日時|2月14日(金)17-20時 *青花会員と御同伴者1名のみ
2月15日(土)11-20時
2月16日(日)11-17時
会場|BOOTLEG gallery
東京都新宿区改代町40(神楽坂/江戸川橋)
見料|500円 *青花会員は無料
主題|「生活工芸」以後の工芸
監修|松本武明(ギャラリーうつわノート)
山内彩子(Gallery SU)
出展|翫粋(京都)
ギャラリーうつわノート(埼玉)
水犀(東京)
cite’(広島)
GALLERY crossing(岐阜)
Gallery NAO MASAKI(愛知)
Gallery SU(東京)
NOTA_SHOP(滋賀)
OUTBOUND(東京)
pragmata(東京)
SHOP & GALLERY YDS(京都)
toripie(京都/大阪)
主催|新潮社青花の会
対談|赤木明登+高木崇雄
「生活工芸」以後
日時|2月15日(土)13-15時
会場|工芸青花
東京都新宿区横寺町31-13 一水寮101(神楽坂)
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=317
対談|沢山遼+保坂健二朗
美術批評家とキュレーターがみた現代の工芸
日時|2月16日(日)13-15時
会場|工芸青花
https://shop.kogei-seika.jp/products/detail.php?product_id=318
青花の会では毎年6月に「骨董祭」と称して、各地の骨董商がつどう催事をおこなっているのですが、このたびあらたに「工芸祭」として、現代工芸のギャラリーの会を開催することになりました。今回のテーマは「『生活工芸』以後の工芸」です。
「工芸」の定義は、私はひとまず「ヒトの手によりつくられた道具」としています。「生活工芸」については、監修者である松本さん、山内さんが以下の文中で説明しているので、ここではふれません。
工芸祭をはじめる理由の大もとには、工芸について考えることは、時代/社会/人間について考えること、という思いがあります(そのくらい、工芸は人間にとって本質的なことと考えています)。「生活工芸」以後の工芸、とは、いいかえれば「これからの工芸」という意味です(それは「生活工芸」を、ここ20年ほどの手工芸史で重要な動向だったとみなす私の考えによるものです)。
「これからの工芸」を考えることは、人間という「不易」と、この時代/社会という「流行」の両方を考えることになると思います。今回の工芸祭で、私が出展者のみなさんに期待しているのは、現代のすぐれた工芸家がつくりだすものに予兆的にあらわれているはずの「いま/これから」性を、作家自身よりも明敏に観取し、概念化し、解説してもらえたら、ということなのです(それがギャラリーの大事な役割では、とも考えています)。
うつわノートの松本さん、Gallery SU の山内さんに監修(出展者の選定等)を依頼した理由は、上記のような「ギャラリーの役割」をすでに自覚的にはたしているふたりだからです。(菅野康晴/『工芸青花』編集長)
1990年代に発して2000年頃から顕著になった暮らしの道具(生活工芸)ブームは、ライフスタイル系ショップ(生活用品店)を中心に、工芸品を生活に同化させる役割を果たしました。従来の美術工芸品のように構えて接するものではなく、衣服や音楽などと同様、暮らしの中で景色化し、裾野を大きく広げました。私見ですが、それは明治以来特殊化されてきた「美」(工芸に限らず)を、日常というステージに解放し、再生させるムーブメントであったと思います。工芸品は本来そういうものであろうと思うのですが、意外にも、当たり前のことがそうではなかったのですから、この30年間の出来事は特筆すべき変化(パラダイムシフト)であったと言えるでしょう。
そうした傾向は今もSNSなどを通じて拡散し、当初とはまた違った様相を呈しています。誰にでも広く届く利点はある一方、ファストファッション化とも言い得る状況でもあるように思います。大いなる自由を得たかわりに、批評性を失い、歴史と接続し得る骨格を失ってしまった。それはまるで、「民藝」運動が後年になって「民芸品」の名のもとに土産物に堕し、商業的には成功したものの、本来の思想とは乖離してしまった過去と重ねることが出来るかもしれません。
もし、この30年の生活文化の変化の起点が「生活工芸」にあるならば、その延長線上にある現在、工芸に何が起こっているのか。ネットによる直接取引が可能な時代です。ギャラリーという仲介業の役割が相対的に減少するなか、新たなプレイヤー(ギャラリー)は何を考え、それをどのように伝えようとしているのか、あらためて考える機会も必要だと思います。
「工芸祭」は比較的キャリアの浅い12軒のギャラリーによる催事ですから、現況の全体像を示すことは無理にしても、この時代のある断面は現れるはずです。単なる展示販売会ではなく、時代の鏡として、この「工芸祭」が記憶されることを願っています。(松本武明/ギャラリーうつわノート)
30年ほど前に始まり、2000年代に根づいた「生活工芸」という潮流。「生活工芸派」とされる5人の作家(赤木明登、安藤雅信、内田鋼一、辻和美、三谷龍二)の人気は、従来なら工芸に興味を持たなかった層にまで広がりました。そのブームは現在にいたるまで、功罪両面にわたり影響を残しています。
