3月1日(日) 雨
お昼に自宅でカレーうどんをいただた後に茅場町へ。湯沢薫さんの写真集『幻夢』の跋文を考えながら電車に揺られる。刺繍作家の沖潤子さんに連絡し、銀座の店舗で最初の展示会を沖さんの『PUNK』(文藝春秋)で行いたい旨をお願いする。夜、近所のスターバックスコーヒーで少し休憩。隣に座っている2人組の女性がアメリカ西海岸からマイアミを経てニューヨークまでの旅の計画を立てていたので、それを聞きながらカプチーノを飲む。途中非常に眠たくなる。店舗にもどって『幻夢』の原稿を書く。深夜、什器の検索を行う。
3月5日(木) 晴
16時30分、銀座の鈴木ビルの前で飛松弘隆さんと待ち合わせて、看板と柱のモルタルを剥がす作業の確認。飛松さんは以下のような見解。「レンガに関しては剥がしてみないとわかりませんが、あまりにボロボロならパーツを作ります。ところどころ欠けている感じなら硬質のパテで修復します。パテ埋めで行けるなら大した作業ではないかと。僕も古い建物を愛しています。あの看板をどうにか外して少しでも元の姿に戻したい気持ちです。そういう意味で、予算はそんなに気にしないでください」。飛松さんありがとうございます。どこかで、何かのかたちでこの恩をお返ししたいです。
3月6日(金) 晴
夜、表参道のGALLERY 360°へ。遠山由美さん「NON DUAL LETTER」展を拝見。その後、表参道ヒルズのタリーズコーヒーにて、smbetsmbの新保夫妻から『東京旧市街地を歩く』のデザイン案を見せていただく。デザインに対するお2人の簡潔で無駄のない考え方が心地よく反映されたページデザインになっている。特に近三ビルの写真の取り扱いが素晴らしい。思わずうなり声をあげる。夜、自宅に戻りテーブルの検索を行う。
3月7日(土) 曇
午後、オリジナルトートバッグの打ち合わせのためT氏がご来店。参考にしたい見本としていくつかののトートバッグを見せてもらう。5月5日のオープンに間に合うよう、できるだけ早くサイズやデザインを決めることを確認する。夜、CMYKの吉里さんと内装工事の日程を調整する。施工業者の繁忙期にあたっていて、当初の見通しより開始が遅れそうとのこと。花粉症の薬を「アレグラ」に変えたら、自分に合っているのかよく効いて調子がいい。
3月9日(月) 曇
午前、星新一が遺したアルバムを拝見するため高輪にあるご自宅を訪ねる。蔵書も拝見。14時、茅場町の店舗にて沖潤子さんと最初の打ち合わせ。沖さんが新しい店舗の主旨に賛同してくださり、展示会をご快諾いただく。完成予想のパースも見てもらう。夜、阿佐ヶ谷の書楽に立ち寄り、星新一の『明治の人物誌』(新潮文庫)を求める。
3月10日(火) 曇
午前、福岡のKrankからいただいた「新商品UPのお知らせ」メールを確認。「518 atelier table W2000 D340 H750」を見て、稲妻が全身を貫くような感覚を覚える。ついに、「これぞ」という什器の出現。即、Krankの藤井さんに電話を入れる。不在のようなので、是が非でも購入したいことをメールで伝える。夜、早速藤井さんから返信があり、「まだ在庫があります!」。このサイズとかたちは、あまりないのではないだろうか。まるで鈴木ビルのあの部屋のために作られたかのよう。毎晩検索を行ったかいがあった。
3月11日(水) 晴
午前、マガジンハウスの『&Premium』の「今、使いたい日用品」の取材を受ける。機能的で美しいものという条件たっだので、いま使っているCHACOLIのトートバッグがふさわしいと思い推薦する。今日で東日本大震災の年から丸4年。茅場町の新大橋通りではいま建替工事を行っているビルがいくつかあるが、建替の補助金が出ているのだとヤマト急便の方に教えてもらった。夜、テーブルが見つかり内装のメドも立ったので、森岡書店銀座店の告知をメールやフェイスブックで以下のように行う。
