*この連載は seikanet(骨董通販サイト)の関連企画です
7 年画
小松さんがその折々に所有している物を見繕ってお店に並べたところに、菅野さんと逆光がやって来て、その物をダシに、これからの骨董とは? とかいう解けない謎について鼎談する企画。という建前で何回目かを数えましたが、実際は”鼎談”などという、どう読むかも分からないことはしてなくて、話は脱線につぐ脱線、まとめようの算段もつかないうちに散会となり、あとになって現場の空気を脳内再生しながら、その場にそぐう言葉を拾い上げ、なんとか文章にまとめているのが実情です。楽屋話などしても仕方ありませんが、今回はひどく難渋して、〆切を過ぎてなお書き終わる気配が見えず。そこに来て、見逃していたNHKの「ジブリと宮崎駿の2399日」の配信があるのを知って、つい会員登録して見始めてしまったのです。優先してやらなければならないことがある時ほど、関係ない方向に没入してしまうという、何とかの法則に支配されてしまったのでした。
ドキュメンタリーでは、『君たちはどう生きるか』の制作風景を中心に、宮﨑駿の今が浮かび上がるような感じに過去現在の場面をつないで編集しているのですが、その姿が坂田さんに重なってしまい、妙に感傷的になりながら見ていました。1940年代生まれということ以外には、とくに共通点のなさそうな二人です。が、私自身の感受性を深く傷つけ(と言いたい)、ほとんど身体的な影響をこうむったというところで、自分の中では同じ領域にいる人です。一人は少年から青年期にかけて、もう一人はそれ以降から今に至るまで。一人はまだ生きて、しきりに「めんどくせえ、めんどくせえ」とぼやきながら絵コンテを切っています。病を得てから渡欧ができず、都内の骨董市で品物を探し歩く坂田さんは嬉々として見えましたが、かかえていた屈託は似たものだったかもしれません。
さて”鼎談”について。これからの骨董のありようとは? みたいなテーマを3人で話したところで、何がどうなるものでもないわけですが、話しているうちに何かが立ち上がってくる気配があり、その現場として honogra が在るというのは意想外に刺激的ではあるのです。そこに即効性のある意義を求めてしまっては、せっかく立ち上がってきた気配がおもしろくないふうに回収されてしまう気がして、そうならないよう、答えの出ない話題を延々と話し続けている気もします。ときに「めんどくせえ」と思いながらも。
今回小松さんが見せてくれたのは年画。中国の民衆絵画、というか版画です。極彩色の色刷りの紙ペラで、豊作や金運アップなどを願って、春節に家の中や門口に飾ったものだとのこと。横尾忠則とか湯村輝彦を思い起こさせるキッチュな色づかいは、たしかにそういう運気を引き寄せそうな、どれも景気のいい絵筋です。とはいえ、ミニマルデザインが視覚的流行として幅を利かす昨今ではたぶん人気はなさそうで、市場に出ても買う人の顔が浮かばない代物なのですが、どういうわけか小松さんはこういうのを買うんですね。だからこうして目の前にあるわけです。しかし何でも買うな、この人は。と、小松さんの守備範囲の広さに啞然とすることもあります。いや、自分は決して扱うものの幅が広いわけではない、というようなことを言ってた気もしますが、本人の心づもりはともかく、好きな物だけに囲まれることをよしとしないある種の職人性には目を見張ります。宮崎駿の底流にあるアルチザン魂に通じるものを感じます。小松さんも「めんどくせえな」とか言うのでしょうか。
「ジブリと宮崎駿の2399日」前半、高畑勲と鈴木敏夫のやりとり。「かぐや姫の物語」の進捗が遅くて、このままでは明らかに公開予定日に間に合わないことを鈴木敏夫に諭されるシーンがあるのですが、このときの高畑が見せる態度には驚きました。
「遅れたら遅れたままです。僕の場合は。全然平気ですよ。この作品が完成しなくたって。」なんという傲岸不遜。まるでゴダールのようではないですか。原稿が間に合わないときに、菅野さんを前にして一度同じことを言ってみたいものだと思いました。
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