「功」は、工芸の世界をより一般に開かれたものとし、後続世代の作家の活動の場を広げたこと。そして「罪」は、人気作家の個展になると行列ができて作品の奪い合いになるような“作家のブランド化”をもたらしたこと(SNSの普及によりさらに加速しました)。
そうした「罪」の現象は、〈消費のサイクルを遅くする生活工芸〉(安藤雅信)といった作家の意図に反して生じたことなので、彼らのせいではないのかもしれません。しかし、彼らのような人気作家に頼り、新たな作家を見出し育てる努力を怠ってきた、一部のギャラリーには責任があります。
2010年以降の工芸界は、シンプルで無地の日用の器を主とする生活工芸からの揺り戻しのように、用途から離れた造形作品や、装飾的・技巧的な器など、様々な流れが生まれてきています。そうした豊かな多様性を維持できるかどうかは、ギャラリーと作家が、一時的な流行に左右されず、各々の道を切り拓いていくことができるかにかかっています。
現在は過渡期。「青花の会|工芸祭」には、信念をもって2020年以降へ進もうとしているギャラリーが集います。ご来場下さる皆様も、この時代の工芸とギャラリーを取り巻く状況を作り出す当事者として立ち会って頂ければ幸いです。(山内彩子/Gallery SU)
出展ギャラリー選定にあたって
器を見始めた頃は、時代の指標になるようなギャラリーを拠り所に、工芸の見方や美意識を導いてもらいました。自分のギャラリーを開設してから約10年経ちますが、最近、作家とギャラリーの傾向が変化しているように思います。かつては「生活工芸」と呼ばれる作家たちによる、表現を抑制した道具が主流でしたが、昨今は、装飾ブーム、古典回帰、新耽美、実用と非実用の融合など、表現主義的な傾向が散見されます。これは時代の揺り戻しもあると思いますが、外的な要因として、SNSや海外(主に中国や台湾)など、受容者側の意識の変化も大きいように感じています。
それに呼応するように、「生活工芸」を支えたライフスタイル系ショップ(生活道具全般を扱う店)ではなく、より個性の強いギャラリーが全国各所で開設されるようになりました。とくに顕著なのが、アート分野と工芸分野、もしくは新作と古物を分けることなく、同列に扱うギャラリーが増えていることでしょうか。石器時代、縄文時代に始まり、江戸時代の熟成した文化にも見られるように、本来は美術も工芸に含まれるものだった訳で、明治以来150年の時を経て、日常の次元においては美術と工芸の境界の崩壊が始まっていると思います。
今回の「工芸祭」は「『生活工芸』以後の工芸」をテーマに掲げていますので、敢えて時代を相対化するため、暮らしと同化するような道具を扱うライフスタイル系ショップとは異なる、独自の思想や編集能力を感じる開設年数の浅いギャラリーをクローズアップしたいと思いました。今後はネットを通じて、ますます作家自身と顧客との直接的な売買が成立する時代になるなか、ギャラリーという仲介業の存立理由として「独善性」をあげてみたいと思います。独善性という言葉はネガティブな印象も伴いますが、ネットによって市場の流行が俯瞰出来てしまう現状に於いて、時代に媚びず、ギャラリー店主の独自の視線を強く打ち出すモノ選びと、その責任を負う姿勢が、作家と顧客を仲介するうえで大切ではないかと考えるからです。
広く浅くよりも、狭いけれど心に深く刺さる伝え方。それが今、ギャラリーに求められることだと思います。もちろんいつの時代も、ギャラリーはオーナーの個性が拠り所になると思うのですが、扱う品々が、従来の生活工芸のような暮らしに同化する道具と異なる点にも注目しました。既に確立した市場価値に同調するよりも、それぞれが自らの眼で選び、新たな価値を見出そうとしているギャラリーです。その評価は様々あるかと思いますが、この5軒を通して、現代工芸のある側面が見えてくるのではないかと思っています。(松本)
*松本さん推薦のギャラリーは、翫粋/水犀/GALLERY crossing/NOTA_SHOP/pragmata です
改めて、ギャラリーの仕事とは、何でしょうか。端的に言えば、作り手と買い手の間に立つ仲介者。しかし、ただ右から左へ作品を動かすだけなら、インターネット販売で十分でしょう。実店舗を構えるギャラリーには、有形無形のなすべき役割が無数にあります。作品を活かすための空間を作ること。時代の変化を読みつつ、一時の流行にとらわれず、いま紹介すべき(これから評価されるべき)作家を見出し、支えること。従来の顧客を大切にしながら、ギャラリーに足を運ぶ楽しみをより多くの人に知ってもらう努力をすること。さらに、買い手にとって、ギャラリーでの会話や時間が良き思い出として残るようにすること。作品を選んだときの記憶は、買い手のなかでは作品と不離一体の関係にあります。それを良きものとできるかどうか、ギャラリーには作り手と買い手双方への責任があります。
