前回見た絵のように、説明的描写が盛りだくさんの受胎告知図もあるけれども、一方で、なんの気なしに見ていると象徴を見過ごしてしまいそうな作品もあります。
ドメニコ・ヴェネツィア―ノは受胎告知の舞台を、古代風の円柱が立ち並ぶテラスに設定しています[図1]。アーチ形の開口部からは庭が見え、薔薇のトレリスや薔薇色の石塀、木製の扉があります。今にも小鳥の歌声が聞こえてきそうな長閑さ。しかし、絵画として見ると不思議なのは、主役のマリアさまよりも扉が妙に目立つことです。画面中央、遠近法の消失点でもあるので、視線は自ずと扉へと導かれます。
このような表現は、聖母を「天の門 Porta Caeli」と讃える、ヴェナンティウス・フォルトゥナートゥスの聖歌(7世紀)などの解釈や神学者ペトルス・ダミア―ヌスの著作(11世紀)と関連しているように思われます。聖母は、私たちのために楽園の門を開く人なのです。
「天の門」としての受胎告知図は、教会の壁画ではしばしば聖域の入り口に描かれました。図2はシチリアのモンレアーレ大聖堂内の東側、祭壇の置かれた至聖所ですが、キリストへと誘うかのように、手前のアーチ(勝利門)の上部左右には大天使ガブリエルとマリアがいます。こうした配置は、トルチェッロ島のモザイク画や、ジョットの描いたスクロヴェーニ礼拝堂その他、ヨーロッパ各地で見られます。
受胎告知図で天使とマリアが離ればなれに描かれる例は、写本にも見られます。例えば800年頃カール大帝の宮廷で描かれた『サン・メダール・ド・ソワッソンの福音書』などです[図3]。「ルカによる福音書」の冒頭の一葉ですが、ちょうど勝利門と同じ位置。同書では他にも彫込み宝石(インタリオ)のような、小さな受胎告知図が描かれています[図4]。
受胎告知図を彫込んだアクセサリーは人気があったようで、5-7世紀のコプトの腕輪も残っています[図5]。
天使とマリアの間を柱や壁などで仕切る作例も多く、しかもそれぞれの空間を全く異なる情景に描く場合もあります。図6はフラ・アンジェリコの弟子ザノービ(彼はフィレンツェの名門貴族、ストロッツィ家の娘と結婚しました)の受胎告知図。フィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂のために描いた作で、天使の奥には薔薇垣で囲まれた庭園に「選ばれた泉」を表す井戸、マリアのほうは透明なガラス壜(純潔を表す)にいけられた白百合と門です。
「カタツムリ」の解釈をめぐってよく議論されるコッサの受胎告知図も、両者の背景表現が異なる例です。しかも古代風の立派な円柱を境に、遠近表現すら別々なのです。天使の背景は街景で、犬が小さく描かれています。マリアの背景は寝室で、そこに大きな水盤(「選ばれし泉」)が置かれています。空に浮かぶのは父なる神で、そこから飛びたったばかりの聖霊(鳩)は点にしか見えません。美術史家のダニエル・アラスは、手前のカタツムリと父なる神のシルエットが似ていること、そしてカタツムリが構図上重要な位置に描かれていることを指摘します。別の美術史家は、カタツムリは無精生殖すると当時考えられていたので、処女懐胎の象徴として描いたと説きます。わたしは、この絵はそうした解釈だけでなく、いかにして見る者を絵に引きこむかという、だまし絵的な工夫に満ちているようにも思います。
最後に、わたしが最も好きな受胎告知図を挙げましょう[図8]。ネーデルラントらしく舞台は屋内の一室で、イタリアのように庭に開かれていません。純潔を示す「白百合」や、旧約の時代の終わりを示す「消えた蝋燭」といった象徴もありますが、いたってシンプルな設定です。聖霊の鳩も到着していません。マリアは天使の到来に気づいていないかのように、本に没頭しています。受胎告知直前の情景なのでしょうか。
とくに好きなところは、暖炉の上の壁に飾られた1枚の聖人画。幼児キリストを肩に乗せた聖クリストフォロスの絵です。この聖人については、芥川龍之介の翻案小説でご存知の方も多いかと思います。川の渡守をしていた巨人は、ある日、小さな男の子を肩に乗せます。川を渡りはじめると、男の子はどんどん重くなってゆき、力自慢の巨人もその重さに耐えられなくなります。そして、最後に男の子が、「全人類の罪を担っているがゆえに重いのだ」と言うことで、この子がじつはキリストだとわかるのです。
キリスト誕生以前のマリアさまの部屋に、キリストの死後に登場する聖人を描いた絵があるというのも面白いのですが、クリストフォルスはギリシア語で「救世主を担うもの」の意。これから救世主を担うことになるマリアの運命を、ひそかに予見するかのようです。