4月2日(月) 晴
午後、愛媛県大洲市でリネンを用いて服づくりを続けている Sa-Rah の帽子千秋さんが初めて出版した『10の型紙で着回す毎日の服』の出版記念展のため、帽子千秋さんがご来店。搬入飾り付けを行なう。4月4日(水) 晴
午後、谷中へ。大丸松坂屋の未来定番研究所の新しい事務所へと向かう。明治末期に建てられたという町家を改装した物件。かつては「銅菊」という荒物屋だったという。津軽三味線奏者の柴田雅人さんとヒューマンビートボクサー TATSUYA さんによる楽曲の演奏を体感する。夕方、根津駅前のおでん屋に入り生活工芸美術館構想について意見を交換する。4月5日(木) 曇
13時、日比谷ミッドタウンにて有隣堂が新しく作ったスペース「ヒビヤ セントラル マーケット」を見学。南貴之さんがディレクションを行なった。渋谷ヒカリエに移動し、今日が初日の d47 MUSEUM、47都道府県の修理と手入れ展を見る。会場に向かおうとしたら、カフェで伊藤まさこさんが着席しているのを発見。ガラス越しに挨拶する。同席していた金継ぎ師の田代潤さんをガラス越しに紹介していただく。4月7日(土) 曇
長女の中学校入学式に参加。夜、銀座松屋裏のはちまき岡田で山口信博さん、美登利さん、横尾香央留さん、新島龍彦さんと会食。名物の田楽をいただきながら作品を拝見する。赤木明登さんの『二十一世紀民藝』の話題にもなるが自分はまだしっかり読んでいなかった。帰宅して『二十一世紀民藝』を読む。4月9日(月) 晴
柳宗民『雑草ノオト』に掲載されている草花をモチーフとしたアクセサリーとオブジェ を中村なづきさんに制作していただき、それを『雑草ノオト』と一緒に展示販売するという企画。一昨年に開催した同じコンセプトの展覧会が好評だったので、今回ふたたびの開催ということに。16時、永田町の都道府県会館の佐賀県事務所へ。6月末に佐賀県を旅する企画の相談。エントランスで表紙のデザインに惹かれて『SとN』という冊子を手に取る。佐賀県と長崎県のPR誌で、アリヤマデザインストアがデザインを担当し、長野陽一さんが写真を撮影していた。1号と2号をいただく。6月末に唐津市と佐賀市を訪ね、辰野金吾の遺した建築や副島種臣の書などを見学する予定をたてる。4月10日(火) 晴
夕方、津田直さんと恵比寿駅近くのフードコートで合流し、新しい写真集について制作の背景をお聞きする。いま詳細はここに書けないが、写真集のなかに写された津田さんのリトアニア体験に鳥肌が立つ。伝承文学のような写真集。夜、自宅にて『二十一世紀民藝』を読む。4月11日(水) 晴
18時、表参道のタクラムで森岡書店株主総会が執り行なわれる。決算の報告、今後の見通しの報告が無事に終了。THREE のレストランで有機野菜を中心とした料理をいただき、有機ワインを飲む。会食後、青山通りに出ると、伊東豊雄さんが目の前を歩いている。呼び止めてワインを1本という展開に。遠山さん行きつけのワインバーへ歩いて向かう。4月12日(木) 晴
午後、赤坂見附の喫茶店にて7月に開催する予定の台湾の揚允城さんの企画の打ち合わせを行なう。それが終わり、赤坂見附駅に向かって歩いていると、8月に展示を予定している田中麻起子さんが目の前を歩いている。丁度パリから帰国しているということで、展示の内容を立ち話する。夜、『二十一世紀民藝』を読む。4月13日(金) 晴
14時、神保町の学士会館へ。編集者の笠井良子さんとクリエイティブディレクターの小西亜希子さんと『カイ・フランクへの旅』出版記念展についての相談。その後、fushon-N に移動して神田錦町2丁目計画の模型を拝見。夜、銀座ルパンにてハートランドのビールを1杯いただく。『二十一世紀民藝』を読む。4月16日(月) 曇