そもそも工芸作品は、かつては家族や地域社会のなかで、顔の見える相手のために作られていました。だからこそ、心から相手のことを思い、時間も手間も惜しみなく注いで作ることができたのです。時代の流れとともにそれが希薄になり、作り手にとって「誰に向けて作るのか」は見えにくくなっています。ギャラリーのオーナーには、かつての家族や地域社会に代わる存在としての役割もあると思います。そして、そのような存在となってくれるように買い手を導いていく役割も。
残念ながら現在は、工芸が一部でブーム化したことを背景に、売りやすい作家・作品を良しとする商業主義にギャラリーも同調する動きが見受けられます。今回の「工芸祭」に際し、私から出展を依頼した5軒は、刹那的な商業主義には陥らず(ギャラリーと作家が存続していくために作品を販売することへの責任感は強く持ちつつも)、上記のような役割を果たしているギャラリーです。彼らのような信念を持つギャラリーが、これからさらに支持され、評価される時代となっていくことを願っています。(山内)
*山内さん推薦のギャラリーは、cite’/Gallery NAO MASAKI/OUTBOUND/SHOP&GALLERY YDS/toripie です
出展ギャラリー紹介
■翫粋
京都市上京区堀川寺之内上ル下天神町653–1F
主題|十碗十盃
出品|谷本貴(1978年生れ/陶/三重) *室礼=川合優(1979年生れ/木工/岐阜)
「茶碗」は保守王道の茶陶の代表である訳で、至上のものとして崇められる一方、権威の象徴として忌避されることもあります。翫粋(がんすい)は京都の茶道会館近くに2015年オープン、浄土宗の僧侶である一法(はしのり)真人さん(1959年生れ)による、茶碗をメインに扱うギャラリーです。一作家の茶碗10碗のみを展示するという基本コンセプトを軸に、茶碗に拘り続けています。
一法さんは、関西では知る人ぞ知る茶碗の目利き。これまで古今を問わず1000碗以上購入し、毎日お茶を嗜んでいます。茶碗を見続け、遊びつくした人だからこその説法と提案で、多くの陶芸家を翻弄してきました。写真家でもあり、コム・デ・ギャルソンを着こなす僧侶が、この時代に「茶碗」の価値を問うギャラリーなのです。
茶碗は保守的ではなく、もっともアヴァンギャルドである、とは一法さんの言葉。300年後も残り得る存在感があるかどうかが基準、とのこと。「生活工芸? 豆皿に一体何を語らせんねん」。時代がぐるりとひと回りして、あらためて、「茶碗」は思想か、これを考えてみたいのです。
展示テーマは「十碗十盃」。頑なに茶碗。この期に及んで皿鉢湯呑、マグカップなどが総花的に並んだ日には、翫粋ではない訳で。日頃からひとりの作家の茶碗(十碗)とぐい呑(十盃)を展示している方針通り、今回もひとりの作家の作品のみ。作家が送ってくるものだけでは数合わせにしかならないと、展示する茶碗は何度も窯場に足を運び、いつも自ら選んでいます。今回も、「デパート展なら3回分」の窯焚きされた作の中から10碗のみに凝縮し、展示します。作家の谷本貴さんは、一法さんが今一番の茶碗づくりと豪語する、伊賀の作り手。一法さんの茶碗の話が聞けることも、今回の楽しみです。(松本)
■ギャラリーうつわノート
埼玉県川越市小仙波町1-7-6
主題|飾りの行方
出品|黒木紗世(1989年生れ/漆/石川) 澤谷由子(1989年生れ/陶/石川) 新宮さやか(1979年生れ/陶/京都) 松田苑子(1986年生れ/ガラス/京都)
2011年、あの大震災のあった翌月にギャラリーはオープンしました。日本全体が日常のありがたさを痛感し、あらためて限りある資源を大切にしなければという機運が高まった頃です。「作家もののうつわ」という贅沢品を扱うには逆風の市場状況でしたが、うつわのような日常の道具から世の中を見つめ直すには、良いタイミングだったと思っています。
今の日本の状況は、オリンピックや万博といった高度経済成長期の達成を繰り返そうとしている訳ですが、過去30年の間に「生活工芸」が示してきた生活意識といえば、枯渇する資源や停滞する経済の中で持続型の社会を求める価値観の体現であり、次世代へ継承する在り方を示していたのだと思います。それは工芸文化を通して、日本が覚醒するチャンスだったのでしょう。しかし残念ながら、現状はそうした本質を忘れ、流行という経済的合理性の中だけで「うつわ」の価値が拡散しています。そうした流行をいったん脱ぎ捨て、既成の枠組の外に出て、あらためて「工芸」の価値を見出したいと思っています。
展示のテーマ「飾りの行方」について。工芸の歴史は装飾の歴史と言い換えられるほど、人は飾ることを求めてきました。それは権力の象徴であり、神仏への畏敬の表れでもあった訳ですが、その根源は、おそらく人の意識の深層に、装飾の欲望が埋め込まれているのだろうと思います。しかしここ十数年の「生活工芸」隆盛の間、そうした装飾、技巧の顕示欲がないがしろにされていたように感じていました。
一方、近年、美術工芸と呼ばれる領域では、明治工芸再発見の名のもとに超絶技巧ブームが訪れ、装飾をさらに緻密化する作品も生まれています。工芸祭は「『生活工芸』以後の工芸」がテーマですから、「生活工芸」を相対化するふたつの視点から展示を行ないます。ひとつは、飾りを排した「生活工芸」時代との対比。もうひとつは、生活工芸領域と美術工芸領域の接続。そのため、普段は美術工芸領域で活躍する4人の女性作家にお願いして、「飾り」の作品を出品してもらいます。
