6月1日(日) 晴
午後。「アート好きによるアート好きのための図録放出会 vol.3」に参加するため、外苑絵画館前の藝術学舎へ。有志が展覧会カタログを持ち寄って販売し、その売上を東北の被災地に寄付するチャリティーイベント。会場で、鈴木芳雄さんと展覧会カタログの面白さについてトークショウを行う。BOOK TRUCKの三田修平さんも出店していたので、『柴田是真の漆×絵 江戸の粋・明治の技』と『日本写真の1968』を求める。信濃町駅構内の千疋屋でフルーツサンドをいただいたあと茅場町に戻り、明日から始まる写真家の花代さんの展示の搬入と飾り付けを行う。
6月6日(金) 雨
夕方、イラストレーターの塩川いずみさん、前田ひさえさん、日傘職人のひがしちかさんのユニット「meme」の3人が出版した『3着の日記 memeが旅したRIGA』の刊行記念イベントに参加。RIGAはラトビアの首都なので、会場は富ヶ谷のラトビア大使館。地図を見ると原宿駅から歩ける距離だったが、雨が強くなってきたのでタクシーに乗車する。大使館で居合わせたアーティストのフクシマミキさんが、赤や黄色の生花で、自分の頭部を装飾してくださる。その様子をFacebookに掲載したいとフクシマさんはおっしゃったが、丁重にお断りする。とても人前では見せられない画像だった。
6月10日(火) 晴
朝、店内にて、伊藤まさこさんと松浦弥太郎さんが普段使っている道具や洋服の撮影。カメラマンは平野太呂さん。平野さんの写真展が小店の展覧会のこけら落としだった。あれからもう8年。平野さんが写真を撮っている姿を見て、開業の買い付け時、パリのコレットで写真集『pool』が玄関前に積んであった光景を思い出す。
夜、先月末に行った日本言語学学会トークイベントの打ち上げを行う。会場は吉祥寺の「浜やん」。「浜やん」は、小林和人さんのOUTBOUNDの近所なので合流を打診してみるが、高知でイベントの最中で吉祥寺にはいないという。「浜やん」では下品な話題で盛り上がる。二次会は会場をヨドバシカメラ裏の中華料理店に移動。円卓に腰を降ろして、麻婆豆腐、餃子、ビールなどを注文する。終電に間に合うタイミングでお開き。駅前の通りを歩いていると、驚いたことに、小林和人さんがバスから降りてきた。高知から飛行機で戻り、いま吉祥寺についたのだという。小林和人さんはお酒に誘ってくれたが、丁重にお断りする。中央線で阿佐ヶ谷の自宅へ帰宅。
6月14日(土) 晴
お昼。草森紳一が写した写真を取材するため、写真を保管している東海晴美さんの事務所がある三軒茶屋へ。今日も6月にしては日差しが強くて暑い。日陰を辿って歩いていると、路上に小銭が散乱していた。一見して10枚以上。なぜか誰も拾わない。私は腰を降ろし、一枚づつ指で拾い上げた。あわせて700円ほど。この小さな幸運に感謝したが、しかし、これを日記に書くことを考えると、このまま持ち去るわけにはいかない。やはり警察に届けるほかないが、交番がどこにあるかもわからないし、なにせ暑い。ここは拾わなかったことにしよう。小銭をそっと地面に戻し現場を去る。東海さんの事務所には、「本棚」「本を読む人 」「永代橋」「ゴミ」など、草森自身がテーマ別に分類した、24のダンボール箱が遺されている。あらためてその圧倒的な物量にたじろぐ。数年前に草森紳一の写真展を店内で開催して以来の対面。帰り際、同じ道を通ったら、散乱していた小銭はもうなかった。
6月16日(月) 晴
今日から、元フジテレビアナウンサーで、90年代の伝説的番組「ウゴウゴルーガ」のプロデューサーでもあった桜井郁子さんの絵画展がはじまった。展示する作品は幼少期に大分県宇佐市で描かれたもの。お話を聞いて面白かったのは、当時、桜井さんの傍らには「コビト」がいて、ときどき言葉を交わしていたということだ。ところがある日突然「コビト」は視界から消え、以来会えないままだという。そして今日。作品を展示してみたら、ある絵の中に、桜井さんが描いた覚えのない、人のような何かが描かれていることが判明。「コビト」が桜井さんと会うため絵画の中に現れたと考えると、展覧会期間中に何かが起こりそうな予感がした。
6月22日(日) 曇
午前。電車を乗り継いで千葉の茂原駅へ。ミュージアムas it isで現在展示中の《T氏コレクション My Foolish Heart 愚かなりし我が心》を見に行くため。茂原駅からはタクシーに乗車。ちょっと距離があるが、展示を見に行く行為自体を楽しみにしたい。するとタクシーの運転手が話しかけてきてくれた。「お客さん、カラオケ好き?」。私は面白いほどおかしい歌声なので、あまり人前では歌わないと答えた。運転手は「私、いくつに見える?」と言った。外見を見て素直にそう思ったので、40歳くらいですか? と言った。すると運転手はにっこり笑って「もう60超えたよ。若さの秘訣はカラオケが一番。」と言った。私は何を歌うのか聞いてみた。その方はまたにっこり笑って「エーチャン」と答えた。エーチャンと言えば矢沢永吉さんのことだ。タオルに印字されたE・YAZAWAの文字が思い浮かぶ。運転手さんは「アイ・ラブ ・ユー,OK」を歌ってくれた。その歌声は本当に自分より若々しい。あまりに声が若かったので、ひょっとしたら恋しているのかもしれないと思った。as it isに到着すると、ちょうど同じタイミングで料理研究家の飯塚有紀子さんが館内に入ろうとしていた。お互いに顔を見て驚く。コレクションの中では、「紙製バック・韓国」を見たかった。実は私もほぼ同じものを所有している。