午前、中学校の保護者懇談会に参加。13時 、某誌より普段使っている手帳と財布についてインタビューを受ける。16時、21_21 DESIGN SIGHT に移動して、完成したカディ展の展示空間を確認。18時、神保町の51%で川島小鳥さんと写真展が可能かどうかの打ち合わせを行なう。川島さんが撮った浅田真央さんの写真を拝見する。4月17日(火) 曇
午後、21_21 DESIGN SIGHT にてプレス向けのオープニングレセプションに参加。アーメダバードで体を測ってつくってもらったカディを着用する。インタビュー取材をしたラケッシュさんがデリーから来てくださり再会。近所の蕎麦屋で会食。4月18日(水) 曇
17時、21_21 DESIGN SIGHT の屋外にてカディ展に際して行なわれたリサーチについてのトークイベントに登壇。正しいタイトルは、「Khadi インドの明日をつむぐ−Homage to Martand Singh−」。ガンジーの思想に基づき創設された Gujarat Vidyapith 大学では、学生たちがチャルカで糸を紡ぐ時間が設けられていて、その集中力が学業の基礎になっていたり、卒業した後、地元の人々にチャルカの使い方を伝えたりすることや、非暴力の独立運動の手段としてインド国内にカディを広めたガンジーと入れ替わるようなタイミングで生を受け、後にカディをファッションの素材として世界へ伝えたマルタン・シンの業績を話す。4月22日(日) 晴
夜、白金の路地裏にあるフランツにて三谷龍二さんと順子さん、三谷さんの新しい著作『すぐそばの工芸』を編集した講談社の石井さん山本さん、坂田亜希子さんと会食をする。石井さんから、『すぐそばの工芸』のゲラをいただく。4月23日(月) 曇
午後、坂田阿希子さんの『CAKES』展の搬入を行う。18時、新宿3丁目に移動し、ランブルにて「ana-logue」インタビュー取材を受ける。谷川俊太郎さんの絵本「生きる」について。日常の出来事のなかに豊かさがあり、人間の営みを肯定する視線に共鳴します。帰宅して『すぐそばの工芸』のゲラを読む。4月25日(水) 晴
夜、平井かずみさんをお迎えして、坂田阿希子さんの『cakes』出版イベントのトークを行なう。「贈りもの」がテーマ。それぞれの視点から話が脱線し、歌もうたう。お菓子もお花も本も、贈ることのできる誰かがいるというのは幸せなことだとという結論になる。4月26日(木) 晴
午後、『すぐそばの工芸』のゲラを読む。夜 、某所にて「生活工芸美術館」構想についての相談。もし現状予定している場所で実現するとしたら、美術館という形式で入場料をいただくには、もともとの再開発計画の規約上、むずかしい点が指摘される。そもそも美術館が機能として持つとされる、保存や研究を行なうことが可能なのか、という意見も。4月27日(金) 曇
午後、西銀座のウエストにて『すぐそばの工芸』のゲラを読む。19時、溜池山王にて日本雅藝倶楽部の川邊さんと会食。4月28日(土) 晴
今月は赤木明登さんと三谷龍二さんの著書を読む機会を得た。その感想のメモを自宅でまとめる。『二十一世紀民藝』 赤木明登 美術出版社
1920年代に思想家の柳宗悦らが提唱した民藝。その意味を現代の塗師である赤木明登さんがあらためて捉え直した。「直感」「用の美」「下手の美」という民藝のキーワードを、ご自身の体験をもとに論考が進む。例えば「用の美」では、実用的、機能的という意味だけでなく、精神的、宗教的な意味を含み、それが縦糸と横糸になって民藝の礎を築いていると。とりわけ椀の高台の形が「左右から両手で抱え込んで、持ち上げて、神仏に供物を捧げるための形」、すなわち「祈り」のためにあるとする考えが印象に残る。私たちはいま、東日本大震災や先日の西日本豪雨などの災害を経て、「祈る」行為が、以前より切実になったのではないだろうか。人間の力では制御できない自然を前に、あのとき、真剣に祈った人は多いはず。