天使が舞い降りて、乙女に救い主の懐妊を告げる、いわゆる「受胎告知」「聖告」「生神女福音(しょうしんじょふくいん)」と呼ばれる場面は、キリスト教美術では「磔刑」の次に多く描かれる人気の主題です。なぜなら、神が神としての性質を保持しながら、ひとの肉体を纏って地上に降り立つ「受肉」という重要な教義を表すと同時に、「救世主の到来」という新しい時代の幕開けをも示しているからです。
 しかし、この主題が重視されるようになったのは、胎となった聖母マリアへの崇敬の高まった5世紀以降のこと。新約聖書で「受胎告知」について記しているのは「ルカによる福音書」(紀元後90年代)のみです。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネが伝える四つの福音書のなかで最も古い「マルコによる福音書」(紀元後60年代)は、イエス30歳の出来事である「洗礼」からはじまっていて、「受胎告知」を含む幼少期の記述はありません。長いけれど重要なので引用します。

天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名づけなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六ヶ月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで天使は去って行った。(「ルカによる福音書」1:26-38)

 いくつか確認しておきましょう。告知の場所は現在のイスラエル北部ガリラヤ湖近くの町ナザレ。登場するのは、大天使ガブリエルと乙女マリア。マリアはダビデの家系のヨセフと婚約中です。彼女が身籠るのは神の子。聖霊のちからで宿るとされています。
 イエスの誕生予告は型破りです。旧約聖書にも誕生の予告の例はあります。たとえば、アブラハムの子を身籠ったまま荒野へ逃げた女奴隷ハガルは、彼女の前に現れた天使から、生まれ来る男子の華やかな将来を約束されました(「創世記」16:7-11)。同じアブラハムの子、イサクの誕生は、神が直接アブラハムに伝えました(「創世記」17:15-16)。しかしこれらの予告は、夫がある女性に対して成されています。一方、マリアはまったくの生娘。そして、生まれるのは、ほかでもない神の子です。こんな突拍子もないことをルカが書いたのには、わけがあります。旧約聖書の「イザヤ書」で預言されているとおりにしたかったからです。

それゆえ、わたしの主が御自ら
あなたたちにしるしを与えられる。
見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
その名をインマヌエルと呼ぶ。
「イザヤ書」第7章14節

「受胎告知」を詳しく書いていない「マタイによる福音書」も第1章22—23節では、さらに「イザヤ書」第7章14節を引用して、処女懐胎を強調しています。


図1/シモーネ・マルティーニとリッポ・メンミ《二聖人のいる受胎告知》(部分)
テンペラ・板 1333年 フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵

「いくら神さまでも、妊娠なんて突然すぎます。ムリ!」という感想を女子学生から貰ったことがあります。その学生さんじゃありませんが、マリアもたいそう驚いたに違いありません。フィレンツェのウッフィツィ美術館にあるあの名品、シモーネ・マルティーニの《受胎告知》[図1]のマリアさまの眉間を見るたびに、心のなかで(やっぱりちょっと嫌そう)と思ってしまうのはわたしだけでしょうか。


図2/『ラッブーラ福音書』「受胎告知」 シリア 6世紀 フィレンツェ、ラウレンツィアーナ図書館蔵

 福音書もマリアの心の動揺を「戸惑い」「恐れ」などと表現していますが、画家たちも、マリアの驚き、混乱、服従のようすを描くのに苦心したようです。聖母さまの尊厳を傷つけないよう、でも少女らしい恥じらいや恐れも……。中世初期の表現は控えめです。6世紀にシリアで作られた《ラッブーラ福音書》[図2]のマリアさまが、驚きのあまり椅子から立ち上がったところだとは思い至りませんでした。


