした。価格は安いものではなかったのですが、思い切って買ってみました。
その頃は、仕入れ品のほとんどを同業の先輩に買ってもらっていましたので、その時も早速なじみの先輩業者に連絡を入れました。すぐにやって来た先輩は、件の茶碗をしばらく手に取り眺めていましたが、値段も訊かずに箱に仕舞いはじめました。
「どう?」と私が訊くと(つまり「買ってもらえませんか?」の意味ですね)、「うーん、腹に入らんなあ」の一言。「……?」。何のことやら分りません。他の数点を買ってくれて、件の茶碗は残して先輩は帰っていきました。
その後、違う先輩業者が訪ねてきてくれました。茶碗を取り出して先の経緯を話し、「腹に入らんなーと言われたのだけど、どう云う意味だろ?」と訊ねてみました。「上手いことを言うねー」と先輩。「ニセモノと云うこと?」と訊ねると、「骨董はね、そう簡単には済まないのだ」と先輩。その時に教わったおおよそは、以下のようなことでした。
ホンモノかニセモノかについては、ちょっと経験や知識を積めば簡単に判断できるような品は問題外だが、並みの経験や知識ではホンモノともニセモノとも断定できないような品が、この世界にはゴマンとある。何でも分るなんて道具屋はいない。では、どうやって仕入れる品を決めるのか? それが「腹に入るかどうか」なのだと。
■最後に
「腹に入る」とは、頭(半端な知識)や欲で買うのではなく、腹(自分自身に染み付いた五感)に入る(叶う)モノを買う。簡単に言ってしまえばそのような意味でしょう。先の蒐集家は、それ以降もおおいに勉強し、経験を重ね、質の高い蒐集を続けて、私などよりずっと骨董に詳しい大蒐集家となりました。
茶碗はやはりニセモノでした。その後、箱書きの筆者の本にその茶碗が載っているのを見ましたが、今ならどこで出合ってもきっと買わずに済むでしょう。
「真贋」の迷路についての話題は、触れにくいものではあるのですが、骨董蒐集に目覚めた初心者の方には重要なテーマ(課題)でもあると思います。ホンモノかニセモノかと云った単純な図式が骨董蒐集の主要課題だとすれば、骨董がこれほど人を魅了することはないでしょう。
真贋、審美眼、欲望、知識、経験、自尊心、虚栄心、嫉妬心、経済力、独占欲、好感、共感、反発、独創、悦楽、勝敗、失望……。人間の感情すべてを刺激するモノとの出合いであればこその骨董蒐集なのだと思います。後年、小林秀雄は骨董蒐集についてこう書いています。
〈私は、近頃は書画骨董に対して、先づ大体のところ平常心を失ふ様な事はない。もつと適切な言葉で言へば、狐は既に落ちたのである〉
前回引用した通り、「呉須赤絵大皿」の真贋に惑わされていた氏は、それ以降も積極果敢に骨董蒐集にのめり込んでいきます。上記は、やがて時が経ち、ようやく落ち着きをもって骨董と向きあうことができるようになった頃の一文でしょう。
蒐集の面白さ(魅力)を感じ始めたあなたにとって、骨董はまだしばらくあなたを魅了し惑わせる「狐」であり続けるかも知れません。「狐」が落ちるまで付き合いを続け、「狐」が落ちてからも付き合いを続けることの出来る蒐集家となり、いずれは先人に負けぬ優れた眼をもつ蒐集の達人となってください。
上・下|志野鉄絵筒向付 桃山時代 高8.8cm
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伝世の筒向付で、箱には「志野火入」と書かれています。茶席で使う筒向付の大振りのものを火入れとしたようで、美濃や唐津の筒向付単品が火入れとして伝わる例はけっこうあります。絵は菖蒲にススキに水車でしょうか……。胴いっぱいに鉄絵で描かれており、まことに大らかで眺めていて気持ちの良いものです。口縁の欠け疵や胴の深いニュウは火入れとして使われていた際に、煙管の雁首で叩かれ生じたものでしょう。「何もそんな強く叩かんでもいいだろう」と、過去に出かけて行って文句のひとつも言いたくなります。丁寧な金直しをお願いしたほうが、実用にもなり活用の場も広がるでしょうが、しばらくは「あんたが強く叩くからこんなになって……」と恨み言をつぶやきながら、疵口も撫でて楽しんでおきます。
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