高度な技術による装飾工芸を見て頂くことと、美術工芸と生活工芸の接点づくりが目的です。この2領域を接続しようと思う理由は、(生活工芸的)安易な拡散は文化を劣化させるし、(美術工芸的)伝統の保守だけでは代謝が進まないからです。この2領域はいまだ交じり合っていません。両者の歩み寄りにこそ、次代の工芸を示す可能性があると信じています。(松本/1961年生れ)
■水犀
東京都台東区三筋1-6-2小林ビル3F
主題|trigger
出品|川井ミカコ(1952年生れ/陶・ドローイング/奈良) 金憲鎬(1958年生れ/陶/愛知) 佐古馨(1958年生れ/木・鉄/奈良) 澤田麟太郎(1981年生れ/陶/岩手) 塩谷良太(1978年生れ/陶/茨城) 西別府久幸(1986年生れ/花/東京) 日置哲也(1976年生れ/陶/岐阜) 藤岡貢(1977年生れ/陶/滋賀) 藤信知子(1988年生れ/陶/大阪) 藤本玲奈(1983年生れ/ドローイング・陶/三重)
生意気なことを言いますが、新しいギャラリーが出来ると、およそそこがどういう系譜上にあるか、企画内容、展示品、取り扱い作家、空間デザインなどから読み取ることができるのですが、2019年にオープンした蔵前の「水犀」は、それが摑めず、忽然と現れた印象がありました。生活工芸的な流れとは明らかに距離があり、美術工芸、伝統工芸の保守的立ち位置でもない。強い個性、強い表現の作家を主に紹介しながら、洗練された空間と写真(ウェブサイト等)で時代にフィードバックする。この不思議感はどこから来ているのだろうという個人的興味がまずありました。
主宰は進藤尚子さん(1963年生れ)と光本貞子さん(1965年生れ)。二人とも以前は広告業界で写真や制作の仕事をしており、バブル絶頂期から崩壊後まで、時代の浮き沈みをマスメディア側の立場で経験してきました。そうした経歴からすれば、本来ならマスメディア的マーケティングに基づき、いまどきの工芸市場に参入してもおかしくないのに、なにゆえニッチな「ここ」に挑むのか? いや、もしかしたらいずれ「ここ」が生活工芸や伝統工芸を上回る潮流になるという読み、彼女たちの慧眼なのか。従来とは違う、工芸ギャラリーの新しい在り方が示されるはずです。
展示テーマの「trigger」について。工芸は実用品なので、機能や価格といった形而下的要因で評価される一方、時に得も言われぬ感情を生起させることがあります。水犀の掲げるテーマ「トリガー(引き金)」は、そうした形而上的、情緒的側面を問うもの。日頃紹介している個性の強い作品群も、形而下的な機能では捉え切れない感情、理念を追求する作り手たちによるものでしょう。そこには既成の枠組、好みを超えて人を惹きつける情動があり、社会の論理とは無縁の力強さに心打たれます。(松本)
■cite’
広島県広島市中区幟町 9-1-1F
主題|universum
出品|寒川義雄(1963年生れ/陶/広島) 小山剛(1983年生れ/木/長野) 矢野義憲(1973年生れ/木/福岡) COSMIC WONDER(1997年/衣服/京都) Light & Will(2013年/籠/京都) yasuhide ono(1985年生れ/装身具/福岡)
cite’ の鈴木良さん(1975年生れ)は2000年から2014年にかけてヨーロッパで暮らし、写真家として活動しながら、各地を巡って美術・建築の観察と古物の蒐集を続けてきた。その過程で、東洋と西洋、過去と現代を対立項とみなすのではなく、「両者を繫ぐ普遍的なもの」を希求するようになったという。そして帰国後、古物も現代作家の作品も、道具も用途を持たない造形物も、衣服も装身具も、隔てなく紹介する場を作り出した。
流行りの「ライフスタイルショップ」との違いは、取り扱う作家、作品に対するアプローチの深さ、鋭さにある。日頃から作家と密に語り合い、核となるものを探り、企画展ごとに一期一会の展示風景を作り出すというやり方を貫いている。
現代は、行き過ぎた消費社会や加速する情報化社会への反動として、古代から未来までを視野に入れる時間感覚、内面と共に身体感覚を研ぎ澄ませる、といった傾向が、特に若い世代に強くなっているように思う。そのひとつの現れとして、工芸作品(自然素材を用いて、人の手から生み出されるもの)を作りたい/使いたいという意識が高まってきているのではないだろうか。鈴木さんがcite’ で紹介している作家たちも、そうした時代感覚を共有しているように思う。
工芸祭のために提示されたテーマは「universum」。全世界的な、宇宙的な、万物の、森羅万象、といった意味を含み、鈴木さんにとっては永遠のテーマという。
「原始の器のようなもの、木そのもののエネルギーを内包する器や家具、植物を編むという古来からの行為による道具、装身具……生きるための道具でありながら、人の潜在意識に響くもの。そこにある調和の状態を『universum』という一語に込めました」(鈴木さん)
複数作家での展示は、工芸祭が初めてだという。cite’ において個展のかたちで追求してきたことが今回融合し、鈴木さんの目指す「混じり合い調和する世界」が立ち現れるのではないかと期待している。(山内)
