人間にとって政治経済的諸関係はたしかに、その中で生きねばならぬ切実な所与であるだろう。しかしそれに劣らず、いやあるいはそれ以上に、煙草入れや提灯やこまごました飾りものは、一個の人間にとって生の実質をみたす重要な現実なのだ。 (渡辺京二『逝きし世の面影』より)
今年の11月、青花の会をはじめます。青花とはやきもの用語で染付のこと、また青花(あおばな)は露草の異称でもあります。この会では、おもにふたつのことをおこなってゆこうと考えています。
ひとつは、年に3冊、『工芸青花』という本を刊行します。内容はおもに骨董、工芸、建築です。実用書、入門書はすでに多くあるので、鑑賞のための本づくりを心がけるつもりです。
ふたつめは、茶会、花会、茶話会等の催事です。取材のときなどによく思うのですが、美術品を鑑賞しながら、工芸作家の言葉、美術史家の知見にじかにふれることは、大きなよろこびです。そうした機会を、ひらかれたかたちで、定期的につくってゆきます。
じつは本づくりは、手作業の割合がとても多い仕事です。そしていまは本も、工芸も、時代をおおうファスト化の波にのみこまれつつあります。私たちがはじめようとしていることは、ファスト化の競争からひとまずおりて、工芸と本のあるべき場所をさがすことでもあると思っています。とりもどしたいのは、手ざわりと、時間です。すなわち〈生の実質〉です。
以下の5人の方々は、青花の会の趣旨に賛同し、談話をよせてくださいました。またほかの方々とも、取材や準備をすすめています。しかし、青花の会は、私たちだけではつづけてゆくことができません。共感してくださる会員の方々とともに、これから、すこしずつ、あるべきかたちをつくってゆけたら、そう願っております。
2014年7月
菅野康晴|『工芸青花』編集長
Political and economic relations are, to be sure, the most desperate things that a person has to live with. But no less important, or even more so, are the everyday objects like cigarette cases or lanterns that are a pressing reality in a person's life. (From The Shadow of the Gone Past by Kyoji Watanabe)
This November, we will start a kind of society called The Seika. 'Seika 青花 (blue flower) ' is a term used for blue-and-white ceramics and is another name for dewdrops. In this society, we plan to do two in particular.
One is the publication of Kogei Seika, three issues per year. The articles are mainly on antiques, crafts, and architecture. I intend to make them worth appreciating more than practical or introductory.
The second is events such as tea and flower ceremonies and tea talks. During my work as an editor, I feel joy in being in direct contact with the artists' words and knowledge of art historians while looking at the beautiful objects. We are planning to give such opportunities regularly and openly.
Bookmaking itself is a highly sophisticated craft which involves manual labour. But unfortunately, books and crafts are being swept away by the wave of the modern speeded-up economy. We want to leave the competition and find the right place for books and crafts. What we want to restore is touch and time. In other words, the substance of life.
The following five people showed sympathy with the purpose and shared their stories. There are already others to follow. However, we can only run The Seika with your support. With those who agree with our aim, we want to create a better future for art, crafts and books.