赤木さんのこの見解を読むだけでも、普段、身のまわりにある器の形が違って見えてくる。それに続く「工芸の大河」では「生活工芸」に触れ、まず「生活工芸」のよい点を二つあげる。一つは「特殊な工藝品だった器が、誰でもが気軽に買うことができて、暮らしの中で実用として使われて、日常の豊かさを支えることができるようになったこと」。二つ目は「器というものの流行をつくりあげたこと」。しかしそこに、落とし穴があったと赤木さんは考える。「器の本質的な部分を見失ったのではないか」と。そして最終章の「他力」で、その本質的な部分が示される。赤木さんは愛してやまない鮨から考えを巡らす。銀座にあるような鮨屋では、職人は、経験と時間のすべてを一貫に込める。赤木さんはそのことを「天然の本来持っている旨味に委ねる」と見る。職人と素材の同一、ひいては自己と自然の同一。換言すれば、自己の判断を自然に委ねるということだろう。民藝の大事なキーワードである「無心」は本文に出てこなかったが、この境地が赤木さんにとっての「無心」だとすれば、柳宗悦の民藝の中核にある仏教哲学や信仰が、赤木さんの『二十一世紀民藝』にとっては「自然」ということになるだろう。そう考えると、「浄土にあるものを、ぼくはうすうす知っている。それは、素材が、いや、自然というものが、なりたいようになる世界だ」という出だしの「直感」で述べられた文章にうなづくことができる。
『すぐそばの工芸』 三谷龍二 講談社
高度経済成長期やバブル期、個性や自己を表現するあまり、実際には使用できない工芸が台頭した。その後、その状況に疑問を持った作家が、普段使いの器を作りはじめ、自らの工芸を「生活工芸」と呼ぶこととなった。三谷龍二さんも、その「生活工芸」の作家の一人。「生活工芸」の現象はここ20年くらいの出来事。本書で三谷さんは、まだ流動的な「生活工芸」の特徴を「親密なるもの」「素材感覚」「弱さ」というキーワードから探る。「親密なるもの」では、以下の言葉が印象に残る。「ただの食器のはずが、それだけではないものに育っていたのです。ものは長いあいだ家族とともにあるうちに、思い出を閉じ込めた写真アルバムのように、ものを越えた存在になっていった」。「ものを越えた存在」となったうつわは、自己の記憶と同一化するかたちで、それでも生活の中で使われ続ける。このようなあり方は、「生活工芸」20年の成果であり、今後を示していると言ってよいだろう。遺産の概念にも近い。「弱さ」とは、個性や自己を表現しないという意味での「弱さ」。その背景には、明治期以降の美術と工芸の関係性がある。美術のようになりたいと憧れた工芸。作品として西洋と伍するものが作りたいと拳に力を込めた工芸。その「強さ」との比較で「生活工芸」の「弱さ」がある。もともと日本の工芸は、木と紙でできた日本の家で使われることを前提とした。「日本では短冊のような小さなものを掛けて置いても一つの装飾になるが、西洋のような大きな構造ではあんな小ぽけなものを置いても一向目に立たない」という夏目漱石の言葉の引用は、「自分たちの暮らしから生まれてきたもの」が「弱さ」をともなう理由でもある。「弱さ」ゆえ、「生活工芸」は、「普段使いの食器として、多くの人に受け入れられ、暮らしとつながることができた」。本の後半は、三谷さんと工芸作家の対談が収録されている。和紙職人のハタノワタルさんの以下の話は特に印象的で、「素材感覚」の章にもつながる。「和紙は、日本の工芸のなかでも特に嘘がつけない素材だと思いますね。今思うと、僕が和紙を選んだのは、作ることで自然と一体化する感覚があったからだと思います。嘘をつかない感覚というのは、人が生きることのよりどころであったり、救いであったりするもので、すごく大事だと思っています」工芸と自然の一体化がここでも述べられていて興味深い。