■「1冊の本を売る書店」
茅場町で書店をはじめて今年で10目になります。この間、本の出版記念展を繰り返し行ってきましたが、そのなかで、筆者と読者のあいだに幸福な会話が生まれる現場に、幾度となく立ち会うことができました。書店と出版社にとっては売上にもつながります。私は次第に、このようなイベントを継続的に行う書店を運営したいと思うようになりました。そしてこの度「1冊の本を売る書店」をはじめることにしました。ある会期は、1種類の本を中心に運営される書店です。1冊の本から派生する展覧会を行う書店と言い換えることもできます。去る1月15日、この書店を実現するため、株式会社スマイルズ、並びに遠山正道氏と「株式会社森岡書店」をおこしました。
■銀座・鈴木ビルの必然性
「1冊の本を売る書店」の所在地は、中央区銀座1丁目に建つ鈴木ビルです。鈴木ビルは昭和4年竣工の近代建築であり、東京都歴史的建造物に指定されています。戦中期には名取洋之助が主催する「日本工房」が入居していたことで知られています。「日本工房」は日本の文化や近代化を海外に伝える『NIPPON』をはじめ、完成度の高い雑誌をつくっていました。写真家では土門拳や藤本四八が参加し、デザイナーでは山名文夫、河野鷹思、亀倉雄策、熊田五郎(後の熊田千佳慕)らが参加しました。この場所で出版記念展を行うことは、写真史の面からも、デザイン史の面からも、意義があると思いました。『NIPPON』創刊号の表紙には、関東大震災からの復興住宅である「同潤会江戸川アパート」が掲載されていました。
東京都中央区銀座1-28-15
鈴木ビル1F 森岡書店銀座店
13時-20時 月曜休
3月12日(木) 晴
午前、表参道のtakram design engineeringへ。渡邉康太郎さんと山口幸太郎さんからロゴマークのデザインのプレゼンを受ける。部屋一面にデザイン案の資料がズラリ。これだけのもの用意するのにどれだけの時間と労力がかかっただろうか。活版印刷のイメージで銀座の住所を明記したデザイン案を掘り下げていきたい。渡邉さん、山口さんありがとうございます。午後、茅場町の店舗に戻り『BRUTUS』の「骨董」特集の取材を受ける。高円寺の書誌サイコロで買った本立てや、馬喰町のNoCONCEPTで買ったメジャー、青山の骨董通りで求めた伊万里の蕎麦ちょこなど、普段使いのできる古道具類を紹介させていただく。一日中、銀座店の告知について、各方面からご連絡をいただく。反響の大きさに驚く。
3月17日(火) 晴
午後、『本と店主』が誠文堂新光社の企画会議を通過したとの連絡が入る。原稿を書く時間の確保に不安があるが、ここは火事場のクソ力で乗り切りたい。表紙の絵として平松麻さんの作品を見てほしいと編集者に伝える。夜、CMKYの吉里さんと、店内のペンキを業者にお願いするか自分で行うか相談。予算は出来るだけ圧縮したいので、自力で行うことにする。
3月20日(金) 曇
午後、近所のスターバックスコーヒーにて、『murmur magazine for men』の創刊号を読む。自分は「携帯不携帯」という対談に参加させていただいているのだが、「携帯は持っていません。自宅には電話がありますが、壊れています。」という自分自身の発言がおかしくて笑ってしまう。こんな人が自分なのだと思う。
3月22日(日) 晴
朝、羽田空港から飛行機で宇部空港へ。山口県山口市のDo a Frontにて、「本と空き家の可能性」というテーマで、山口大学人文学部教授の藤川哲先生とトークイベントをさせていただく。Do a Frontの蔵田章子さんが企画してくださった。会場では、CAPIME coffee(カピン珈琲)さんが出張喫茶をしてくださり、料理人・中谷敦子さんが、不肖私をイメージしてつくってくださった料理が並ぶ。この日は3月後半にしては寒く、あたたかい珈琲とお料理はそれだけでありがたい。その後、CAPIME coffeeの亀谷さんのお宅を訪問。テーブルやイスをはじめ、カトラリー、室内の設え、照明にいたるまでどれもが素晴らしい。