Y. Sugano, November 2014
The Editor-in-Chief of Kogei Seika
*青花会員および協賛者の方々より(50音順/2024年)
井上保美 デザイナー/45R
私はものを見るときに、その背景などはあまり気にせず、好きか嫌いかといった感覚だけで向きあってきた。以前、能の謡を習っていたとき、初めのころは「感性がいいね」と褒められたりもしたけれど、そのうち「基本が」と注意されるようになった。『工芸青花』を開くと、感覚的に好きなものがたくさんある。そして文章を読むと、「そうかそういうことだったんだ」という答えも見つかる。私にとっては教科書のような本。
私たちの服が誌面に載ることになったとき、ほかのページと違和感なく見えるだろうかと心配した。でも大丈夫だった。私たちが作る服はこの本になじむものだったんだとわかって、それがとても嬉しかった。
いまは毎号届くので、心のゆとりのようなものを感じる。いつでも開けば「答え」がある、そんな安心感を抱かせてくれる。
今西善也 「鍵善良房」店主
青花の会の発会および工芸青花の発刊10年ということで、まことにおめでとうございます。大徳寺玉林院での催しからあっという間です。それでもこのような会を維持しつつ本を作り、定期的に出版するということは並大抵のことではなく、関わる皆さまのご尽力には敬服いたします。文化は国の豊かさであります。「本物を知る」ことの大事さを伝えるためにも今後の活躍を期待しております。
大塚潔 骨董商/大塚美術
菅野さんと木村さんから従来にない工芸雑誌を発刊すると話を聞いた事を今も覚えています。広告を入れないこと、会員誌であることに賛同し、発刊以来掲載した精華抄では、できるだけ広告にならないよう心がけました。本が衰退しつつある時代に、まさか10年も続くとは......。装丁も美しく、本棚に全号を揃えた姿はまさしく工芸です。工芸青花と共に歩んできた骨董祭も次回で10回目。今ではお客様や出店業者からも好評の名物催事になりました。
オオヤミノル 珈琲焙煎家
「『工芸青花』が出るぞー!! 高価な本だぞー!!」
と聞いたのは、生活工芸と関わり深い人々がベロンベロンに酔っ払っている松本の深夜でした、多分。それ以来、趣味ある場所で青花に出会うので、軽く拝読し思うのは「ギッシリつまってんなあー」これじゃ読み終わっても捨てられないし、僕が死んでも遺族は意味あり気でさぞ捨てにくいだろう、である。表紙も布に素敵なマークがついてるし、捨てにくいのである。
聞くところによると知り合い達がこの本の制作に関わっているとか。松本のベロンベロン時間にはいない菅野さん、社会主義の話を楽しそうに付き合ってくれる最後の友達高木さん、客観オシャレを思うに捨て置けぬサブシークエンスの人。なので、マジメに拝読すると、新自由主義的グローバリズムを論拠とする日本工芸への啓蒙、知性主義的な美の歴史的根拠、日本古典芸術現役がやって見せる美の非説明的ダイナミズム、もう会えない茶人からの現代への皮肉、の様な特集等々。伴う写真は時に文章内容から離れてしまうこだわり、これはこれで狂気的で美しい。一説には、このこだわりの美がこの本を不定期発行としていると聞く、知らんけど。新潮社という企業の発行物としては美しい噂話ではあるのだ。
で、この様な本で“美味しい”を残せたら“美味しい”もさぞ捨てにくいだろうと思い、「美味しいも載せてー」とお願いしたところ狂気の二つ返事で、今京都の“特別なおでん屋さん“の記録をやって頂いている次第。
もしも青花が終わる日が来るならば劇的な問題などを起こし最後の日をお迎え下さい。さすれば“美味しい”も美しい物の様に、布貼りの素敵なマークの本に守られつつ、話題性を持っていつまでも残る事でしょう。
小澤實 俳人/澤俳句会
「工芸青花」発会10周年、おめでとうございます。ときどき、ほんとうに好きなもののことだけを書かせていただいてきました。これからもときどき、書かせていただきたいと思っています。「工芸青花」、たよりにしています。
金沢百枝 美術史家
