自分はデザイナーという立場で仕事をしているのだが、ものをつくり、とどけ、つかう、そのあいだのグラデーションに立ち続ける仕事だと感じている。工芸については素人なのだが、似て非なると思ったり、同工異曲と感じたり、刺激的な隣人をみるような気持ちでつらつらと文章を書いていこうと思う。
1 傷と層
まあたらしいものには高揚感がある。このあたらしさが自分の心に新鮮な風を呼び込んでくれるのではないか、という、その、浮き立つ感じ。だがその感じはちょっと自分を緊張させもする。無傷のものに傷をつけてしまうという役目を負わなくてはならないというちょっとした心労。最初に傷をつけてしまったときは落ち込むが、でもその地点からようやくそのものとの付き合いが始まるともいえる気がする。
自分はあたらしい居場所を構えるとまず棚をつくる。棚というのは持ちものを配置するステージなので、棚の使い方にはものに対するその人の感覚が素直に出る。知人宅にお邪魔するとまず棚を見る、余白を大切にする人、効率を重視する人、仮にそっと置く感じがいい人、とにかく詰め込んだり溢れさせておく人。
最近、自宅の引越をしたのだが、その部屋には造り付けの棚があって、それは表面に薄い木材が貼り付けてある厚さ24mmの合板にニス塗装で仕上げてあり、佇まいが悪くなかった。その棚はテレビ台として真ん中にぽっかりと空間があり、自分はそこにテレビを置くつもりはなかったので、あふれていた本を収納できるようなかたちで入れ子の棚をつくることにした。
自分がつくる棚は簡便なもので、十数年前に見た「清く正しい本棚の作り方」というウェブサイトがお手本なのだが、そこでは素人が安価で丈夫で収納力のある棚をつくるには、ということを追求したタイプの棚づくりが紹介されていて、当時もいまも自分が求めていたのはまさにそれで、そのサイトではランバーコア材(シナベニヤ)という合板を素材として選ぶことが推奨されており、それを指定の寸法どおりにカットして通販してくれる業者も見つけて、自分はいつも届いたそれに白いツヤのあるペンキを塗って仕上げた。
ペンキを塗るのがいいなと思ったのは、はじめてヨーロッパへ旅をしたとき、ヨーロッパの都市部の建物というのは大概100年単位で建具も使い古されているのだが、扉はたいてい黒だったり緑だったりのペンキが塗られていて、それが何層にもなっていることに気がついてからだ。ものがどれだけ古くても、ツヤのあるペンキを塗られることでそれは生き返る、ということらしい。最初は薄く均一に塗られていたであろう平面が、使ううちに汚れ、上からペンキが塗られ、また汚れて塗られ、一部が剥げ落ち、また塗られ、を繰り返していくうちに表面がゆたかにモコモコとしてくる。エッジも甘くまるくなってきてどこか愛らしい。そのピカピカかつモコモコしたディテールは日本ではあまり見たことがなく、奥に層を感じさせ、そうか、ただただ塗り重ねればいいんだ、という清々しさがあった。前の誰かがつくった層の上に層を重ねていくのが歴史だ。
新居の造り付けの棚の質感が悪くない、と思った理由がわかったのは、合板に薄く引いてあるニスに舐めるように斜めに光をあててみると、すこし塗りムラがあることがわかり、さらに使ったあとの傷が無数にあることがわかったときだ。
撫でるとその部分の悪いところが癒ると伝わる地蔵の、幾人にも撫でられつるつるになったおなかについ手が伸びてしまうように、何度も鼻先をさわられて塗装が剥げたキャラクターの像が新品で納品されたときよりもちょっと微笑ましい佇まいになるように、何度も開け閉めされた棚の板も、人の手の跡で血が通うものに感じられる節がある。傷を愛でるというのがようは愛着なのではないかと思う(自分はものに傷をつけやすいタイプなので、そう前向きに考えたいだけなのかもしれないが)。
今回はペンキで仕上げるのはやめて、その造り付けの棚に寄せる方向で表面を仕上げようと考えた。作業する場所が狭いベランダとカーペットを敷いたばかりのリビングしかないので、ニスを塗るのは匂いや汚れの心配があり、ほかの方法をネットで探すとオイル塗装という方法が見つかる。油は、乾燥して固まるものと固まらないものがあるらしく、固まるもので手に入れやすいのは亜麻仁油、くるみ油など。食用として売られているものでも特に問題はなさそうだ。どちらも香りはすこし独特だがニスのようにツンとくるしんどさはない。塗ると、油を吸って、今まで気にかけていなかったシナ合板の木目が立ち上がる。年輪を縦に裂いた木目、それも層だ。数日間、亜麻仁とくるみの香りのなかで過ごすのは悪くなかったが、乾いたとみえた表面からは数週間じわじわと油が滲み出し、何冊か本に染みをつくってしまったが、ああ、これも経験、と受け入れた。
今日の一曲:idee/dodo
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https://youtu.be/lcCXiWWoA38
今日の一文:ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』
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そこにはひとつの村が復元されていて、その村の三十五軒の家々には、十九世紀の日常生活を飾ったありとあらゆる記号や道具や製品がひしめきあっていた。(略)使い込まれて壊れてしまったものもあれば、なおさら磨きがかかったものや、味のでたものもあり、身近な品々が数かぎりなくひしめきあっていて、これらの品々が日々結んではほどいていた、いそがしい手や働くからだ、辛抱つよいからだの跡の数々をしるしていた。いたるところに痕跡がつきまとう不在の現前。うち捨てられた品々を後から収集してびっしり詰め込んだこの村は、少なくとも、その品々をとおして、昔あった、あるいはあったかもしれない百の村々の秩序だったつぶやき声を聞かせてくれ、いつしかわたしは、幾重にも結ばれあったこの生活の痕跡をたどりながら夢想に誘われていた。(山田登世子訳)