ジャレッドには作りたい糸の明確な像があった。自分の「夢の糸」は、アメリカ国内のウールをアメリカ国内で紡績したものであること、ウーレン糸(紡毛糸)であることだ。

ウールの紡績には大きくわけて2種類があり、長めの繊維を同方向にそろえてしっかり撚るウーステッド(梳毛糸)は表面の毛羽が少なく、滑らかな手触りを持ち、密度の高い糸になる。短め、あるいは長さのそろわない繊維を方向にかかわらず紡績するウーレンは、表面がデコボコしており、撚りは甘い。ジャレッドがほしかったのは後者の糸、ふわりと空気を含んだ、甘撚りの、表情が豊かな糸だった。けれども、アメリカ国内でウーレンスパンの可能な紡績所は数カ所しか残っていなかった。そうして巡り会えたのが、ニューハンプシャー州南西部の小さな町、ハリスヴィルにある紡績所、ハリスヴィル・デザインだった。

ハリスヴィルはもともと紡績で知られた町で、18世紀後半、まだ水力で紡績していた時代から、ウーレンスパンの糸を生産しつづけてきた。アメリカで唯一、当時のままの形で残っていて、アメリカ内務省は1970年代に町をまるごと国定歴史建造物として指定した。ハリスヴィル・デザインは紡績業の傾きつつあった時代、1971年に住民に仕事を創出するために設立された会社で、以来ウール100パーセントの糸を紡績している。

きっかけはジャレッドの友人のパム・アレンが「きっとあなたと気が合う人たちだから」と、この紡績所を経営する家族に会うよう勧めてくれたことだった。その読みはたがわず、彼らはジャレッドの「アメリカ国内のウールから糸を作る」というアイデアに興味を示してくれたのだ。

市販の糸は、ジャレッドの手にはいつも少しばかり滑らかすぎ、重すぎ、繊維が圧縮されすぎていた。彼にとって完璧なウーステッドウェイト(セーターなどに適する中程度の太さの糸)のウールの糸。その理想をハリスヴィルの人々と実現したのが、2010年10月にリリースしたブルックリン・ツイード(BT)最初の糸「シェルター」だ。

この糸の羊を選ぶときに重視したのは、手触りの柔らかさと、実用に耐える丈夫さのバランスだった。彼はターギー種の縮れた毛の柔らかさが気に入ったが、堅牢性に欠けているように思えた。またコロンビア種のマットな毛並みの丈夫さは良かったが、手触りが物足りなかった。しかし、このふたつの品種のクロス(掛け合わせ)の羊毛が、望み通りの品質を備えていた。こうしてワイオミング州からターギー&コロンビア・クロスの羊毛がやってきた。ファイバーの段階で染めたウールを混ぜ合わせて生まれた色は、複雑な奥行きのあるツイードの表情を見せる。どこまでも軽く、空気を含んだ、素朴な外見の2プライの糸。ジャレッドの糸は、スコットランドのシェットランド諸島の編み込みに使われる、軽くて繊細な糸に似ていた。

「シェルター」は発表と同時に熱狂的に迎えられた。くすんだような乾いた白に「化石」、輝くようなオレンジに「残り火」、洗いざらしたような薄い水色に「色褪せたキルト」と、17色それぞれに詩情のある名前がついていた。最初、ジャレッドはこの糸作りを一回きりのプロジェクトと考えていた。自分の好みを色濃く反映した、あまり一般的でない糸だったからだ。だが、注文は殺到した。ニッターたちがこのような風合いのローカルな糸をサポートしてくれたことは、喜ばしい驚きだった。

翌年に同じ個性を持つフィンガリングウェイト(中細程度、軽いショールなど薄手のものを編むのに向く太さの糸)の「ロフト」が、15色を加えた計32色で発表された。「シェルター」にも同色が追加され2種32色のラインがそろったとき、この色彩のパレットを使って生み出されるものへも情熱が向けられた。BTのデザインコレクションは、糸の魅力とデザインの魅力が調和している。ジャレッドの理想の糸と、その糸のためにデザインされたパターンが響きあうのは、考えてみれば当然のことだ。

ジャレッドは語る。「糸を売り出してからの主要な仕事は、やってくる注文に応える努力することだった。手に入るウールの量や工場の作業量に限界があるからね。自分が勉強してきたのはアートとデザイン分野だったから、糸の生産に関しては毎日学ぶことがたくさんあるよ」「別の動物や植物性のファイバーより前に、ほかのブリードのウールを試してみたいから、しばらくの間はウールに焦点をあてたものになるだろう。なんといっても僕はウールという素材に夢中だからね」

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