■GALLERY crossing
岐阜県美濃加茂市太田本町1-7-3
主題|UnFramed
出品|アラーナ・ウィルソン(1989年生れ/陶/オーストラリア) 市川陽子(1985年生れ/漆皮/京都) 林志保(1984年生れ/陶/岐阜) 和田朋子(1986年生れ/ガラス・ミクストメディア/福岡)
だんだん歳をとってくると感覚も鈍る訳で、以前ほど新しい展示会や作家の作品を見なくなると、ますますそれが加速する今日この頃、自分には真似できない新たな感覚の人に出会うと、大いに刺激を受けると同時に、老いを感じてしまうのです。岐阜県美濃加茂にある GALLERY crossing の黒元実紗さん(1982年生れ)の企画を目にするたびに、時代は変わり新しい才能が生まれているのだなと実感します。
もともとは名古屋で「食」をテーマにしたデザイン事務所を設立し、フードデザインを手掛けていました。それゆえか、黒元さんの企画は工芸を外形的に見るだけでなく、五感による多面的な捉え方をするのが特徴でしょう。既存の工芸、美術の枠に捉われない幅の広さ、新人を発掘する矜持、海外にも展開する行動力などに魅せられて、今回エントリーをお願いしました。ホームページ記載の基本コンセプトには「工芸、アート、デザイン、ファッション、フードなどジャンルを超えた表現が交差する場、想像力の交差点」とあり、まさにその通りだなと思うのですが、こうした言葉は大抵きれいごとで終わってしまうきらいがあるなか、言行一致のキュレーションを続けていると思います。
展示テーマの「UnFramed」は、日頃から黒元さんが掲げるコンセプトそのものです。既成の枠組を超えて「造形物」を見ること。非日常と日常、非実用と実用、社会と個、古と新、アートと工芸、鑑賞と所有──それらの「間」を行き来する感覚。作家のセレクトも黒元さんと同世代、「生活工芸」の影響を引きずらない1980年代生れの女性作家を、意図的に紹介してくれます。(松本)
■Gallery NAO MASAKI
愛知県名古屋市東区葵2-3-4
主題|編むカタチ
出品|内田鋼一(1969年生れ/陶/三重) 中西洋人(1984年生れ/木/滋賀) 長谷川清吉(1982年生れ/金属/愛知)他
ジャンルの垣根を越え、知識や既成概念にとらわれず作品に向き合う。言い古された言葉だが、実行できている人は多くはない。正木なおさん(1973年生れ)は、その数少ない一人だと思う。
ギャラリストとして挑戦していきたいことのひとつは、「工芸」と「美術」の境界を越えることだという。取り扱う作家は、既存のカテゴリーにおさまらない幅や深みがあることを軸に選んでいる。ギャラリーの運営方法は「工芸」系と「美術」系では異なるのが現状だが、正木さんは双方の長所と短所を見極めながら、より良きあり方を模索し実現している。たとえば、展覧会開催時期の調整やコンペティションなど作家の活動・展開のサポートをするのは現代美術のギャラリーでは普通のことだが、工芸ギャラリーにはあまり見られない。作家をしばるのが目的ではなく、海外での発表も視野に入れつつ、これから共に道を作っていくという。作品の価格設定に関しても、作家任せにはせず、ギャラリー側が責任を持ってリードすべきとの考えだ。売りやすさや、買い手のニーズを重視する、マーケティング主導の時代への問題意識から、「長期的な視点に立って、作品の価値を発見、提案する場」としてのギャラリーのあり方を追求している。
工芸祭にあたり、正木さんが提示したテーマは「編むカタチ」である。数年前に大分県竹田市を訪ねたことや、パリのケ・ブランリ美術館で「FENDRE L'AIR, Art du bambou au Japon/空(くう)を割く 日本の竹工芸」展を観たことで、「編む」という行為への関心が高まったという。
「編むことは、人が道具を作り出した旧石器時代の頃から脈々と変わらず、古今東西に伝わる技術であり、行為である。細い素材が組まれ、重なった時に生まれる強さ、自由さは、道具として、意匠として様々なカタチになった。人はなぜ編むこと、そして編むことにより生まれるカタチに焦がれるのだろう。それはもしかしたら、そこに人間の行為の原初性があるからかもしれない」(正木さん)
今回、正木さんが作家に求めるのは、編む行為や編み目の意匠にこめられた原初的な意味(編み目や縄目は永遠の循環を表し、再生のシンボルだったとされる)に思いを致し、そこから汲みとったものを自身の作品に活かす、ということだろう。単に古作を参照すること、表面的に写すこととは異なる意義を感じる。(山内)
■Gallery SU
東京都港区麻布台3-3-23 和朗フラット4号館6号室
主題|風穴(かざあな)
出品|秋野ちひろ(1979年生れ/金属/埼玉)
私がギャラリーを開いた2010年は、金沢21世紀美術館で「生活工芸」展が開催され、一連の潮流が言説的にも位置づけられ始めた頃である。一方で工芸ギャラリーが個々に作家を見出して育てる努力をせず、一部の人気作家たちに頼る風潮も蔓延していた。
自分はその列に連なることはしたくないという考えと、日用の器ブームの続く工芸の世界に新風をという思いから、Gallery SUでは、まだあまり世に知られていない作家の造形作品を紹介し続けてきた。同世代の作家に、実用の道具よりも用途のないものに惹かれる感覚を持つ人が増えてきていたことも、その方向性を後押ししてくれた。