10周年おめでとうございます。100年後にわたしたちの「今」をつたえる雑誌『工芸青花』にかかわれたことで、わたしのこの10年は大きく変わったように思います。青花は、出会いの「場」であり、議論の「場」でした。誰に何を伝えてゆくべきか、どんな未来にしてゆきたいか、熱い夜々が記憶に残ります。代々のスタッフにも感謝。
小林和人 「Roundabout」「OUTBOUND」店主
紙に刷ること自体の意味が問い直される昨今、重くて嵩張る布張り上製本の体裁で刊行(敢行)を続ける工芸青花は、現在進行形の運動体でありながら、未来への手紙としての意義を帯びた存在であるといえます。
我々が為すべき事は何か? それは、工芸青花の経典化の回避に他なりません。盛り上げつつも、異議申し立てを怠らないこと。そうして初めて、各々が同時代の伴走者たり得るのではないでしょうか。
坂田敏子 デザイナー/mon Sakata
菅野さんのカバンはいつもギッシリとしておもそうです。きっと頭の中もカバンと一緒で工芸青花だらけなのではと思います。20号まで10年間つづけてこられておめでとうございます。
実は私も取材していただいたことをおもいだしました。しかし、表紙にはそんな目次や中の内容を表すものは何もなく、すぐには見当たらず。背中は「工芸青花 KOGEI SEIKA 」とナンバーしかない。表紙も文字はなく可愛いプレスがシンボルとなり、目次にたどり着くまでも数ページ、4センチ角の布が貼ってあり、部屋にたどり着くまで奥が深い本だということを再認識しました。
そして、何冊かめくるというより開くうちに、やっと見つけました。それは9号でした。「物と私」というタイトルで、一度ほぐしてまたたまにした糸や、旅先でみつけた一本足の鳥、色見本のチップでした。青花の視点が柔らかいと感じました。
華美ではなく、確かな布を纏い、人よりもながいきして数年先数十年先数百年先も美の旅に誘ってくれる本でありつづけることでしょう。
猿山修 デザイナー/ギュメレイアウトスタジオ
一冊の本から始まった試みは、多くの関わりを得て、各々の十年分の、深く掘り下げられた興味が記録され続けている。この先十年を思うと、まだまだ底は見えそうにない。誌面にとどまらず空間へと展開していく姿に、僕も合いの手を入れられたら幸いです。
沢山遼 美術批評家
「青花」という単語を聞くと、もともとの意味の「染付」という言葉より、いまでは第一に『工芸青花』が頭に浮かぶようになりました。「Apple」が (リンゴではなく)「Apple(コンピュータ)」として知られるようになったように。この個人的な感触に、『工芸青花』の10年が示されているように思います。10周年おめでとうございます。
高木崇雄 「工藝風向」代表・日本民藝協会常任理事
工芸とは分野ではなく、ましてや趣味などではあり得ない。それは種々様々な芸術運動が交わる折に生じる調和と軋轢が偶々形を取ってみせる、いわば臨界現象にすぎない。虚空を逍遙する光としての工芸を、さらに拡散させてゆく場としての「青花の会」が、十年にわたりその運動を継続してきたことを心より祝福し、また引き続き闘争/逃走の拠点であり続けることを期待する。
高木孝 骨董商/古美術栗八
工芸青花、青花の会、十周年おめでとうございます。菅野さんはじめ青花にかかわる皆さんにとってもあっという間の十年だったことでしょう。私にとっても、あっという間でした。その間に、コロナ禍があり、坂田さんが亡くなり、青花の会の先行きに不安と揺らぎを覚えることもあったろうと思います。それでも尚(大幅に遅れつつも)、『工芸青花』を刊行し続け、数々の出版物やイベントにも多彩果敢に取り組む姿勢に、私は土俵際の強さの様なものを感じています。微力ながら青花の会のお手伝いをさせてもらっている中で、私にも“ねばり腰”の様なものが、少しは培われた気がしています。
月森俊文 日本民藝館職員
紙媒体の多くが消えていくなか、『工芸青花』が10周年を迎えるという。決して廉価ではないこの雑誌の刊行が今も続いているのは本当に稀有なことで、その業績を祝したい。ここでは、民藝運動の機関誌『工藝』(1931年創刊)と坂田和實を取り上げ、『工芸青花』の特質について私見を記す。
