11 没頭と変奏
最近いちばん没入した瞬間は、ヨ・ラ・テンゴという3ピースのバンドのライブだった。90年代から活動しているこのバンドの良さがわかったのはここ数年で、ストリーミングサービスで気に入って一番よく流したのは歌ものっぽい曲だったのだが、ライブで知った彼らの良さはまったく別のものだった。メンバーが紡ぎ出す轟音はそれが鳴っている空間が生き物のようにうごめいていて、自分もその一部になって、その場に居合わせたことの幸せを感じるような瞬間が持続し続けていて、そのあとしばらくその感触が抜けなかった。
なにがどうしてそんなにそうさせたのか何度も考えたのだが、よくわからない。何百回と一緒に演奏をしてきたであろう3人の音は、それぞれが他の2人の音をとてもよく聴きながら微調整をしあっているようで、あわさった音が常にゆらゆらしながらも一体感があり、それでいて「いま、ここで音が生まれている」という瑞々しさにも満ちていた。
そういうものをつくりたい。と感極まったことをいまも思い出せるのだが、録音された音源にはそういう感触はあまりないのだった、というか、ないなかにもストリーミングの音源を再生することで自分の感じた瑞々しさの記憶をしばらくは脳内で再現できたのだけれど、時間が経つとだんだんそれは目減りしてきてしまって、それで、少しはましかと思ってフィジカルな音源としてのレコードを買って聴いてみたのだが、ライブで一番ぐっときた曲ではなくそのとき聴かなかった曲が逆にしっくりきて繰り返し針を落とすことになっている。
ものは、記憶の変奏再生装置なのではないかと思う。おととしの終わりに自分は母を亡くし、半年くらい経ってから遺品の整理をした。病を患ってから長かった母の服は、着古した馴染みの服というよりここ数年で買った量産型のさっぱりしたものが多くて、自分の記憶の母の格好が再生されず、意外と感傷的になることなく整理は進み、もともと片づけをすることが好きだった彼女のたちを清々しく思うほどだった。が、棚の奥には、手を動かすことが好きだった彼女が以前よくやっていた「トールペイント(図案集から絵柄を写してありものの道具に着彩をするクラフト手法)」でつくられた品がいつくか出てきて、使わないけどこれは捨てられなかったのだなと思うと、手を動かすことの重みを少し思った。
棚のいちばん奥からは、なにかの人形用に編まれた小さいサイズのセーターが紙箱に入ったものが遺されていた。それを自分は初めて見たのだが、それを見て自分は、小さい頃に母が自分のためにセーターを何着も編んでくれていたことを思い出し(忘れていた)、どうしてこれではなくあのセーターをとっておいてくれなかったのかという悔しさのような感情が瞬間的に湧いた。ソファに腰掛けて編み物をする彼女の姿や、その最中は話しかけても答えてくれないくらい没頭していたこと、編んでくれたセーターを自分は気に入って着ていたのにある日なくしてしまって必死に探し(数か月後に小学校の体育館の道具入れの奥からそれは出てきた)、それなのにでてきたときに安堵したはずの母の顔がどんなだったか思い出せない、そういうことが一気に去来して、その小さなセーターは箱ごともらって帰った。
セーターを編んでいた当時の母の年齢を自分はもうすっかり超えているのだが、結局、自分がやっていることはああいうことなのだなあと思う。没頭してつくること。それを誰かに手渡すこと。そういうこと。没頭してつくられたものは人になにかを伝えるが、つくったときの意図とはいつもずれた形で伝わっていく。シンプルだがそれだけが世の中をまわしていくみたいな世界がいい世界なのだと自分は感じてしまっているのだ、そしてそれは多分いろんな経験でそうなったのだが、母の影響もあったのかもしれない、というようなことを、明日からはじまる展示の設営でへとへとになった頭でいまぐるぐると考えている。
今日の一曲:LAY MAY LOVE / 高橋幸宏
今日の一文:左藤青『地図の敷居をまたいで、──ルイジ・ギッリの 「フォトグラフ」』
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ギッリの「敷居」的写真が示唆しているのは、「もの」との対決ないし遭遇の痕跡である写真そのものさえ、それ自体で完結することはない、という事実である。私たちは、どんなに愛着を抱く「もの」でさえ、唯一の「もの」としてかかわることができない(ここにはたしかに、独特の喪失と哀切がある)。写真は断片だが、かならず他の断片と繋がり合わねばならない断片である。したがって「敷居」を撮った写真そものもが、また「敷居」である。写真は敷居であり、敷居の敷居である。敷居は自己完結を、目的地への終着を許さない。敷居はたえず、どこかへ導く。