牧場で草を食む羊から、糸の紡績、染色の方法と、アメリカで手編み糸が出来上がるさまざまな段階を眺めてきた。けれども実際にこの国でニッターが使っている糸の大部分は、すこし雰囲気のちがう糸だ。
北米最大手の手編み糸ブランドとして挙げられるのは、ライオンブランド、レッドハート、ベルナットなど。これらは、マイケルズ、ジョアンズといった全米チェーンの大きなクラフトショップや、ウォルマートのようなスーパーで売られている。ウール糸ももちろんあるが、大半がアクリルなどの化繊寄りだ。価格は安価で、100グラム5ドル以下で買えるものが大量にある。実際のところ、ラベリーの「もっとも編まれている糸」トップテンのうち半分程度がこのような糸で占められており、ちょっと意外に思う。
一方、チェーン店ではない、町のローカル・ヤーン・ショップ(LYS)に置かれるアメリカン・ブランドの手編み糸には、カスケード、ベロッコ、クラシック・エリート、プリマスなどがある。これらは、ウールが主体ながら、シルクやアルパカなどの自然素材、ナイロンやレーヨンなど化繊を含めたさまざまな素材のブレンド糸があり、品質には信頼がおける。しかしながら、彼らはヤーン・カンパニー(糸販売会社)ではあっても、メーカー(製造者)ではない。では彼らの糸は、どこからやってくるのか。
こうした糸ブランドの製品は、基本的に海外から仕入れられている。世界中の紡績会社や工場が出展する糸業界の見本市に訪れて、糸を選び、色展開を決定する。それを輸入し、糸玉やかせの形に小分けして、自社ブランドでの名前をつけ、ラベルを貼り、流通させる。カスタムメイドで糸を紡績してもらうこともあるが、むしろ糸を広く流通させる部分の機能を担うので、この種のヤーン・カンパニーはディストリビューターという名がふさわしい。
バーブの糸のような、農場が自家ウールで小規模に生産するファーム・ヤーンは、どこでも手に入るわけではないし、価格も安くはない。ならば近所のヤーン・ショップに置いてあるような、より一般的な糸のことも知りたい。羊の顔が見える素朴な糸にその物語があるように、よく知られたヤーン・カンパニーにも彼らの物語、彼らの現場があるはずだ。そんなふうに考えて、全米で広くニッターに愛されているヤーン・カンパニーのひとつ、ベロッコ社に向かった。
ベロッコ社は、100年以上にわたって紡績産業に携わってきたウィーロック家が経営するヤーン・カンパニーだ。初代ジェリー・ウィーロックは、19世紀初頭にマサチューセッツ州の毛織物紡績工場で働きはじめてテキスタイルの世界に入った。彼の曾孫のスタンリーが、1905年にスタンリー・ウールン・ミルという会社を設立し、主に男性用のウール衣料やコート、ジャケットといった製品の製造工場として業績を伸ばした。1968年に同社はスタンリー・ベロッコという子会社をつくり、手編みと手織り糸の輸入販売を始める。取り扱う糸は国産の糸のほか、アイルランドやオランダからの輸入糸も含まれていた。1987年にスタンリー・ウールン・ミルがその長い歴史を閉じてカナダの会社に売却されたとき、子会社であるスタンリー・ベロッコは、ウィーロック家の6代目であるウォレンが買い取って、ベロッコ社として新たなスタートを切った。
同社は現在、社員数は100名に満たないながら、北米で広く知られる大手ヤーン・カンパニーのひとつだ。「About.com」では2012年と2013年に連続で「一番好きなヤーン・カンパニー賞」を獲得した。我々がベロッコを訪れた2013年、同社のデザインチームを率いるデザインディレクターは、アメリカニット界では知らない者のいない大物デザイナー、ノラ・ゴーンだった。
ノラは最初の作品集『ニッティング・ネイチャー』を執筆後、2005年にベロッコ社のデザインディレクターに就任した。同社の仕事をしながら、『ヴォーグ・ニッティング』誌2006年冬号の「Cabled Borero」や、『インターウィーブ・ニッツ』誌2007年秋号の「Tilted Duster Jacket」など、雑誌の表紙を飾って話題になり、多くのニッターに編まれた人気パターンを、いくつも生み出してきた。
マサチューセッツ州の南端、ロードアイランド州に差し掛かるあたりの地域は、東海岸のテキスタイル産業の盛衰の歴史の一部を形づくった一帯で、「ブラックストーン・リバー・バレー国家遺産地帯」として保護されている。この地域のノース・スミスフィールドという小さな町に、1904年に建造された元綿織物紡績工場の赤煉瓦の建物がある。その一角に、ベロッコ社はあった。