図1/フラ・フィリッポ・リッピ《森の聖母》 部分 1460年頃
板、油彩 ベルリン国立博物館蔵


 神の子イエスがどのように生まれたか、聖書は多くを語りません。降誕について言及があるのは四福音書のうち二つで、生誕地はベツレヘム、飼い葉桶に寝かされた、とあるのみです。神秘の描写を不敬と思う気持ちが働いたのでしょうか。諸場面について詳しい描写がある『原ヤコブ福音書』(2世紀)でさえ、肝心な場面はホワイトアウトしています。

そして彼らがほら穴の場所にやってくると、見よ、光り輝く雲がほら穴を覆った。そこで産婆は言った。「わたしの魂は今日偉大なものとされました。なぜならわたしの眼は不思議なことを見、救いがイスラエルに来たからです」。すると一瞬にして雲がほら穴から後退し、われわれの眼が耐えられないほどの大きな光がほら穴の中に輝いた。そしてかの光はしばらくすると後退して、赤子が現れ、その母マリアから乳房を受けた。(「ヤコブ原福音書」19:2-3)

 ヨセフはマリアのいるほら穴に、産婆を連れて戻ります。すると、ほら穴は直視できないほどの光で溢れていて、ふたりは入ることができません。その光が弱まると、イエスはすでに生まれていたというのです。



図2/「分娩直後」 『イエス・キリストの生涯に関する瞑想録』より
14世紀 パリ国立図書館蔵


 聖母の出産について詳しく語るようになるのは12世紀以降。クレルヴォーの聖ベルナルドゥスは説教のなかで、マリアの分娩は無痛だったこと、生まれるやいなや光り輝くみどり児は、おくるみに包まれ飼い葉桶に置かれたことなどを語っています。
 聖ベルナルドゥスを敬愛するフランシスコ会では、キリストの生涯を想像しながら祈ることが推奨されたため、誕生場面も状況説明が必要となります。14世紀初めのイタリアで、フランシスコ会士が聖キアラ女子修道会のために記したとされる『イエス・キリストの生涯に関する瞑想録』では、マリアの出産を以下のように記述しています。

日曜の真夜中、出産のときがくるとマリアは起き上がり、そこにある円柱にもたれながら、まっすぐ立った。しかしヨセフは座ったまま、うつむいていた。おそらく必要なものを用意出来なかったからだろう。そののちヨセフも立ち上がり、飼い葉桶の中からいくらか干し草を取ってきて、聖母の足元に置いて顔を背けた。それから永遠なる神の御子が、少しも声をあげず、ひとつの損傷もなく、マリアの子宮から一瞬にして出てきた。子宮から出て、今、イエスは外に出て、母の足元の干し草の上にいた。マリアは気持ちを抑えられず、前にかがんで御子を抱き上げ、優しく抱いた。膝にのせると、聖霊の導きにより、母乳で御子を洗い始めた。天によって胸は満たされていたからである。終わると、彼女は(かぶっていたベールで御子をくるんで)飼い葉桶に寝かせた。牛とロバは、口もとが飼い葉桶の上にくるくらいまでひざまずき、御子に息を吹きかけた。まるで、牛とロバが、おくるみがあまりに不十分で温める必要があると知っていたかのようであった。寒い季節だった。また、マリアは跪き、イエスを拝み、神へ感謝の意を表して「最も聖なる父なる神よ、わたしはあなたに感謝します。あなたはあなたの息子を私にお与えくださった。わたしは讃えます。永遠なる神とあなた、生ける神の子、私の子を。」ヨセフも同様にイエスを礼拝した。ヨセフはロバの荷鞍を持ってきて、マリアが休めるようにと、藁もしくは毛のつまった詰めものを取り出して飼い葉桶のそばに置いた。マリアは座り、ヨセフは彼女のわきに鞍を置いた。そうして聖母は飼い葉桶の方に顔を向けていられるようになり、彼女の瞳は彼女の愛しい息子を優しくみつめていた。(Ragusa, I. & Green, R. B., Meditations on the Life of Christ, Princeton, 1961, pp. 26-30)

 この瞑想録は中世のベストセラーとなりました。200冊以上の写本が現存し、うち17写本には挿絵も施されています。そのひとつ、フランス国立図書館蔵の写本[図2]では、聖母は柱にもたれかかり、足元の干し草の上には、ベールの裾にくるまれた赤ちゃんが横たわっています。ヨセフはあらぬ方を見ていますが、牛とロバは必死の形相でイエスを見つめています。口を開けているのは、息吹を送っていることを示すためでしょうか。ぜいぜい。



