3月2日(月)
午後、杉謙太郎さんと内田輝さんとで『東京 忘草』展の搬入を行う。コロナウイルス感染症の拡大をうけ、会期中のライブイベントはすべて中止。杉さんが会期中、東京の街に咲く花をつんでいけてくださることになった。政府が北海道のデータなどを分析した結果、若者は軽症の場合が多く、高齢者に感染させている可能性があるとの見解を公表した。自分は若者ではないが、今後、夜の会食は控えるようにすることにした。3月3日(火)
午後、杉謙太郎さんが、須恵器に、まだつぼみでまさにこれから咲こうとしている花をいけてくださる。何の花か私はしらない。しかし杉さんがここに何かを託していることはすぐにわかった。お客さんが2人ほど入ると、各々鑑賞して感想を述べ合うことが自然におこった。花のこのようなあり方を提唱したのは足利義満だという。同じ意識を持つものによって数百年ものあいだ伝わってきたのだろう。そう考えると、杉さんの背後に足利義満をはじめこの道を歩んできた人たちの影が感じられたりもする。日が暮れてからバラの花をいける。照明をおとすとまったく違う姿になる。花が咲くことの不思議。確か三浦梅園の言葉にあったような。内田さんのクラヴィコードが静かに響き、別の時代の空間のような。3月4日(水)
今日も杉さんが花をいけてくださる。男性でもあり女性でもあり、いままさに命が果てようとしているが、だからこそ、人々の記憶のなかで、はかなく生きていくというメッセージを残しているように見えた。クラヴィコードの音が静かに響く。各々のイメージが収束しながら広がるごとく。昨日のバラが、今日になって少しかたちを変えていた。一瞬のなかに永遠があるというとありがちな感じがするが、何というか。3月5日(木)
夕方、杉さんが今日も花を携えて来る。東京のどこかに咲いていた花。花の感想を述べることは和歌を詠むことだと杉さんは言う。それは花を通して、自分自身の意識を言語化しているのかもしれない。杉さんはその意識を引き出すために花をいけているのではないだろう。バラは今日も姿を変えて自然に戻ろうとしている。花は人だろう。私にのこされた時間はどれくらいなのだろうと考える。3月6日(金)
サンフランシスコから観光で来た若い男女が、偶然、杉さんの花の前にたった。私はこのような機会を一人でも多くの人に体感してもらいたい。予定していたイベントは出来なかったが、偶発的な花との出会いが、よりここには調和していると思う。夕方、卒業生代表として祝辞を述べる予定だった法政大学の入学式が中止になったとの連絡がある。残念だが来年も呼んでもらえるようにがんばろう。*続きは以下より御購読ください
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