撮影|森岡督行(2点とも)

3月1日(金) 晴

銀座の店舗にて11時から森岡書店の定例会を行う。今後の仕事の案件の確認。夕方、大手町の某社へ。ここ2年ほど提案していた生活工芸美術館構想は、同社のメンバーがもっとも興味を示してくださっていた。同社が新しく建設するビルが、来年2月の竣工。そこで生活工芸美術館を実現するかどうかの判断を今しなくてはならない。自分なりにスポンサーを募り、銀行に相談し、可能性を探ってきた。しかし、自分の実力として、特に融資の面で足りない部分があることがはっきりした。今日正式にそのことを伝える。同社の担当の方の表情から、この企画に真摯に向き合ってくれたこと、実現を切望されていたことが伝わってきて、申し訳ないという思いが込み上げてくる。大手町の同社からは、いまだ建設中で、入居予定だったビルがよく見える。


3月2日(土) 晴

午後、昨年上海と北京での講演会でお世話になった趙彗さんとスワンカフェにて企画の打ち合わせ。6月に深圳で開催する森岡書店展で、どのような本が販売にふさわしいのかを相談。深圳はITとビジネスの街ということで、ビジネスに関係する本が良いだろうということに。広告という観点から葛西薫さんの作品集を提案する。引いたデザインが持つ佇まい。むしろいまはそれが拡散されていくというイメージがある。また、中国には今、多くの新しい書店ができているが、ショッピングセンターに書店を出店すると、5年ほど家賃が無料になるという。本屋の文化を今だからこそ定着させようという考えなのだろう。 18時、新浦安の北栄テラスにてトキイロの近藤義展・友美夫妻が主催する「コエルハコ」に登壇する。話す予定になかったことにも話が及びおよそ3時間。ご参加くださった皆さまありがとうございました。北栄テラスの星直樹さんが「昭和モダン」を懐古するお料理を特別に作ってくださった。


3月3日(日) 雨

午後から銀座へ。店舗の店番。


3月4日(月) 雨

午後、安藤雅信さんの『どっちつかずのものつくり』出版記念展のための搬入。同書を編集した衣奈彩子さんと成澤みずきさんに手伝っていただく。安藤雅信さんのリム皿を東京で購入できる機会は限られているが、ダンボールを開封してたくさんの作品が入っていることに驚く。梱包が丁寧にしっかりされていることにも胸を打たれる。スタッフの方々の器への愛着が感じられる。一つ一つの作品をお客さまに手渡したい。二人の協力のおかげで、予定よりも早く陳列が仕上がる。


3月5日(火) 晴

朝10時から整理券を配る。昨夜の雨があがって安心する。午後、中村好文さんの『暮らしを旅する』の紹介文を書く。銀座三越の銀座グッドギフト展に出品する。本当は昨晩締め切りだった。三越の担当の松村さん申し訳ございません。


3月7日(木) 雨

10時、店内にて雑誌『Pen』の取材を受ける。11時30分、資生堂本社に『花椿』編集部を訪ねる。銀座のMUJIHOTELに『花椿』のバックナンバーを展開したいむねの相談。その後、資生堂ギャラリーで「それを超えて美に参与する 福原信三の美学」展を改めて見学し、新橋から日比谷線に乗車して中目黒へ。ロシャン・シルバさんと企画の打ち合わせを行う。


3月8日(金) 晴

朝9時池袋へ。まだまだ気温が低い。アーティストの植田志穂さんが、池袋駅の東西をつなぐ地下道ウイロードのリニューアルを手がけることになり、今日はそのはじまりの日。JRの線路の下をつなぐ通路の天井と壁に植田さんのペインティングで色を施す。植田さんは、およそ7年前、以前の店舗で展覧会をしてくださった。そのときは大阪在住だった。作品を展示して、植田さんと話をしていると、色彩豊かなオブジェのみならず、植田さんご自身に世の中をポジティブに見る姿勢が感じられた。私の基本的な考え方に以下のようなものがある。世界は美醜や善悪、左右、男女など二つの物からなり、もしかしたらあらゆる宗教や哲学というものは、その二元の世界から脱却することを目指しているのかもしれないが、なかなかそう簡単にできることではない。そうであるなら私としては、この二元の世界で積極的に生きていきたい。また、人間の脳の構造が、二つで一つのものを認識する特徴があるとすれば、より善や美を認識したい。植田さんの作品や人柄は、基本的に世界の良い部分を見ている。身体から情熱と純粋さがにじみ出ている。私は、この点がいま人々に求められていると思い、植田さんに、もしかしたら東京に拠点を移した方が仕事の幅が広がるかもしれないと言った。大阪に仕事がないという意味ではない。普段東京で生活していて、私は上記の観点が必要とされていると実感していた。その後植田さんは東京に拠点を移し、作家活動を続けることになった。規模から言っても、今回の池袋の仕事が、植田さんの作家活動を代表するものになるのは間違いない。もしかしたらあのとき言ったことが、この仕事をやるためだったと考えれば、どこか責任を果たせたような気もする。植田さんはこの仕事に対して鎮魂という言葉を用いていた。ウイロードは、戦後傷痍軍人が集まっていた場所だという。池袋駅付近に昔から住む人々には、まだそのときのイメージが残っているともいう。傷痍軍人にはもしかしたら、無念であったり、貧困であったり、悲しみであったり、そういった人間の感情が見て取れるかもしれない。考えてみれば東京中が戦災の現場であり、何十万人という人々が苦しんだ場所でもある。池袋駅周辺には焼け出された人々がバラックを建てていたとも聞く。植田さんが鎮魂というのは、そういった意味が含まれているのだろう。植田さんの作品や人柄は、愛とか善とか優しさとか、人間のもう一つの側面を引き出してくれる。夜、GINZASIXにて鞍田崇さんとナガオカケンメイさんによる民藝についてのトークイベントを聴講する。