SNSにも頼らずによくやっていけていますねと言われることは度々だが、ヴァーチャルな世界の影響力がますます強まっていく時代だからこそ、実店舗を持つギャラリーの仕事において大事なのは、作家と対話を重ねて新たな可能性を引き出し、いまここでしか見られない展示を行ない、訪れる方に体感して頂くこと……その直接的な交流だと考えている。
工芸祭の展示テーマを「風穴」としたのは、何かが(誰かが)勢いを増し始めると一斉にそちらへなびくような、工芸とギャラリーを巡る閉塞した状況を変えていきたいという思いからである。監修者としても、それぞれの場所で新しい風を起こす仕事をしているギャラリーを選び、依頼した。
出品作家の秋野ちひろさんは、2011年の初個展以来、毎年 Gallery SU で個展を開催している作家である。まったく無名だった彼女が、道具ではなく、さりとて重厚感ある彫刻でもない、既成のジャンルには属さない軽やかな真鍮の造形作品を発表し続け、回を重ねるごとに自分の世界を開花させていく過程を見守ってきた。その作家としてのあり方も作品も「風穴」的だと感じており、今回のテーマを体現してくれることと思う。(山内/1977年生れ)
■NOTA_SHOP
滋賀県甲賀市信楽町勅旨2317
主題|inside - outside
出品|浅井万貴子(1984年生れ/陶/岐阜) 梅本敏明(1977年生れ/木/和歌山) 大村大悟(1984年生れ/木・金属・石/石川) 合田大智(1983年生れ/狩猟・金属/滋賀) 谷穹(1977年生れ/陶/滋賀) 野田幸江(1978年生れ/植物/滋賀) 古谷朱里(1974年生れ/陶/滋賀) 古谷宣幸(1984年生れ/陶/滋賀) elements(ガラス)
たぬきの置物で知られる信楽で生まれ育った加藤駿介さん(1984年生れ)の店。ショップと製陶所を併設する、500坪もある広さにまず驚きますが、その中身もまた信楽では異彩を放つ存在です。大学時代はデザイン、音楽、映像にのめり込み、在学中にロンドンに留学、卒業後は東京の広告制作会社に就職。その後地元に戻り、家業である製陶所で技術を学び、2015年にオリジナルの陶製プロダクトや各種デザイン業務を行う「NOTA&design」を立ち上げ、2017年には信楽の工芸作家を中心に扱う「NOTA_SHOP」をオープンします。
今や工芸の材料は全国のどこでも入手できる時代ですから、産地の必然性は低下しています。伝統様式に縛られない「生活工芸」の無国籍感も、産地スタイルから脱却する流れを後押ししました。しかし、工芸は元来は地域の役割が重要であり、原料調達や生産技術のノウハウが蓄積された結果が「産地」です。たしかに現代は情報網や販路の発達により、「産地」でなくてもモノを作る環境が出来上がっています。それによりどこにいてもモノを作って発表できるという、ある種のユートピア的状況が生まれましたが、その結果、懸念されるのは「後追い」の表現がもたらす作風の均一化です。音楽やファッションにおいても、過去にブームとなったものは、その後「平均化」し、飽きられています。それは信楽という産地でも同様で、何を作っても売れたというバブル期にモノは均一化し、歩みを止めてしまいました。そうした状況のなか、NOTA_SHOPの加藤さんは、これからの信楽、産地としての新たな役割を模索しています。
とはいえ、たった1軒のギャラリーが産地全体の意識を変えられるのか。経験的に言うなら、それはあり得ます。流通販売方法もふくめた旧来的な産地スタイルから脱却し、産地に新たな意味を与え、作り手の意識も大きく変えた実例として、益子の「starnet」や伊賀の「gallery yamahon」を挙げることが出来ます。現在のネット社会により地域の土着性が急速に失われるなか、あらためて地元の価値を捉えなおそうとするNOTA_SHOPの活動に注目したいと思います。
展示テーマ「inside - outside」について。ふたつのコンセプトに基づく展示になります。ひとつは産地、古典、工芸を意識した「inside」。信楽の陶芸作家を県外に知らしめること。もうひとつは世界、新規性、美術をテーマとする「outside」。信楽の「外」のもの(例えば海外のデザイン、異素材の作品など)で刺激を与えること。今回紹介する作家は30代半ばから40代前半、地域に根ざしながら、既存のスタイルを後追いせず、新たな表現を追求している作家たちです。(松本)
■OUTBOUND
東京都武蔵野市吉祥寺本町2-7-4-101
主題|献身としての「気晴らし」
出品|東亨(1988年生れ/金属/大阪) 伊藤敦子(1960年生れ/装身具/神奈川) 木下宝(1970年生れ/ガラス/富山) 熊谷幸治(1978年生れ/土/山梨) 鮫島陽(1995年生れ/陶/愛知) 谷口聡子(1976年生れ/編み/東京) 冨沢恭子(1979年生れ/柿渋染/東京) 芳賀龍一(1984年生れ/陶/栃木) 福井守(1985年生れ/木/兵庫) 藤崎均(1972年生れ/木/神奈川) 藤村亮太(1981年生れ/陶/神奈川) ますみえりこ(1971年生れ/からむし/埼玉) 森田春菜(1981年生れ/陶/東京) 横内みえ(1982年生れ/漆/山梨) 渡部萌(1996年/蔓・樹皮/東京)