図3/「荷鞍で休まるマリア」 『イエス・キリストの生涯に関する瞑想録』より
14世紀 パリ国立図書館蔵


 ヨセフが用意したロバの荷鞍に肘をついて、マリアがくつろぐ場面もあります[図3]。どうでもいいことですが、飼い葉桶のなかのイエスがかなり老け顔……。



図4/「降誕」 『セントーバンス詩篇』より セントーバンス修道院/イギリス
12世紀 ヒルデスハイム大聖堂図書館蔵


 12世紀のイングランドで制作された『セントーバンス詩篇』の挿絵[図4]では、動物たちが飼い葉桶のなかのイエスをペロペロ舐めています。こうした、動物たちによる愛情表現は11世紀頃から激増し、ロマネスク彫刻にもしばしば見られます。



図5/「降誕」 旧石棺彫刻(現祭壇)
1170年頃 スペイン、ロダ・デ・イサベナ サン・ビセンテ聖堂


 スペインのウエスカ地方、ロダ・デ・イサベナのサン・ビセンテ聖堂に残る石棺彫刻[図5]では、右側の動物が噛みついて見えるくらい大きく口を開けています。イエスの足元を温めているようにも見えます。フランシスコ会成立以前から、そうした伝承があったのでしょうか。



図6/謙譲の聖母の画家「降誕」 『時禱書』より パリもしくはブールジュ
15世紀初頭 大英図書館蔵


 動物たちを撫でているイエスの描写もよく見かけます[図6]。イエスが救世主であることを証す動物たちは、11世紀以降、幼な子への愛情表現の担い手となってゆくのです。



図7/フラ・フィリッポ・リッピ《森の聖母》
1460年頃 板、油彩 ベルリン国立博物館蔵


 聖母マリアが誕生間もない我が子を拝む「敬虔の聖母(Adoration)」という主題があります。フィリッポ・リッピの美しい作品はそのひとつ[図7]。暗い森のなか、地面に置かれた御子の周りから、ゆらゆらと湯気のように黄金色の光が立ちのぼっています[図1]。
『イエス・キリストの生涯に関する瞑想録』のなかにもマリアとヨセフが御子を拝む描写がありますが、御子は飼い葉桶のなかです。御子を地面において拝む──この主題の成立に決定的な影響を与えたのは、スウェーデンの聖ビルギッタの幻視でした。
 1303年、スウェーデンのウップランド地方の名門貴族の娘として生まれたビルギッタは、1344年に夫が死んだ後フランシスコ修道会第三会に入り、在俗の修道女となります(在俗の修道女は、修道の誓約はたてるものの、婚姻関係も維持するなど世俗の生活を営みます)。1350年には娘のカタリナとともにローマへ赴き、新しい修道会の設立に邁進。1371年から72年にかけてエルサレム巡礼を果たします。そして1372年3月13日、滞在していたベツレヘムで、ビルギッタは降誕の場に居合わせるという幻視を得たのでした。ビルギッタの預言を修道士マティアスが聞書した『預言と啓示』には、以下のように記されています。