雑誌『工藝』は会員制により、当初は500部限定(のちに1000部から1200部)で創刊した。サイズは菊判、創刊時の本文は洋紙だったが、2年目(13号~)には和紙に改められた。第3号から柳宗悦が編輯を負い(2号までは青山二郎と柳の甥・石丸重治が担当)、表紙や小間絵、組版、本文の排列などに強いこだわりをみせるが、中でも図版(柳は挿絵と呼んだ)とその選品、撮影、トリミングなどに意を注いだのは言うまでもない。認知されていない美しい作物の提示と新作工藝の紹介を図版の柱とし、殊に1936年の日本民藝館創設までは、図版が民藝館的な役割も担っていた。写真家には佐藤浜次郎や坂本万七を登用、土門拳などもその任に当たっている。くわえてほぼ毎号、柳による論考や挿絵の解説などが掲載された。月刊として始動したが、戦中、敗戦後の出版事情や資材調達の困難さから刊行に遅れが生じ、1951年の第120号をもって終刊となる。
『工芸青花』編集長の菅野康晴が『工藝』をどの程度意識していたかは承知しないが、両者の相違点がわかるよう『工芸青花』についても思いつくことを挙げてみよう。こちらも会員制を取り入れ、『工藝』同様1000部から1200部を発行する。もちろん図版には重きが置かれており、A4判という大きな誌面に、通常1頁1点という贅沢な割付で対象の見所を伝えている。初見のものもあるが、既に評価が定まっている作品も切り口を変えて新鮮な形で紹介する。古作だけではなく、生活工芸などの新作紹介も大切なテーマだ。創刊からの連載ともいえる川瀬敏郎の花と、金沢百枝を執筆の軸とするロマネスク美術の特集があり、中でもロマネスクの紹介は、未見の美を示すという点で高い評価が与えられるべきだろう。写真撮影と構成は菅野を中心におこなっており、本の隅々まで菅野の眼が行き渡っている。自然な写真や目が覚めるような見事なレイアウトに出会えることも『工芸青花』の魅力なのだ。
両者の共通点は、ぶれることのない編集方針だ。いずれの場合も、柳、菅野といった一人の編集者が、他の編集委員による合意性などではなく、(スタッフの協力はあったとしても)ある種独断で雑誌に色を付けている。これは他誌との差別化や本の個性をより強く押し出すという意味でたいへんな美点だ。『工芸青花』が刊行し続けている大きな要因のひとつだと言いたい。
そして『工芸青花』の最大の特色は、坂田和實の強い影響を受けていることだろう。「坂田さんと出会っていなければ、この『工芸青花』もつくっていなかったと思う」と言い切る菅野だが、坂田生前には、坂田に関わりのある特集や、彼の選品を見せる「精華抄」を編み、時には本人のテキストも載せた。先のロマネスク特集も坂田がいなければ生れなかったはずだ。なぜなら「坂田さんからロマネスクという言葉とその美しさを教わった」と菅野が語っているからだ。そして歿後、坂田の眼と思想を読者に届けたいという熱い想いが形となったのが、『工芸青花』第19号といえる。この坂田追悼号は、発行後わずか数日で完売したと聞くが、それは坂田の影響も雑誌存続の要因であることを証明している。
嘗て坂田は、「美術館『as it is』設立趣旨書」(1993年11月)の中で「美しいものは技巧や装飾性の強いものではなく、(略)各文化の初期に属するもので技術的には未熟ながら信仰心に依り製作されたより始原的なものや、又私達のすぐ近くに存在する用途に忠実な日常的工芸品に美しいものは多いと言えそうです」と述べた。誌名に「美術」ではなく「工芸」を冠し、それを主題とした『工芸青花』。その意図は、この趣旨書にあるように坂田が(そして柳も)、美術よりも下積みにされてきた工藝に、より美しいものが多くある事実を見届けたこと、この重要な気づきを念頭において付けたためではなかったか。さらに坂田は同書で「本来有るがままの世界の工芸品を多くの人達に見て戴きこの地から本当の美しさとは何かという問題を広く世界に向けて発信して行き度い」と記したのだ。museum as it is を始めとする坂田の活動(思想)の根幹が、この発言に宿っているといって差し支えないだろう。これからも『工芸青花』が、坂田の衣鉢を継ぐ書籍として広く発信されることを願っている。
土田眞紀 美術史家
ウィリアム・モリスは晩年に、柳宗悦は戦時下で、美への悲願を書物に託した。彼らは工芸の美を受け継ぐ者として時代との齟齬を宿命とし、その思想はラディカルであり続けた。『工芸青花』の内に秘めた反骨が、隅々まで心配りされた美しい書物として、この先の十年も世に届けられることを心から願います。