6月23日(月) 曇
午後、銀座の資生堂へ。橋本麻里さん、森本千絵さん、資生堂社長の福原義春さんのトークイベント「美の場」へ参加。会場につくと鈴木芳雄さんがいたので同席する。その後、日本橋の丸善へ向かう。途中、繭山龍泉堂の前を通ったとき、社屋に刻まれた英語表記が「MAYUYAMA & CO」になっていて、その書体が端正で美しいことに気づく。しばらく鑑賞。そういえば聖路加病院の玄関に刻まれた英語表記も美しいことを思い出す。丸善にて朝吹真理子さんの『流跡』を新潮文庫で購入し、遅いランチに早矢仕ライスをいただく。
6月24日(火) 曇
朝の新幹線で取材のため新潟へ。編集者と東京駅の該当ホームで待ち合わせるが、発車間際になっても編集者が姿を現さない。心配が募るが、私は携帯電話を持っていないので容易に連絡がとれない。携帯電話を持っていないと、こういう時に困る。しかし、より困っているのは編集者の方だろう。編集者は発車1分前に到着。新潟ではある方の蔵書を拝見し、その取材を行う。取材が済んで北書店に立ち寄ったあと、新潟駅の構内で餃子とビールをいただく。ところが、取材を終えた安心感からか、新幹線の発車時刻が迫っていることに気づかない。ふと時計を見たときには発車まであと数分。荷物をまとめる時間も無く、慌てて私だけ新幹線に乗り、編集者の方は残る。ギリギリ間に合って、予定通り東京駅に到着。その足で神保町の学士会館へ向かう。株式会社竹尾が主催する、竹尾賞の授賞式に参加。小著『Books on Japan 1931-1972』が、最終選考まで残ったので呼んでくださった。
6月25日(水) 曇
営業終了後、建築事務所のクライン・ダイサム・アーキテクツが主催する「ぺちゃくちゃないと」に参加するため六本木へ。「ぺちゃくちゃないと」は、1枚あたり20秒で自動的に切り替わるスライドを20枚使って、自分の仕事の紹介やアイデアの説明をするイベント。私は集めている日本のプロパガンダについて紹介することになった。会場にはたくさんの外国人がいたので、「日本はこんな本をつくっていたのですか」「これが70年前のデザインですか」、と言った反応が英語で返ってくるかと期待していたが、そうはならなかった。
6月26日(木) 晴
夕方から日本橋三越へ。同社の石黒浩也さんが館内を案内してくださるツアーに参加。三越のライオンは1914年にイタリアから輸入されたこと、天女像は、1968年の東京オリンピック開催前に、東京駅までの地下トンネルをつくるか、天女像を設置するか、どちらかの選択の結果、選ばれたこと、屋上の金字塔は「金字塔を打ち立てる」の語源の一つと考えられていること、などを館内を巡りながら説明してもらう。
6月30日(月) 晴
夕方、神保町のラドリオにて打ち合わせ。「東京旧市街地」という考え方で本をつくれないかの相談。「東京旧市街地」という言葉は、あまり聞き慣れなく、そう呼ばれる地域も実際にはない。しかし、ヨーロッパの古い街には「旧市街地」と呼ばれる一角があり、観光ガイドなどでその地区の特集を読むと、良い市場があったり、古くからのレストランがあったり、アンティークショップが並んでいたり、訪れてみたくなる。「旧市街地」に近いものを日本で考えると、「城下町」にあたるのかもしれないが、「城下町」という言葉からは、近世以前に形成された、旧家や寺社など「木と紙」で出来た街並みが想起される。それに対して「旧市街地」からは、明治以降に形成された、近代建築や橋など「鉄とコンクリート」で出来た街並みが想起される。近代建築は、震災や戦災、その後の開発で姿を消した感があるが、自分としては、凄まじい逆風のわりに、よく残っていると考えている。それに、歴史年表を辿ると、東京市は、明治22年から昭和18年まで存在していた。はじめは15区で、最後は35区。そして、いまの東京駅が完成する以前は、万世橋駅が東京の玄関口として賑わっていたという。それを考えると、旧神田区、旧日本橋区、旧京橋区が旧市街地といって良いのではないか。この地域には、良い市場があったり、古くからのレストランがあったり、アンティークショップが実際に並んでいるのも確かなことだし。以上のような話をする。
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