図3/『エチミアヅィン福音書』「受胎告知」 アルメニア 6世紀末-7世紀初
イェレヴァン、マテナダラン写本図書館蔵

 6世紀末から7世紀はじめにアルメニアで作られた写本[図3]では、マリアは顎に手をあて「この挨拶ナニ?」と考えこんでいるようす。《グラードの椅子》として知られる7〜8世紀の象牙彫り[図4]でもマリアは戸惑うように身を退き、手を顔に添えています。地中海の東側では考えこむタイプが多いようです。


図4/《グラードの椅子》 東地中海 7-8世紀 ミラノ、スフォルツァ城市立工芸博物館蔵


図5/「受胎告知とヨセフへのお告げ」『ドロゴ福音書』 メッツ 845-855年 パリ国立図書館蔵

 850年ごろ、カール大帝の息子メッツ司教ドロゴの注文によってつくられた福音書[図5]の装飾では、左手を顔に添えて椅子に腰掛けたマリアの横顔は、描かれていない天使を見つめているようにも見えます(上段。下の場面はマリアのいいなずけ「ヨセフの夢」)。


図6/『四福音書』「受胎告知」 エヒテルナッハ 現ルクセンブルク 11世紀半ば頃 大英図書館蔵

 11世紀になるとしぐさがやや大げさに[図6]。マリアは相変わらず無表情ですが、両手を大きく挙げています。といっても、これは驚いているのではなく、神を讃える祈りのポーズ。オランス(orans)といいます。


図7/ロレンツォ・ロット《受胎告知》 1534年 レカンティ市立絵画館蔵

 キリスト教美術の決まり事はながく引き継がれ、ロレンツォ・ロットの同場面[図7]でも、わたしたちの目には、マリアさまは突然の来訪者にびっくりして「降参」しているように見えますが……やはりオランス。父なる神が雲に乗って現れて、えいやっとばかりに差し出した手も気になるし、天使が床に落とす影も不思議ですが、これらについては次回以降お話したいと思います。


図8/「受胎告知」 シャルトル大聖堂 西窓ステンドグラス 1150年頃

 片手が糸巻きや本でふさがっていても、もう片方の手は必ず挙げる、これ、鉄則です。ここではロマネスク期のステンドグラス[図8]の例をあげましたが、これはルネサンス期までかわりません。同時に、このときの天使のしぐさも気になります。2本の指を閉じたチョキの形にさしのべるのは、挨拶や祝福のしぐさ。天使が冠のような輪っかを額につけているのは、ガブリエルが天使のなかでも位の高い大天使だから。その位階をあらわす笏(baculus、この図では左手に持っている)が、12世紀頃から棒先の十字が、マリアの純潔をあらわす百合の花や、マリアの血筋の正統性を表す若枝へと変化し、13世紀には百合の枝をもつガブリエルも現れます。天使の足の踏み込みぐあいも、わたしの注目ポイントです。霊的な存在なので肉体をもたないはずの天使が、しっかりと足を踏み込んでいます。


図9/ティントレット《受胎告知》 1583-87年 ヴェネツィア サン・ロッカ同信会館

 天使との遭遇の驚きぐあい。きわめつけはティントレットでしょう[図9]。空から急降下した大天使ガブリエルの動きに合わせて小さい天使たちが連なり、ダイナミック。マリアは大きくのけぞりつつ、天使と視線を交わしています。廃墟のような建物は、貧しい大工のいいなずけとなった状況とともに、マリアの心の慎ましさも表現しています。


図10/ジェイムズ・ル・パルメー『百科全書』「受胎告知」 1360-75年頃 大英図書館蔵

 ダイナミックな絵もいいけれども、図10のようにシンプルな方がストンと腑に落ちる気もします。枠内に収まらないため片翼しかない天使とマリアの間には大きく伸びた百合の花。切れ長、しもぶくれの平安時代の姫君のようなマリアさまは両手を交差し肩において「恭順」のポーズをとっていますが、天使とマリアの間にはなんとも微妙な空気が漂っていて、じわじわ楽しい。

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