3月23日(月) 曇
朝、宇部空港から飛行機で羽田空港へ。到着するや否や急いで銀座の鈴木ビルに向かう。『BRUTUS』の「平井理央のあの人に逢いたい」からお声がけいただき取材してもらう。まだ何も仕上がっていないスケルトンの店内で平井理央さんとしばし対談。新しい銀座の店舗のコンセプトと、鈴木ビルに日本工房が入っていたことをお話させていただく。その後、マガジンハウスに移動し『Casa BRUTUS』の取材。編集の上條桂子さん、度重なるご配慮をいただきありがとうございます。これだけたくさんの誌面に開店と同時に取り上げていただくのだから、絶対に成功させなければならない。
3月24日(火) 晴
朝、誠文堂新光社からのメールを読んで『山名文夫体験的デザイン史』が復刊されることを知る。もともとの版元はダヴィッド社で、ダヴィッド社は遠山正道さんのお父様が興した出版社。この本はぜひ銀座の店舗で取り上げたいし、どんなことが書いてあるのかはやく読んでみたい。日本の古本屋で検索するとオリジナルは5点ヒットしておよそ1万円くらい。1976年刊で、自分は当時まだ2歳。
3月27日(金) 晴
午後、フリー編集者の小野田さんご来店。『POPEYE』で映画特集を組むということで、映画を一つ推薦させていただくことになった。もうこれ以上の原稿仕事は増やせないのだが、ここは馬力を出すしかない。『ニュー・シネマパラダイス』について書くことにする。主人公の父親代わりのアルフレッドが「ここには帰ってくるな!」と言って、シチリアからローマに発つ主人公を見送るシーンがとても印象に残っている。私は地方出身なので、自分と映画が重なって見えたりもした。この映画には「劇場版」とそれより51分長い「完全版」とがあるが、どちらを見るにしても見る者の年齢や経験によって、見え方が違ってくると思う。とりわけラストのシーンの解釈に、見る者自身が反映されるのではないだろうか。
3月28日(土) 晴
夜、飛松弘隆さんから鈴木ビルの看板撤去作業について以下のような意見をいただく。「作業を行うのは4月12日の日曜日。看板の下にハシゴをかけてロープを看板に回したら、2人が2階の出窓でロープを持って待機。ビスを全て外したらハシゴをスロープにしてゆっくり降ろしていく。壁の実際の様子を確認。その後は、ペンキの色合わせ班と、レンガの補修班とに分かれる。色合わせ班はマスキングが終わったら、パテ埋めしたところは少し時間を置かなければならないのでそれ以外のところから塗装。看板をこちらで処分しなければならない場合は、塗装班が頑張っているあいだに手が空いている人が丸ノコを使って裁断して 細かく袋詰め。レンガは全てをレプリカレンガで直すわけではなく、基本的には細かいキズや破損はエポキシ樹脂系のパテで修復していく。あまりにも欠損部分が大きい箇所があった場合はパーツを後日制作してあとでそこだけ修復する。エポキシパテがかなり可塑性に富んでいるのでその素材だけで大方は修復できるだろう」。飛松さん、いつもありがとうございます。
3月31日(火) 晴
午後、画家の高橋和枝さんがご来店。高橋和枝さんは5月に出版される小川未明『月夜とめがね』の挿画を担当することになっている。同書を銀座の店舗で取り上げたいという相談を行う。高橋さんはすぐに承諾してくださり、原画を展示しつつ本の販売会を行うことが決まる。「1冊の本を売る本屋」は、まだはじまっていないが、予想以上にたくさんの方々から共感を得ている。
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