私が編みものに興味を持った2000年代初頭、海外の編みものに関する日本語の情報は、オンライン上にはあまりなかった。そこで、海外の情報を求めて「Knit」「Knitter」といった言葉で検索するうちに見つけたのが「ニッターズ・レビュー」というサイトだった。そこは、オンラインで初めて見つけた、ニッターのための広場だった。

このサイトは、2000年にクララ・パークスという女性が立ちあげたものだ。もともとサンフランシスコでIT業界の雑誌の仕事をしていたクララは、その仕事のストレスから逃げるように、オフィス近くのヤーンショップ(毛糸店)に足を向けるようになる。以前はニッターだった彼女にとって、そこは疲れた心にどうにか酸素の供給ができる場所だった。彼女のスタッシュ(糸の在庫)はまたたく間に膨れあがり、編みものの本を買いためるうちに、そのなかにいる人々――羊を育てたり、染色をしたり、デザインをしている人たちこそが、自分と同じ空気を吸う世界の人たちであると気づくようになる。数年後、彼女はついに決断をする。アメリカ西海岸の広いコンドミニアムと実入りの良い仕事をすべて捨て、東海岸のメイン州へ移住。そこは、かつて祖母に編みものの手ほどきをしてもらった土地だった。そして、本来の自分が居るべき場所、編みものと毛糸の世界で暮らしていくために、「ニッターズ・レビュー」を立ち上げたのだ。

このサイトの最大の財産は、編み糸のレビューの膨大なアーカイヴにある。隔週発行のニュースレターで、クララはさまざまな編み糸を取りあげてきた。それは糸の表面的な紹介にとどまらず、糸の来歴から、編むときの滑り具合、編み地の状態、水通し後の状態をレポートし、さらにそれを持ち歩いて自然に毛羽ができる状態に近づけて観察する。そのうえで改めて、その糸がどのようなものを編むのに適しているか分析して提案するという徹底的なものだ。

それまでのニッターにとって、糸に関する主な情報源はヤーンショップや雑誌の広告だけだった。その糸に必要な編み針の号数、素材の組成などの情報はラベルを見ればよいし、ショップで編地見本に触れられることもあるけれど、あとは自分で買って編むしかない。そのなかで、クララの始めた編み糸のレビューは、ニッターが知ることのできる情報の範囲を大きく広げてくれた。しかも、糸メーカーの宣伝ではなく、各社の新作糸を紹介する雑誌記事でもなく、そんな、ニッターの手に沿った糸の紹介の仕方は、見かけたことがなかった。

クララの糸レビューは、その後の私の糸選びの趣味に決定的な影響を与えた。当時、日本国内の手芸店で目にする輸入糸は、ほとんどがヨーロッパからのものだった。けれど「ニッターズ・レビュー」で取り上げる糸は、主に北米で流通しているカスケードやローナズ・レースなど、それまで日本ではまるで知られていなかったブランドだった。ごく小規模に生産されている手の込んだ糸から、羊に近いカジュアルな糸まで幅広く、それらを見ているうちに、自分もさまざまな糸を手に取ってみたくなった。

初期の「ニッターズ・レビュー」には、オンラインショップも併設されていた。糸や針、編みもの本といった普通のヤーンショップで売られているものは扱わず、かわりに編みもの関連のメッセージ入りのTシャツやマグカップ、美しい毛糸や羊の写真を使ったポストカードなどのオリジナルグッズが売られていた。

おそるおそる注文してみたTシャツやカードには、クララ本人の手書きのサンキューメッセージとおまけのカードが入っていた。クララによると、当時、日本からの注文はほかにはなかったという。彼女ははるか遠くアジアのいちニッターから届くメールにきちんと返事をくれ、そこからやりとりが始まり、そのうちプライベートな話もするようになった。そして、今回の羊と毛糸を巡る旅のなかで、ついにクララ本人と会うことができた。

アメリカ東海岸の最北でカナダと接するメイン州。その南西部に位置する州最大の都市ポートランドは、シーフードとたくさんのレストラン、良質なブルワリーでも知られている。クララ・パークスは、煉瓦造りの邸宅が並ぶポートランドのウエストエンド地区のすぐ近くに住んでいる。7月のその日、夏なのに肌寒いような霧雨のなか、クララはコンドミニアムのポーチに腰かけて、私たちの到着を待っていてくれた。

クララは、思ったよりずっと小柄な女性だった。すでに写真で見知っている顔の、眼鏡の奥の目が笑っている。彼女は初めて会う私を、遠来の友人としてごく自然に迎えてくれた。


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