*この連載は seikanet(骨董通販サイト)の関連企画です

14 続・塼仏





唯一性を孕む物と複製可能な物の比較から、そこにまつわる権力構造を浮かび上がらせてみたい。などと前回、何も考えていないくせにやけに大きな風呂敷を広げたものだから、非常に困って上州あたりの温泉街に逃亡したい気分でいるのですが、この気持ちさえも唯一無二のものと思えば、なにか尊い経験をしているようでもあります。

権力のあるところに、より多くの手間と資財を投じた物が集まるというのは当然の話です。国営の官寺の堂内を飾るのは専門の職工によって作られた繍仏であり、製作には相当の技巧と時間を要します。飛鳥寺、薬師寺、大官大寺といった格の高い寺院の壁面装飾にのみ用いられたもので、複製の利かないものですから、地方の寺院に流通することはありません。寺格が下がると、荘厳には銅板の押出仏が用いられ、さらにそれが簡便化した塼仏が寺格に応じて使われたのであろうと、仏像研究者の久野健は言います。一つの原型から複製の像を大量に制作できる塼仏は、通例の価値判断からしたら市場価格は繍仏より下がるはずですが、骨董の世界となると、折々の流行や人為的な価値転換の手腕が介入しますから、一概に云々できません。たとえば坂田さんのように、唯一性への反骨が物を選ぶ際の志向(嗜好)の一つとなっている人もいますから、その志向が世間の嗜好と一致すれば、金額の多寡はたやすくひっくり返ります。

ある一つのオリジナルから生み出される反復の型に惹かれる小松さんは、オリジナルの尊さをもちろん知りながらも、そこから同じ型の物体が生産されてしまうことに得も言われぬ魅力を感じているようです。同じ物の比較のうちに差異を見分ける微分的な眼を持っているはずですが、個体差に優劣をつけることはせず、ただ生産が繰り返されるという事態におもしろさを感じているのです。繰り返されるなかで徐々に自意識が後退し滅私に近づいていく事態は、どこか祈りという行為に似ています。祈りを感じさせる物を志向する態度を、この取材を通して何度か小松さんには感じました。

骨董と反復という命題で何ぞネタでも、とパソコンをがちゃがちゃ弄っていたら、おもしろい記事を見つけました。2021年の「青花の会|骨董祭」に、村上隆さんが陶芸家の村田森さんと組んで「となりのトトや」名義で出展するにあたってのステートメントのような文章です。北大路魯山人の写しを作ってブースに並べるのですが、なぜに創作物が骨董として出品されるのかということについての弁明です。それが2024年のいま読むと、骨董界の現状に批評的言説としてクリティカルヒットするのです。

概要としては、まず魯山人の壺をデジタルスキャニングして、それを115%に拡大出力する。で、そこから取った雌型に土を入れて型を取り釉薬を塗り焼き上げるという、まさに塼仏のごとくオリジナルから反復を生み出す作業をしているのです。さらにおもしろいのは、魯山人自身も古作の信楽の壺を石膏型に取って自分の作品を作っていたと。だから村上さんたちがやったのは、コピーのコピーというわけです。古信楽の壺をオリジナルとするその複製がそもそも骨董なのかという疑義に関して、村上さんは仮想通貨などの例をとって、価値概念の変容という文脈で説明しています。

さらに村上隆つながりで掘っていったら、YouTube でミュージシャン・音楽評論家の”みの”との対談を見つけました。日付を見たらそれも2021年。そのなかで村上さんの興味深いコメントがあって、その概要。「一個の作品に収斂する必要はない。その作品を生み出す環境がすでにアートである。と話せば、その文脈を共有できる人はいるけれど、クリエイターはこと自分のクリエイションにたずさわるや否や、作品一個にこだわってしまう」と。みのさんが村上さんとの会話で、その意図するところを理解しつつも、いざ物を創り出す段となると、そこに自分の魂を表現しようとしてしまう。その段階に至るまでの過程含めて、すべてをアートと見做せばいいのに、わざわざ一個の作品に己を収斂させようとしてしまうスタンスへの批評です。

実体より過程、という態度はデュシャン以後の考えで、アートの世界では自明になっているとはいえ、骨董では馴染まない考え方です。ただ、坂田さんがこれに近いことをやっていたと思います。骨董・古美術の世界では、価格の高い物、一流とされている物ほど実体的で確固たる物であると思い込まされていますが、坂田さんはその虚実を突いて反転させてみた。コーヒーフィルターとかボロ雑巾とか針金は、そのものに価値があるというよりは、それを見出して販売という土俵にのせるに至る過程に意義があります。そこにたどり着くまでに、いろんな物や人の影響を受け、咀嚼消化し、自家薬籠中の物とした。その時間そのものが商品であるという考え方は、坂田さん以前には表に浮かび上がっていなかったはずです。坂田さんに比べると、小松さんは遥かに実体的な思考の持ち主です。が、これは退行ではなくて、坂田さん言うところの揺り戻しであると思います。ビジュアル偏重のデザイン志向の強い一目瞭然の単数性の物が人目を引く中で、小松さんの選ぶ物は、青山二郎言うところの後期印象派的なコクのある複数性に満ちたものです。中には一目見てだけでは良さが分からない物もある。そこにはいい意味での店主と客との教育的関係が発生する土壌があるように思えます。多様に見えてそうでもなかったりする現行の骨董界に、図らずも揺さぶりをかけているのが小松義宜という人なのです。



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