 わたしがベツレヘムで主の飼い葉桶のかたわらにいたとき、きわめて美しい乙女を見た。白いマントと繊細に織られたチュニックにすっぽりと包まれていたが、それらを通してさえ、わたしは処女の肉体を見ることができた。彼女の子宮は大きく膨れていた。ちょうど出産するところだったからである。乙女とともにすこぶる立派な老人がいた。彼らがともに連れてきた牛とロバもいた。動物たちは洞窟に入り、男はそれらを飼い葉桶に繋いだ後、外に出て、乙女のために火の点いた蠟燭を持ってきた。蠟燭を壁にとりつけると、出産の場に居合わせないよう外に出た。
 すると乙女は、靴も、包まれていた白いマントも脱いだ。かぶっていたベールを脱ぐとかたわらに置いた。したがって乙女はチュニック姿で、美しい金髪はほどかれて肩に流れかかっていた。このうえなく清らかで繊細な麻と羊毛でできた二枚の小布をつくってもってきていたのは、そこに生まれ来る御子を包むためである。ほかにも御子の頭を覆い固定するための小さなものをもっていて、時が来たら用いるためにかたわらに置いた。
 そして準備がすべて整うと、乙女はおおいなる尊敬の念とともに、祈りの姿勢をとって跪いた。飼い葉桶に背を向けて、顔は東の方の天を仰いでいた。両手を伸ばして、目は空を見つめ、瞑想のなか、神の甘美に歓喜しつつ恍惚として立ち尽くしていた。そうして祈りつつ立っているとき、彼女の子宮のなかの御子が動くのをわたしは見た。突然、一瞬にして御子は産まれて、御子は、ことばで言い表せないほどの光輝を発していた。太陽も、聖ヨセフがそこに置いた蠟燭とも比べものにならないほどの光。神の光は蠟燭の物質的な光を凌駕していた。
 そしてあまりに突然で、瞬間的だったので、わたしにはどのようにそれが起こったのかわからなかった。出産を見分けることもできなかった。しかしながら、ほんとうに突然、栄えあるみどり子が裸で地面に横たわって輝いているのをわたしは見た。その身体は土や芥に汚されることはなかった。それからわたしは、奇跡的に甘美ですばらしく美しい天使の歌声を聞いた。出産の前は膨れていた子宮は縮んでいた。彼女の身体はすばらしく美しく繊細だった。
 マリアは子が産まれたことを悟るとすぐにおおいなる誉と敬愛とともに御子を拝んだ。こうべを垂れ、手を合わせてこう唱えた。「ようこそ、我が神、我が主、我が息子」(中略)それらが終わった後、ヨセフが洞窟に入ってきて地面にひれ伏し喜びの涙を流した。

 この幻視の内容を忠実に再現したのが、ナポリで活躍した画家ニッコロ・ディ・トマソによる板絵です[図8]。「敬虔の聖母」という主題では最古の美術作品とされており、同じ画家が描いた同主題の板絵が複数残ります。



図8/ニッコロ・ディ・トマソ《聖ビルギッタの幻視》
1372年以降 板、テンペラ ヴァチカン絵画館蔵


 右端で跪いているのが聖ビルギッタ。聖母の傍らには脱いだ衣服や靴があり、白い下着姿です。いつもはベールに隠れた長い金髪が、この絵では露わになっています。地面には光に包まれたイエス。天使の群れもほら穴を取り囲んでいます。この構図は瞬く間にヨーロッパ中に広まりました。この連載の「降誕1」で紹介した写本挿絵も、ビルギッタの幻視に基づく「敬虔の聖母」図です。



図9/ロレンツォ・モナコ《降誕》
1414年 板、テンペラ ウッフィツィ美術館蔵


 各地に広まった「幻視」は、地面に置かれたイエスにマリアが祈りを捧げるという大筋こそ変りませんが、若干の異同もありました。例えば家畜小屋。ベツレヘムの習俗では洞窟を家畜小屋とするため、東方キリスト教美術ではほら穴が生誕の場所として描かれます。それに対して西ヨーロッパは小屋が主流。そして、イエスを直かに地面に置くことを申し訳ないと思ったのか、イエスに向かって、まるで臍の緒のように、マリアの衣が延びてゆくのです。



図10/ドレスデンの祈禱書の画家「降誕」 『時禱書』より ブルッヘ
1480-85年頃 ニューヨーク、メトロポリタン美術館蔵


 図10も「敬虔の聖母」図ですが、イエスは地面の上ではなく、マリアの衣のなかにすっぽりとおさまって寝ています。お母さんのお腹のなかにいるかのように安らか。場所は廃墟のなかですが。



図11/マイスター・フランケ《聖トマス・ベケットの祭壇画》より
1424年 板、油彩 ハンブルク美術館蔵


 イエスが飼い葉桶から地面に移動したことで、牛とロバが得をします。飼い葉を食べている動物たちを絵のなかに見つけたのは、大学の教え子のSさん。北ドイツの画家でドミニコ会士でもあったマイスター・フランケが描くマリアは、白いチュニックを着て、長い金髪も愛らしい。画面の端では牛とロバが、光り輝く御子を凝視しながら、むしゃむしゃ。


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金沢百枝 momo kanazawa

美術史家。東海大学文学部ヨーロッパ文明学科教授。西洋中世美術、主にロマネスク美術を研究。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。理学博士・学術博士。2011年、島田謹二記念学藝賞。著書に『ロマネスクの宇宙 ジローナの《天地創造の刺繍布》を読む』(東京大学出版会)、『ロマネスク美術革命』(新潮社)、共著に『イタリア古寺巡礼』(新潮社)。「青花の会」編集委員。
twitter:@momokanazawa


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