「Roundabout」「OUTBOUND」というふたつの店舗を通じて、ものの持つ「機能」と「作用」の両面を提唱してきた小林和人さん(1975年生れ)。「作用(=機能を前提としない造形物が受け手の心にもたらす働き)」は受け手に委ねられる要素が強く、理論化が難しい概念のはずだが、毎年の「作用」展(2013年よりOUTBOUNDで開催するグループ展)でそれを可視化してきた功績は大きい。「機能」面から評価されることの多い工芸の世界に、異なるベクトルを持ち込むことができたのは、工芸をブレイクダンスやヒップホップと同じ地平で語る視野の広さを持つ小林さんゆえだろう(小林さん曰く、工芸における「超絶技巧」はブレイクダンスの「パワームーブ」、同じく「作用」は「スタイル」および「ニュアンス」にあたるとのこと)。
工芸祭では「作用」の延長線上に「気晴らし」という概念を見出し、人が造形物を作る理由について考察したいという。樫永真佐夫氏(国立民族学博物館教授)の著書『殴り合いの文化史』のなかで、スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセーによる下記の考えに出合って触発されたそうだ。
「オルテガ・イ・ガセーによると、『本能の組織を失った動物』たる人間は、この宇宙で『気晴らし』を必要とするただ一つの被造物であるという。彼の言葉を借りれば、『気を晴らす』とは『私たちの世界から私たちの世界ではないさまざまな別世界へと一瞬身を逃れようと企てること』である。但し、それは浮薄かつ受動的ではなくあくまでも『能動的なもの』であり、その最たることとは、何かをすることに『身を捧げること』であるという」(小林さん)
この「気晴らし」論から、「人はなぜものを生み出すのであろうか?」という問いが浮かんできたそうだ。
「人はいかなる要請により、道具ではない抽象的な造形物を生み出すことに原初より献身してきたのであろうか。本展に於いて、『気晴らし』という能動的勤めの概念を通じ、人がものを作ることについて改めて考えたい」(同)
「作用」という概念は、どちらかというと作り手より受け手に重心が置かれているが、「気晴らし」に於いては作り手の意識が重要となるだろう。その点で、「作用」とは異なるフェーズに小林さんの意識が移行したことを感じる。なぜ、なんのために、ものを(しかも、明確な機能を持たないものを)作るのか? それは「気を晴らす=身を捧げる」行為なのか? OUTBOUNDでの「作用」展にもほぼ毎回参加している出品作家たちに、いま改めてその根本的な問いを投げかけることは、彼らのこれからの歩みのために意味のあることだろう。(山内)
■pragmata
東京都中央区八丁堀2-3-3-3F-4F
主題|Hyper Market
出品|不明(あくまでもpragmataの展示であり、作家の作品はその構成要素なので、当日も作家名は明かさないという)
今回のギャラリー選定では、内輪的推薦は避けようというのが基本にあり、pragmataのペトロス・テトナキスさん(1965年生れ)に声をかけるのは躊躇しました。何故なら以前からの知り合いでしたし、しかも数年前に大きく仲違いしたという経緯もあります。そう、仲良しどころか断絶状態(笑)なのに何故、彼にエントリーを依頼したのか。この工芸祭のひとつの方向性である(と私が考える)「独善性」を、強く体現しているギャラリーだからです。
陶のオブジェを中心に、東京八丁堀のビル内で繰り広げられる独自の世界。徹底した美学、頑固で譲らない人。そう、そこはギリシア出身のペトロスさんが作品と空間を一体化させる場なのです。元はコム・デ・ギャルソンで働き、その感覚を武器に、2013年にオープンした新種のギャラリー。ユニークな工芸作家を紹介しながら、単に作品を並べるだけでなく、独特のディスプレイや凝ったDMで自分の世界観を表現する、その思いの強さはここならではでしょう。ロンドンのギャルソンにいた頃の話を聞いたとき、ファッションを選ぶことは自身の思想の顕れ、生き方そのもの、と言っていたのが印象に残っています。ジャンルは変われど、pragmataが提供するものはまさに選ぶ側が試され、買うという行為を通して審美眼、人生観までが問われるものです。
展示テーマは「Hyper Market」。すなわち総合デパート的内容ということですから、特定少数の作家に頼ることはせず、日頃からpragmataで扱う作家の作品群を展開する企画です。それって常設じゃないの? と思われる方、はい、その通りです。しかし、それこそがpragmataの世界観な訳です。それが見たい。並ぶのはいずれも現代作家の作品ですが、店主自ら選んで展示、BOOTLEGの会場内で作品化された空間自体が、ギャラリーとしてのメッセージです。(松本)
■SHOP&GALLERY YDS
京都府京都市中京区新町通二条上る二条新町717
主題|転生─そして容(かたち)に生れ変わる
出品|渡邊紗彌加(1985年生れ/染織/滋賀) 陳新(1968年生れ/金属/中国・広州)
