受胎告知図を見ていると、場面の多様さに気づきます。マリアはいつ、どこで、どうやって受胎したのでしょうか。ルカは会話を記録することに終始し、状況の詳細を記さなかったので、画家たちは受胎の瞬間をどう描くか、頭を悩ませました。
現存最古の受胎告知図はシンプルです[図1]。4世紀ローマのカタコンベに残る3点の受胎告知図のうちのひとつ。着座した聖母に天使と思しき人物が右手をさしのべています。こうしたシンプルな時期を経て、受胎告知図が多様化したのは、431年のエフェソス公会議でマリアが「神の母(Theotokos)」という立場を確立してからのことです。
エフェソス公会議直後に作られたローマのサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂。聖遺物としてキリストの飼い葉桶を有する、聖母マリアに奉げられです。その内陣、祭壇のある聖域を分かつ「勝利門」のモザイク画では、「神の母」としてのマリアが綺羅びやかな衣装に身を包み、玉座についています[図2]。膝の上には赤い布。足元には籠。
糸を紡ぐマリアの描写は、2世紀に記された新約外典『原ヤコブ福音書』に由来するもので現在は聖典と認められていないので「外典」と呼ばれますが、中世当時はギリシャ語原本からシリア語、コプト語、アラム語、ラテン語などに翻訳されるほど広く親しまれていました。その『原ヤコブ福音書』によると、天使は2度、マリアのもとを訪れています。最初はマリアが水汲みをしているとき。この場面を描いている珍しい例が、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館所蔵の象牙彫りです[図3]。
マリアは、泉のそばにかがみこんで壺を水で満たしているところでした(左端)。天使の声に振り返ります。『原ヤコブ福音書』には、背後から突然呼びかけられたのに声の主が見当たらず、マリアは怖くなって家に急ぎ帰るとあります。家に帰り、神殿の聖所を仕切るための紫の布を織りはじめたとき、天使が再び現れて「ルカによる福音書」に書かれていることが起きるのです。
西ヨーロッパで読書中のマリアが受胎告知図の主流になるのは、11世紀以降です。『原ヤコブ福音書』の記述にならって、布を織る、糸を紡ぐマリア像も見かけます。南チロルの山上にある小さな礼拝堂の受胎告知図では、糸巻きを手にしています。『原ヤコブ福音書』でマリアが作るのは神殿の垂れ幕となる紫の布ですが、西ヨーロッパの受胎告知図では白い糸も多く、神殿用の布ではなく、キリストの死衣を作っているという解釈もあります。
時代や場所によって「布作り」の表現はさまざまです。編み棒らしきものを持っていたり[図5]。アイスクリームみたいな糸籠がちょこん。天使は地獄のミサワ似……。
コプトの聖書のマリアは、一心不乱に糸を撚っていて、天使の来訪にまだ気がついていないようです[図6]。ねっとりとした羊毛が撚られて糸となり、糸玉がぶらんとしている細部がなんともリアル。穏やかな時が流れているのを感じます。
ゴシック期になると、本格的な織機に向かうマリアの姿も見られます[図7]。
布や糸をつくるという女性の仕事にいそしむ「働き者のマリア像」。その一方で、11世紀以降の西ヨーロッパではマリアの敬虔さを印象づけるために、聖書や祈祷書を片手に祈祷するマリア像も11世紀頃から現れ、主流となりました[図8]。