3月9日(土) 晴

午後、紀尾井町の文春ギャラリーにて中川原信一さんの出版記念展のレセプションに参加する。夜、鈴木ビル2階にて安藤雅信さんとナガオカケンメイさんのトークイベントを開催する。


3月12日(火) 晴

午後、ある方と面会。その方の勤務する編集部に持ち込まれた1960年代の銀座の写真を拝見する。オリンピックに沸く銀座の様子や、その当時の欧米への憧れを切り取ったような写真。「コカコーラ」のイメージが取り込まれている写真が多い。撮影した人はまったく無名の写真家。銀座が好きだったにちがいない。


3月13日(水) 晴

午後、画家の平松麻さんと会談。十牛図をテーマとして。so whatにて。ラムソーダをいただきながら。


3月15日(金) 晴

詩人の渡辺知子さんご来店。自分を題材にした詩を作ってくださるということで取材を受ける。夕方、刺繍作家のAtsumiさんご来店。来月の出版記念の打ち合わせを行う。


3月18日(月) 晴

地下鉄銀座駅の数寄屋橋の出口。ふとその看板の文字にひかれて撮影。TOKIIRO近藤夫妻による『多肉植物生活のすすめ』英語版がTUTTLE publishingより出版された。午後から刊行記念展の準備。近藤さんは今回、かなり特殊なスチールの什器を作ってくださった。照明を、植物が光合成に必要な光の波長を増幅させた特殊なLEDにすることで、本来は生息できない屋内でも、多肉植物の生長を可能にした。スチールの什器を作ってくださった河合広大さんもご来店。河合さんは先日清澄白河に10 tokyoをオープンした方だった。すでにいくつかの媒体で紹介されているのを読んで気になっていた。天井から吊るすワイヤーが足りなくなったので、それを近所の鈴木金物店に買い物に行く。


3月19日(火) 曇

ライターの山崎陽子さんが取材でご来店。集英社『エクラ』の銀座特集で店舗を紹介してくださる。夕方、株式会社森岡書店の決算書が届く。その説明を会計士の竹村さんからお聞きする。今回もギリギリだった。


3月20日(水) 晴

12時、鎌倉の長谷へ。鎌倉市の景観重要建築物指定になっている加賀屋邸を訪ねる。大正期の建築で、一時、山口瞳さんが住んでいた邸宅。現在は加賀屋さんが実際に住んでいるが、丸の内の某企業が買い取ることになり、これからどのような施設にするか検討するための見学。


3月22日(金) 曇

朝の新幹線で山形へ。山形県立図書館のリニューアル会議に参加し、委員として意見を述べる。その後山形県庁に移動し、宮本武典さんと合流し、山形ビエンナーレの企画の相談。次回は、山形県立博物館に収蔵されている、ブルーノ・タウトとシャルロット・ペリアンが指導した工芸を展示したい。これらは「雪害調査資料」として保管されている。山形駅前の「そね田」で焼き鳥をいただき、最終の新幹線で帰る。


3月25日(月) 晴

午前、銀行で様々な支払いを行う。歌舞伎町某社にて51%の三浦さんと合流し、新企画の提案を行う。16時、牧野伊三夫と堀内孝さんご来店。明日からはじまる『青い海をかけるカヌー マダガスカルのヴェズのくらし』出版記念展の飾りつけを行う。


3月26日(火) 曇

10時15分、TBSラジオの電話取材。13時MUJIHOTELの内覧会に参加。15時、蕪木さんと新著の出版記念展の相談を行う。17時、某新聞社の取材を受ける。19時、高円寺に移動し、徳竹にて前田エマさん、有坂塁さん、酒井博基さんと会食。





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