ナガオカケンメイ デザイン活動家/D&DEPARTMENT 代表
あらゆる「物」を「物」としてだけ感じる前に、気持ちや心をますます照らしたい今という時代に、また、様々なメディアに影響されてきたこれまでを立ち止まり、これからの印刷物としての存在を想像すると、この本のような本が必要になると本当に思います。「生活工芸」「民藝」の重要性に日々触れながら、この本は「その集積」なのだと感じこれからも注目していきたいです。10周年おめでとうございます。
那須太郎 ギャラリスト/TARO NASU
好きなことを職業にしてしまった僕としては、野球観戦くらいしか趣味といえるものがなかったのですが、数年前に骨董に興味を持つようになって、もう一つ趣味といえる対象ができました。生業とする現代美術でもそうしていますが、もともと「見て聞いて読んで理解する」という過程を繰り返すのが好きなんだと思います。だから書籍と展示即売会が連動している『工芸青花』は僕には理想的な導き手でした。バックナンバーから一冊を取り出して頁を繰りながら、次の青花の会には何が出るのだろうと想像するのは、自分だけの楽しい寛ぎの時間です。あとはなんとかして『工芸青花』の第一号を入手して本棚の「欠け」を埋めたい。こんな執着も収集癖の表れですね。良いデザインの本を集めるのも好きなので、僕は青花の会のファンであるだけでなく『工芸青花』のファンでもあると自認しています。
西坂晃一 古物商・ギャラリスト/白日
まだ誰からも評価されていない人や物を躍起になって追い求め続けていると、自分が一体何処へ向かっているのか分からなくなる時があります。感触の無い手応えに悶えるような日々。どうやらこの仕事、問いも忘れた答えを探す長く険しい旅のようなのです。
布団の傍らに無造作に積み重なった青い花。風水効果は「冷静さ」いつも僕の焦りを補って余りあるのです。
日野明子 企画卸業
青花という雑誌の完成された世界があって、補完するように存在する一水寮。ありがたいことにこの場で、3回展示をさせていただきました。企画に参加してもらう作り手には「この場所は魔法がかかっている。いつもと違って見える異空間」と説明しています。目録を手にしての観覧も魔法の一つ。一つ一つ、目録を見ながら立ち止まってみていただけるのはこの目録のおかげです。困るのは、備品になっている菅野さんのコレクションがあまりにも素晴らしくて、展示をくっちゃう事ですかね。いやいや。展示されるものは、備品として置かれている古物に勝たなくてはいけません。
今回、新しい青花の場所が生まれるとのこと、ワクワクします。新潮社倉庫と一水寮。雑誌という二次元と青花の会の三次元。色々な面を見せてくれる青花。これからも楽しみです。
広瀬一郎 「桃居」店主
出版不況は始まって久しい。1996年に2兆6564億円あった書籍雑誌マーケットはこの年ピークアウトする。釣瓶落としの落日とはこのことか。97年以降シュリンクする出版市場は、2014年には1兆6065億円にまで落ち込んでいた(ちなみに2023年のマーケットサイズは1兆612億円だから、この10年でさらに5000億円以上縮小)。
2014年、限りなく低迷し迷走する出版界のなかで、新潮社菅野康晴は果敢な発想と決断で『工芸青花』を発刊する。それは、新しい火を灯すこととなった。『工芸青花』はそれまでの定期刊行物の定則を、あらゆる面で革新した。読み捨てられぬ書籍、書架に長く愛蔵される書籍、50年100年のスパンで記録に値するテキストを掲げること。菅野のいだいた抱負はこの10年の誌面に結実する。工芸はすぐれたモノが残っていけば、それで良いではないか、というある種の「唯物主義」に抗して、工芸にも言葉が必要なのではないか、という菅野康晴の理想は、『工芸青花』それ自身を美しく「工芸化」してみせたことと相俟って、すでにして歴史化されつつある。
2014年の菅野康晴の果断に、私たちは感謝しなくてならない。
堀畑裕之 デザイナー/服飾ブランド matohu