今はギャラリーの形態が多様化し、アパレルショップ、カフェ、書店などに併設されることが増えているが、残念ながら“客寄せ”や“付け足し”に見えてしまうことも多い。本業が別にあるギャラリーだからこそ、無名の若手作家に機会を与えるなど、利益追求だけではない展示をしてもらえたらと思うのだが。その点、SHOP&GALLERY YDSは、明治32年創業の京友禅の老舗「髙橋徳」という本業を持ちつつ、その恵まれた環境を活かし、新しいことにチャレンジを、という姿勢で運営している。
オーナーの髙橋周也さん(1972年生れ)は手描友禅の職人でもあり、もともとは器に興味はなく、ギャラリーを始めたのも「空いているスペースを活かすため」だったそうだ。しかしオープン時に個展を開催した陶芸家の清水志郎さんとの出会いにより、器の魅力に開眼し、以後は全国を駆け回って作家に会いにいき、たとえ一度断られても再訪して作家と信頼関係を築き、「ただの販売目的ではない、ここでしかできない展覧会」を目指してきた。たとえば「Re:planter×清水志郎」展では、部屋の畳を取り払い、そこに苔を敷き詰めて「苔の茶室」を作ったり、「尾形アツシ×みたて」展では、大量の原土を運び込んで中庭にうずたかく積み、土そのものの力を見せたり……。
京都という土地柄ゆえか、客層の半分は外国人(欧米、中国、台湾)だそうだ。これからは日本の作家を海外へ紹介すること、そして海外の作家を日本に招いて展覧会を行なうこと、その両方を目標とする。
ギャラリーを始めて10年近く経ち、当初は対極と思っていた、家業とギャラリー業、分業制と個人制作、伝統と革新が自分のなかで一致し始めたという。今回は、もの作りの根本──かたちなき素材が、作り手によりかたちあるものに生まれ変わること──である「転生」というテーマを掲げる。
「自然の摂理に適ったものは繁栄し、新しいモノや言葉も文化として残ります。そしていずれまたかたちを変え、次の世代に引き継がれていく。時代や世代を超えて転生する可能性を秘めた作家、作品を紹介します」(髙橋さん)
これまでは家業と近しい分野(染織)の作家は避けてきたそうだが、今回の工芸祭で初めて、染織作家の渡邊紗彌加さん(祈織 Inori)を紹介する。また、今後深めていきたい海外とのつながりの嚆矢として、中国から陳新さん(浅喜)を紹介する。YDSの「これから」を予感させる展示になることだろう。(山内)
■toripie
大阪府大阪市西区九条2-9-14
京都府京都市左京区二条通川端東入ル新先斗町133 サンシャイン鴨川102
主題|知と物作り
出品|池邉祥子(1984年生れ/衣服/京都) 滝下達(1977年生れ/木/茨城) 二名良日(1943年生れ/植物/兵庫)
toripieという名前を初めて耳にしたのは、知人の作家から「よくある暮らし系ギャラリーとは違う感覚の面白いギャラリーがあるんですよ」と教えられた時のこと。作家が個人的に褒めるギャラリーにハズレなし、という経験則から、以来気になる存在だった。その後、鳥越智子さん(1983年生れ)と知り合い、toripieを訪ねて、なるほど扱うものの選択が「○○っぽい」ということのないギャラリーだと頷いた。
「私はどこかで修行したこともなく、美術や工芸について専門的に学んでもいないので、いつもこれでいいんだろうかとの迷いがある」と鳥越さんは言うが、全国津々浦々、どこかを真似た品揃えの店が増えるなか、作家のキャリアや知名度といった情報にとらわれることなく、自身のアンテナに引っかかるかどうかで扱う作家を決めるというのは、稀有な存在だろう。
旅先で手に入れた古物を展示する空間を持ちたいという衝動から、2014年、大阪でギャラリーを始め、同時に二名良日さんなど現代作家の作品にも惹かれて紹介した。2019年には京都に、現代作品を中心に展示する空間をオープンする。ふたつの場所を持った理由は、鳥越さん自身の表現行為ともいえる古物の蒐集展示と、現代作家の表現を、同一の空間で同時に見せることへの違和感が高まったためという。
工芸祭のテーマは「知と物作り」。「知は、魅力あるものを生み出す力になると信じています。自身の専門分野はもちろんのこと、他分野への興味や経験も制作の血肉になるのだと思います」(鳥越さん)。ここでいう「知」は単なる知識ではなく、経験にもとづく知恵のことだ。「これからは、自分の活動が社会にどのような影響を及ぼすかを考え、行動できる作家が生き残っていくと思う」と鳥越さんは語る。たしかに、来るべきAI時代に人間が持つべき「知」はそうなるだろう。
出品作家3人はいずれも、様々な人生経験を経て、現在のもの作りに辿り着いた人々。たとえば滝下達さんは、文化財保存科学を学び、建築の仕事に就いたあと木工作家として活動を始めたという。古代のもの作りの技法から学んだことを、自身の創作に活かしているそうだ。三者三様の「知」の響き合いが楽しみである。(山内)
対談|松本武明+山内彩子|工芸ギャラリーの役割
日時|2019年11月6日(金)19-21時
会場|一水寮悠庵
東京都新宿区横寺町31-13 (神楽坂)
定員|25名
会費|3500円
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