*この連載は seikanet(骨董通販サイト)の関連企画です

12 続・瓦経





honograに並ぶ瓦経たちを見ていきましょう。今回、いちばん多かったのは鳥取県大日寺の裏山から出た瓦経です。経塚遺跡は全国に2000ヶ所造られましたが、ほとんどが紙本の経典を埋納したもので、瓦経の出土遺跡は50数例しかありません。その中で延久3年(1071年)の紀年銘が入る大日寺経が、現存する瓦経では最古のものです。瓦経としては珍しく横罫が引かれていたり、写す経典に合せて寸法を変えていたりと、定型化していないあたりは、やはり最初期の瓦経であろうとの見解です。市場でまま見かけるのが、伊勢神宮外宮の丘陵から出る小町塚瓦経で、それに比べると大日寺のものはエッジが立っていて、土も精錬されたものが使われているように見えました。小町塚のは瓦の角が面取りされているものが多いと教わったことがありますが、店に一つだけあった小町塚を見ると、たしかに角がちょっと落ちていました。瓦経を手に取って見比べるなど得難い経験ですから、少し自慢したい気持ちですが、世間からしたら欠片の比較検討などべつに羨ましくないかもしれません。

変わったところでは、印塔瓦経とでも言うのでしょうか、型で五輪塔を捺した瓦の残欠がありました。制作意図は判然としませんが、捺すという反復行為が作善と見なされ、造塔の功徳と同一視したのかもしれません。もう一つ珍しいのが、胎蔵界か金剛界かは分かりませんが、細やかに曼荼羅が線刻された瓦。大日寺経塚から出たものの中に両界曼荼羅を描いた欠片があり、これもそこの出土だそうです。京都国立博物館に同手が所蔵されており、接合箇所の確認をしたいとのこと。この世にこういうものがあることに驚きますが、それが honogra にある事実にいっそう驚きます。さらにもう一つ、一仏一字経。陽刻で仏像の坐像が表され、胸部に一字ずつ経典を彫りこむというもので、稀少度のほどは分かりませんが、いずれ珍しいものでしょう。兵庫の楽音寺からの遺物がよく知られています。

それにしても、これだけ豊富なコンテンツの圧力に耐えながら商いを営んでいくのは精神衛生に害を被りそうですが、小松さん本人に何かしらの自覚症状があるのかないのか、ハタから見るかぎりでは察しがつきません。「この骨董が、アナタです」的な、物に対して自己を投影するある種のナルシシズムとは無縁の精神構造のようです。自分の買った物には、その是非はともかく少なからず自意識が反映しがちですが、小松さんの物にはそれが無い(ように見える)。仕入れから陳列、販売までの流れをデザイン化した、いわば自意識を行き渡らせたフォーマットを駆使した展開が SNS の浸透以後は常態化していますが、小松さんにはそういうセルフプロデュースの手管が見えてきません。どこかで今の趨勢と軌を一にすることに忸怩たる思いがあるように見えます。にもかかわらず、自ずと小松ブランドが立ち上がってくるのは一体どういう事態なのか。

クロソウスキー『ニーチェと悪循環』からの言葉。「身体とは偶然の所産である。それは諸衝動の全体の出会いの場所にほかならず、それらの衝動は一人の人間の生の期間は個人化されているとはいうものの、ひたすらに非個人化されることを渇望しているのである」。何だか分からない言い回しですが、見かけほど難しいことを言ってるわけではないでしょう。今回の例に当てはめてみるなら、小松義宜という一個体と、彼の元に集まる物の一群の出会いとは、もはや個人性を剝奪された偶然の出来事でしかない、ということです。自意識から解放された不思議な個体としての小松さんを、これからも定点観測していかなければいけません。すごく迷惑な話だと思いますが、本人がそれさえも気づかないでいることを祈ります。



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