10周年お祝い申し上げます。この時代の空気を体現した、そしてその空気を後世に伝える本として続けてこられたことに感動いたします。堅き志無くば、決してなしえなかった仕事だと思います。私にとっては垂涎の古美術や建築、そして何より川瀬師の花が愉しみな『青花』です。そんな本に僅かでも関わることができたこと、望外の悦びです。
松本武明 「うつわノート」店主
何事も立ち上げる苦労よりも続けることの方が難しいと思っています。事業面からも気持ちを持続する面からも。当初から会員制という新たな出版形態に注目していました。十年ですか。工芸という特殊な世界にも関わらず、立派なことだと思います。強い思いがあればこそでしょう。これからの十年も期待しております。
牟田都子 校正者
2014年8月26日、荻窪「6次元」で開催された「『青花の会』とは何か?」に参加したときには、自分には背伸びがすぎる内容だと思いました。10年経ったいまも届いた『工芸青花』を開くたび、ここに書かれてあるすべてを理解できたとは言えないと感じます。いつかは理解できたと言えるようになりたい、そう思って読み続けています。
村上隆 現代美術家
「工芸青花」創刊時、古道具坂田を中心とする新工芸論の登場に期待した。 出版不況が言われ始めた頃、編集長菅野康晴の「芸術新潮」卒業後の挑戦に、多くの人が胸躍らせたと思う。 菅野編集長には、90年代までの調子の良かった頃の雑誌編集者マインドがあり、それは雑食的で、一見読者への情報共有の公平性を気にしているように見えるが、「工芸青花」は雑誌では無く、批評誌が期待されているのだから、軸足をしっかり持って活動しなおして欲しいと思う。 現在迄の「工芸青花」刊行の成果や如何に? と言うと、旧来の骨董業界が古道具坂田の成果を蝕み、その総体が崩れていくのを指を咥えて見るしか無い様に見える。コレで良いのだろうか?
望月通陽 染色家
足元の覚束ない今日この頃、「青花」の一徹な重量感は時代に降ろした碇のように頼もしい。道の先の空しい未来を見るにつけ、目は過去をなつかしがりますが、「青花」はまたすぐれて弾む飛び板でもあり、若い志は高く遠くへはね上がり、きっと新たな抛物線を描いてくれる筈。
森岡督行 「森岡書店」店主
10周年おめでとうございます。創刊前に菅野さんから構想を聞いた時の驚きや、数年後に感想を訊かれて「もっと戦ってください」と偉そうに言ったことを思い出しました。泣いたこともあったり。10年はやいですね。これからも他にはない雑誌をつくってください。
山内彩子 「Gallery SU」代表
10周年、おめでとうございます。「青花の会」のような反時代的活動が、多くの良き理解者や伴走者に支えられて10年続いてきたことを、同じく反時代的ギャラリーを営む身として心強く思います。お節介ながら、10年の間に広がった枝葉がそろそろ剪定の時期かと……。根を深く張り、ますますの実りを迎えられることをお祈りしております。
吉田昌太郎 骨董商/アンティークス タミゼ
その本は静かに書棚に収まり、一冊の重み、布表紙のあたたかさ、紙ページの手触り、書物との豊かな時間と幸福感。これからもその魅力を伝え続けてください。
米山菜津子 デザイナー
10周年おめでとうございます。棚に片腕ぶん貯まった縞模様から1号めを引き出し久しぶりに開いてみて、その古びなさに驚き、かつ、届いたばかりの20号めにはっとさせられる自分もいて、その強さよ、と思いました。慌ただしい日々の雑音が誌面に吸収され背筋が伸びていくような本と場所をこれからも楽しみにしています。
若菜晃子 編集者・文筆家
人の手で作られたものは意図せずして作り手自身を表しているが、本も決して例外ではない。『工芸青花』を読むたびに、この本は編集長である菅野康晴さんご自身を表していると思う。真面目で物静かで端正で、芯に確かな主張がある。でもどこか素朴な土の匂いもする。遠い地の、遠い時間のぬくもり。人間のはかなさ。そうしたものに人は惹かれるのではないだろうか。
nakaban 画家
「工芸青花」は時代を超えたタイムカプセルのような本なので、取り出して開くのにためらいがあります。そのことに気付いて、このごろはそばに置いてページをめくっています。階段の途中などにも数冊置いてあります。段に腰掛けて読むのが楽しいのです。最高にかっこいい装丁は本棚に似合うけど、わたしにとっては本棚にしまっておきたくない本です。